パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

市民の間の情報格差

2020年07月01日 08時39分02秒 | 住民投票・市庁舎・リコール・市政

東京都民の中でも自身で情報を集め、批判的に何かを見ている人と
テレビから流れる(情報というより)露出量に翻弄されて
批判精神もなくそのまま選択の根拠にする人がいるだろう

東京都民ではないので、空気とかはよくわからないが
アメリカ人がトランプさんを選んだ選択を、(日本人が)少しばかり
呆れたように見るのと同様な感覚を(都民以外は)覚えてしまうかもしれない

個人の持つ情報量の差は、想像以上に大きな行動の差となって現れる
だからこそ報道は重要な任務をになっている、、とか
メディアはどうあるべきか、、との話が出てくるが
今日はこのような手に負えない問題ではなく
地元新城市民における情報格差について

チコちゃんに叱られそうなボーッと生きていたのが変わるキッカケになったのが
2015年に新城市で行われた「住民投票」
豪華な庁舎ではなく、身の丈にあった新庁舎への変更を求めた市民の行動は
その後「市議会議員からの提案による住民投票」へと繋がった
ところが、この住民投票の選択の文章が酷かった
今でも怒りをもって思い出すが、市民に問われたのは
選択肢1は「市道東新町桜淵線の路線の変更を伴わない現計画の見直し」
選択肢2は「市道東新町桜淵線の路線の変更を伴う現計画の見直し」

本当に思い出すたびに怒りが蘇る
このわかりにくい選択肢は、結果的に後々までその影響を及ぼすことになった
住民投票は現実的には、よりイメージしやすい「身の丈にあった3階建」
対「現計画の5階建」の戦いになり、「身の丈」の方を市民は選んだ

ところが、その後に行われた行政と身の丈派の市民との計画見直しの実務協議では
住民投票の選択肢の抽象的な文章の解釈が大きく影響し、
結果的に身の丈派の市民に不満の残るものになった

今回の問題は市民間の情報格差なので、この経緯に対する不満のことではない
問題は、市民がこれらのことを知っているか、、という点
市民は流石に住民投票が行われたことは知っている
だが、そのあと実務協議が行なわれたことを知っている人はどれだけいるだろう
そしてその実務協議自体の進め方や、そこで出た問題点をどれだけ知っているだろう

この消化不良の感覚は、後の「市長リコール」問題に繋がった
だが市長リコールは、現実的には推進派は全市的なテーマにしたくても
その行動の存在を知らない人が多かったり、その他のデリケートな点により
不発に終わった

それでもこのあたりまでは、まだ知ってる人が少なくないかもしれない
だがこれから先、「庁舎建設用地外の移転保障費返還」について
裁判沙汰になったことはどれだけの人が知っているだろう
「何が問題だったのか?」は市民の税金を使われているにもかかわらず
大して注目されず時間だけが過ぎていった
裁判は、疑いを払拭できない行為であり、市長は125万円を市に支払うように
との最終結審を待たない手続きで落ち着いた

その他、今度は市長には関係ないが、ある市議会議員が(先頭に立って)行った
「地域自治区の交付金事業」で、未払いにもかかわらず領収証を手にして
市から一旦交付金を得ていたことが発覚した
この事業自体は実施自体が怪しまれるものだが、とりあえずそこは追求されず
未払いの金額の領収書を用いて市からのお金を手にしたのは信義則に反するとの判断で
市議等は交付金の返還をする羽目となった

この市議は政治倫理審査会にかけられることになり、
そこで最も重い「議員辞職勧告」を受けることになった

この他、市議会議員関係では、2つの政務活動費の使いみちに問題あり
と一部の議員から声が上がった
一つは、数人で車で乗り合わせて研修場所まで行ったにもかかわらず
個々は公共交通を利用したとして、その差額を懐に入れた疑い
もう一つは、東京で一泊してある場所に視察に出かけたが
それについて報告書がなかったり行き先の名称が間違っていたりしており
その視察自体が政務活動費を使うことに目的があったのではないか
との行政訴訟が行われることになった

二番目の裁判は途中で、対象議員6人が宿泊費を市に返却することで
結果として裁判は終了した

議員間の問題は他にもあるが、それらも何も知らない人に一から伝えるのは
なかなか難しい

市の税金の使いみちについて市民の一部から声が上がった
利用者が予定した数に全く達しない「新城名古屋直行バス」は
三年半の実証実験が終わったが、その成果は無残なものであり
以後は中止した方が良い、、とする要望書を市長と議会に提出している

この要望書を提出した翌日の新聞には「高速バス継続の意向」
との記事が掲載され、全く反対意見である要望書のことは一言も報道されなかった
まして、この要望書に前後して、行政に市民の有志がヒアリングを行っていたこと
は全く知られていない

そして昨日、受付から受理に手続きが代わった住民監査請求
(見積り金額と入札予定額に一致に対する調査依頼
 原価償却が終了しているバスに対する支払いの調査と金額の返却)
これらのことは、全く一部の人しか知らない

ここまで並べてみると、おいおい新城市は大丈夫か?
と心配になってくる
ところが、知らない人は(あるいは知ってても関心のない人は)
新城市は何事もなく過ぎていると思うだろう

つまりは余程関心があるひと以外は、市政について、あるいは議会については
何も知らないということだ
それは上から目線からだと、情けない、、となるが、
以前は市議会議員の名前も知らずボーッと生きていた身としては
彼らを責める気にはなれないでいる
でも、それではいかん!と身にしみて実感したのだから
今度は何ができるかと考える(つもり)

それにしても、情報をたくさん知ってる人と(それが偏った情報であれ)
知らない人とは、情報格差の一言では済まされないような
大きな違いを生み出してしまう

面倒くさい話を、我が事のように考えてもらうにはどうしたら良いのか
横着のままだとアカン!ということを、どうすれば実感してもらえるか
できれば痛い目をしないとわからない状態は避けたいと思うが

コメント    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 音読(黙読)は、人の説明よ... | トップ | カエルの命 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

住民投票・市庁舎・リコール・市政」カテゴリの最新記事