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賛成・反対討論

2020年09月22日 09時02分33秒 | 住民投票・市庁舎・リコール・市政

地元新城市の話題

見聞きしていただけなので正確さは保証できないが、ずっと気になっていることがある
それは先日の新城市議会の本会議における議決前の討論のことで
議案は新城市内を走る公共バス(Sバス)の路線の変更を議決によって
認めてほしいというもの

バスの路線の変更とは、具体的には道の駅「もっくる新城」から鳳来寺方面に
走るのを増やすというもので、これは新東名経由の高速バス「山の湊」号には
名古屋からの客が新城に来ても、その後の交通の便が悪いので二次交通の足を
確保する目的らしい
この路線が増えることによって今まで走っていたSバスの発着時刻も変わるようだ

この変更の議案についてはすんなり賛成とならずに反対の意見が出てきた
それは、
1.新たな路線のSバスの委託業者は、議決前に既に入札が行われ決まっており
 それは議会軽視に当たるのではないか
2.公共交通としての利便性と観光のための交通機関はこの案では成立しないのではないか
   今までSバスを利用して、こんたく長篠に買い物に来ていた客は、時間変更のために
 滞在時間が短くならざるをえなくて、不便になっているのではないか
3.観光客のための二次交通というものの、一番利用客が多そうな土日祝は運行していない
4.鳳来寺に遊びに行って、さてバスで帰ろうとすると、適当な時間のバスが存在しない

だいたいこんな内容のことが数人の議員さんによって発表された
この中で一番議員さんの感情にカチンと来たのは
議決前に段取り良く入札も何もかも済ませていることで
それならわざわざ議決をする意味もない、、と言いたくなる気持ちはわかる

実はそれどころか、先日(9月中旬)配布された新城市の広報「ほのか」には
そのバスの変更は記事として掲載されていた
印刷、配布の時間を考えるとその作業はずっと前から進められていたと思われる

ところで、これと似たことが以前にもあった
新東名高速バス「山の湊」号は今年の3月までは実証実験期間で
その後継続するか否かは議決を必要とされるものだったのだが
市議会で議決された二日後(だったと思うが)に新城市内に折り込まれたチラシには
(実証実験から営業路線として)継続して利用を求める内容だった
これは印刷、新聞販売店へのチラシの持ち込みを考えると
議決前にその作業は済まされていたと考えられる
特に折込前には祝日があったので、販売店へのチラシの持ち込みは普段より早かったはず
このような時間的な矛盾を感じた議員さんがいて、議決前に作業を済ませていたのではないか
それならば議会軽視ではないか、、と行政に問い詰めたが、
行政は議決直後に連絡をとって折込可能とした
仮に、否決されたならばバス会社の負担でチラシの回収(折込ストップ)をする手はずになっていた
と答えた(らしい)
しかし、その答えは一見もっともらしいが、現実は折込手配されてしまっているチラシを
取り除くことは、物理的、時間的に不可能だ
ありそうな話としては、議決は通るに違いない、、と進めたということだろう

今回の反対討論に対して賛成討論の内容は
●議会軽視というが、今回は議決を必要としない案件である
●今までもこのような段取りの議決はいくつもあった、今回だけ議会軽視と大騒ぎするのはおかしい
●総論としての考え方には賛成できる、、

こんな内容だったと思う(特に最初の2つは違和感を覚えたので印象に残っている)
議決を必要としない案件ならば、なぜ行政は議決を求めたのだろう
(そもそ議決を必要としないものにはどんなものがあるのだろう)
今までもこのようなことは度々あったとするならば、議会はチェック機関の機能を
今まで果たしてきたのか、、前例に従うのはわかるが、今回問題にされた以上は
真摯に向かうべきではないのか、、、

傍聴していてスッキリしなかったのは、この考えがすぐに浮かんだからだ
でも傍聴者が反対・賛成討論を聞いて、どちらがまともで説得力があるかを判断したところで
傍聴者には議決権はない
議決があるのは当たり前だが議員だけだ
反対賛成討論をしなかった議員は、反対・賛成討論を聞いた上で彼らの賛否の決断をしたのか
を考えると、彼らはどうも討論を聞く前に結論は決めていたと思えてならない

討論の内容で賛否を決めるのではなく、現実的にはなにか別の都合で決められていく
それは一歩間違えると「数の力」に終始してしまうように思われる
「数さえとってしまえば、なんでもできる」
これは国のみならず、こんな小さな地方自治体でも見られるようで
間違いをしないためのシステムとする民主主義も実は随分デリケートなものだと実感する

民主主義を含めた制度は人の試行錯誤で改められていくのだろうが
その試行錯誤に参加する人が一般人の段階まで降りてくるのは
もっと一般人が「痛い目」をしないとダメだろうか
と、少しばかり気が滅入る

ものすごく意識の高い人が増える、、というよりも
ほんのちょっとだけ民度のレベルが上がるようになる
それが良いと思うけれど、、、なかなか難しそう、、、



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