パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

覚えられない実感

2019年04月24日 08時39分17秒 | 徒然なるままに

昔のことはよく覚えているが最近のことはさっぱり、、
これが年令を重ねた人間のパターン
まして歳をとってから何かを覚えようとすることなど
恐ろしく不可能なこととさえ思えてくる
新しく外国語を覚えようとしても忘れるスピードが覚えるスピードを上回っているし
ミステリー小説を読んでいても一旦寝てしまうと登場人物の人間関係があやふやになる

と言っても、本当に肝心なことは歳をとっても必要に迫られて覚えられるかもしれない
(しかし、記憶に残っているのは本質に関係ないことも多いのは何故だろう)

最近外国出身の子供たちの勉強を見ているが、特に低学年の子が
漢字が読めなかったり、カタカナが書けなかったり、九九がスラスラと言えなかったりするのを
目の当たりにすると、この子たちの将来は大丈夫かと不安になる
しかし、考えてみれば心配なのは歳を重ねたこちらのほうかもしれない
(新しいことを覚えられないという点で)

最近つくづく実感するのは、覚えられないという感覚で
昨日読んだはずの小説の登場人物やストーリーがどこかに飛んでしまっている
(読んでいくうちになんとなく思い出すが)
まして新しいこと(外国語や文法)などはすぐさま出し入れ可能な記憶にまではなっていない
これがもしかしたら子どもたちの頭の中で起きていることに近いかもしれないとしたら
なるほどこのような状態なら面倒を見る立場の大人がいろいろ言っても、
わからないものはわからない、、となるだろう

ところで昔サッカーのコーチをしていた時、週一回の練習で前の週に習ったことを次の週に
できるようになっているかといえば残念ながら、前の週の技術は身についていず
再び前の週の練習時点からスタートするしかなかった
少しも身につかないなあ、、と思ったりしたが、それでも一年前の姿と比べると明らかに進歩していて
身についている(覚えている)
結局は基礎は何度も繰り返すしかない、、ということなんだろうが、子供のうちはテンポがゆっくりながら
まだまだ入っいく要素がある
しかし、大人たちは、、、、

ホント覚えられないことは覚えられない、、、
しかしそれじゃ困るので、どうすれば覚えられるか、、ということを考えなくてはならない
何回も何回も読んだり書いて覚えるか、、誰かに話すことによって覚えるか、、
大人たちは何かに記録しておくという形で記憶力の低下をカバーしているが
それは必要に迫られた手段というものの、それ故に全部が全部記憶しなくてもいいとの
心理となっているのかもしれない

ところで覚えられないことは多いが、それでも人と話すと(比較できるのだが)
変な記憶が優先す傾向はあるが、それでもまだいろいろ覚えているほうかな、、と
少し安心したりする

しかし、覚えているのは相変わらずどうでもいいことが多い
それが性格・キャラクターなんだろうが



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