Iga Ueno Castle, Iga City, Mie Pref.
さてさて、満開の桜を楽しもうと、三重県伊賀市の伊賀上野城へとワタクシ達はやって来ました。
残念ながら伊賀上野城は現存天守ではなく、1935年に造られた復興天守なんですよ。
とはいえ、天守は木造建築で江戸時代の天守を模したものですので、当時の雰囲気が残っています。
伊賀上野に城が建てられたのは1585年。秀吉に仕えていた筒井定次が、四国征伐の功によって伊賀上野藩主に命じられ、
この地に城を造ったんです。ただ、筒井定次は関ヶ原の戦いでは、徳川家康側についているんです。
その後、改易によって伊賀上野藩主に命じられたのが藤堂高虎でした。関ヶ原の戦いで敗れたとは言え、
大阪の豊臣氏の存在は家康にとっては脅威でした。そこで築城の名手として名高い藤堂高虎を伊賀上野藩主に命じ、
大阪の豊臣氏との戦いに備え、伊賀上野城は堅牢なものに作り替えられたんです。
五層の天守閣は建設中に暴風雨によって倒壊するんですが、大坂冬の陣、その翌年の夏の陣で豊臣方が敗れました。
その後、幕府は城普請を禁じたため、伊賀上野城では天守閣が再建されないままだったんですね。
現在の復興天守閣は、伊賀上野選出の衆議院議員、川崎克が多くの支援者の協力を得ながら私財を投じて
藤堂氏の天守台に建てたものです。昭和7年(1932)に着工し、昭和10年(1935)10月18日に竣工しました。
この時、川崎克は同時期にコンクリート建築で再建された大阪城復興天守とは異なり、
木造で瓦葺き、白漆喰塗という純和風にこだわったそうです。これは慧眼だなぁと思いますね。
天守が復興して80年以上の歳月が過ぎ、今では伊賀上野のランドマークとして多くの市民に親しまれています。
私財を投げ打って地元のために尽くすというのは、今の政治家にはあり得ないことですな。
満開の桜に彩られ、多くの市民が伊賀上野城にやって来る様子を川崎克はどんな思いで眺めているのでしょう。
きっと満面の笑みをたたえ、優しい目で市民の姿を見ているような気がします。
使用したカメラ:5〜8枚目はFUJIFILM X-T1、他はFUJIFILM X-Pro2
この川崎克という人物ですが、尾崎行雄の秘書などを経て大正4年(1915)三重県から衆議院議員に初当選し、
以後、11回当選して従四位勲二等を受勲。史跡保存、自然保護にも取り組み、俳聖松尾芭蕉や伊賀焼の歴史を研究し、
作陶や書にも熱意を傾けました。昨日紹介した俳聖殿も川崎克の着想によって建てられたものなんですよ。
同じ政治家でも、失言を繰り返して辞任した某大臣とは天と地の違いですね。
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さてさて、満開の桜を楽しもうと、三重県伊賀市の伊賀上野城へとワタクシ達はやって来ました。
残念ながら伊賀上野城は現存天守ではなく、1935年に造られた復興天守なんですよ。
とはいえ、天守は木造建築で江戸時代の天守を模したものですので、当時の雰囲気が残っています。
伊賀上野に城が建てられたのは1585年。秀吉に仕えていた筒井定次が、四国征伐の功によって伊賀上野藩主に命じられ、
この地に城を造ったんです。ただ、筒井定次は関ヶ原の戦いでは、徳川家康側についているんです。
その後、改易によって伊賀上野藩主に命じられたのが藤堂高虎でした。関ヶ原の戦いで敗れたとは言え、
大阪の豊臣氏の存在は家康にとっては脅威でした。そこで築城の名手として名高い藤堂高虎を伊賀上野藩主に命じ、
大阪の豊臣氏との戦いに備え、伊賀上野城は堅牢なものに作り替えられたんです。
五層の天守閣は建設中に暴風雨によって倒壊するんですが、大坂冬の陣、その翌年の夏の陣で豊臣方が敗れました。
その後、幕府は城普請を禁じたため、伊賀上野城では天守閣が再建されないままだったんですね。
現在の復興天守閣は、伊賀上野選出の衆議院議員、川崎克が多くの支援者の協力を得ながら私財を投じて
藤堂氏の天守台に建てたものです。昭和7年(1932)に着工し、昭和10年(1935)10月18日に竣工しました。
この時、川崎克は同時期にコンクリート建築で再建された大阪城復興天守とは異なり、
木造で瓦葺き、白漆喰塗という純和風にこだわったそうです。これは慧眼だなぁと思いますね。
天守が復興して80年以上の歳月が過ぎ、今では伊賀上野のランドマークとして多くの市民に親しまれています。
私財を投げ打って地元のために尽くすというのは、今の政治家にはあり得ないことですな。
満開の桜に彩られ、多くの市民が伊賀上野城にやって来る様子を川崎克はどんな思いで眺めているのでしょう。
きっと満面の笑みをたたえ、優しい目で市民の姿を見ているような気がします。
使用したカメラ:5〜8枚目はFUJIFILM X-T1、他はFUJIFILM X-Pro2
この川崎克という人物ですが、尾崎行雄の秘書などを経て大正4年(1915)三重県から衆議院議員に初当選し、
以後、11回当選して従四位勲二等を受勲。史跡保存、自然保護にも取り組み、俳聖松尾芭蕉や伊賀焼の歴史を研究し、
作陶や書にも熱意を傾けました。昨日紹介した俳聖殿も川崎克の着想によって建てられたものなんですよ。
同じ政治家でも、失言を繰り返して辞任した某大臣とは天と地の違いですね。
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藤堂高虎。
いったい幾つ築城したんでしょうね。
四国だけじゃないんですね。
現代で言う安藤忠雄氏みたいなのかな?
応援P
伊賀上野城は、和歌山城に負けず劣らず立派ですね。
桜とお城、ほんとによく似合います。
言葉を選ばないと
私のまっすぐな言葉は大抵は
問題のある内容ですや
禁止キーワードを含みますと
コメント出来ないので
日本は規制された社会主義国家だなと
毎日感じてます。
応援!
立っていそうです。時代とはいえ木造とは驚きですね。
また、よろしくお願い
申し上げます。
とりあえず応援に伺いました☆
再建とはいえ、
木造など伝統的な工法にこだわったことは立派です。
桜の見事さも含めて
地元の誇りなのでしょうね。
石垣の高さ、破風の威厳など
名城の風格ですね。
ぽち!
こちらはさっきヒゲの隊長さんがウチの前で演説してました
応援☆
ポチ行脚中です!
たしかに・・・
木造で瓦葺き、白漆喰塗は、
趣がありますね。
まさに先見の明ありと言う感じです。
純和風建築というのが
いい味を出していますね。
桜とバッチリ合いますね。
屋根の形の、曲線部分が美しい~。
見応えがある造りですね!
私財を投げ打って、支援者の協力を受けて
建てられたお城。
そんな話を聞くと、ありがたみが増します。
今の政治家には、そんな人はいなさそうです(笑)
凸