自分らしく輝く?本当の自由とは? | 世界はあなたの愛と喜びを体験するためにある

世界はあなたの愛と喜びを体験するためにある

誰もが本来毎瞬与えられている愛と奇跡を体験する喜びを全ての人が体験できますように

自分らしく輝くって

 

本当はどういうことなんだろうか?

 

 

そんな風に感じたことはないですか?

 

私たちは無意識に罪悪感や無価値感をもっているとき

 

 

自分らしく輝こう

 

そのように言われると

 

 

自分らしく輝かないといけない

 

そんな風に思ってしますことがありませんか?

 

 

どうしたら自分らしく輝けるんだろうか?

 

そんな風にいろいろな学びや

 

スキルと得ようとしたりします。

 

 

でも本当にそこではなく

 

自分という存在はいったい本当は

 

 

「 何ものなのか? 」

 

 

ということを

 

思い出すことが

 

とにかく最初に必要だったんですよね。

 

 

自分について

 

真にわかっていないで

 

どうして輝けるでしょうか?

 

 

 

 

スピリチュアルな学びを始めると

 

魂は永遠で死なない

 

 

私たちは肉体ではない

 

 

そんな話を耳にしますよね?

 

 

でもそれらを信に信じている

 

もしくは腑に落ちている人が

 

いるでしょうか?

 

 

私たちは常に「死」に対する

 

恐れを根底に持って生きているといわれます。

 

 

それらの恐れによって

 

心からの喜びや愛を体験できない

 

そのようにも言われます。

 

 

これは少し考えてもわかるのですが

 

どこかでこの幸せは続かない

 

そのように感じることがありますよね?

 

 

この世界は無常であり

 

常に変化し続けますからね。

 

 

それは常に死と同じように

 

起こっては消えるという体験の連続であり

 

どんなに幸せと感じる時間も

 

永遠には続きませんよね?

 

 

私たちが思い出したいのは

 

この体験の背後に存在する

 

真の自己の永遠性であり

 

その事実を思い出すことで

 

諸行無常の人生を

 

 

恐れのない喜びとして

 

真に楽しめるようになる

 

ということに気づき始めます。

 

 

 

時間というのが幻想であるとか

 

今しか存在しない

 

そのように言われても

 

 

私たちの自我は

 

それらを自分で思い出すことは

 

不可能だったんですよね。

 

 

なぜなら自我は

 

自意識であり

 

自意識はこの世界に生まれてから

 

芽生えるものであり

 

それ以前のことは

 

分かっていないからです。

 

 

知らないから

 

それらを理解できません。

 

 

答えを持っていないんです。

 

そのために疑いを感じます。

 

 

このために

 

頭の知識でどんなに学んでも

 

それらを思い出すことはできません。

 

 

それどころか

 

真の自分って何のこと?

 

時間が幻想とか

 

そんなことよりも

 

私たちはやるべきことがたくさんあるんだから

 

 

そんな風に感じたことが

 

何度もありました。

 

 

そして新しい知識を求めて

 

外側を探求します。

 

 

奇跡のコースに出会い

 

 

罪悪感という鎖を手放すことで

 

私たちは本質を思いだす。

 

 

そのように教えてくれます。

 

 

罪悪感を癒すことが

 

自分らしく輝くこと

 

そして永遠性を思い出すことに

 

繋がってゆく

 

ということが

 

初めは本当にわかりませんでした。

 

 

でも罪悪感が癒されてゆく中で

 

これらを真に思い出してゆきます。

 

 

癒されてゆくことで

 

今まで自我から学んだことから解放され

 

思い出してゆくんです。

 

 

そして全ては一つであること

 

相手と自分には何の違いもないこと

 

 

全ての中に神がいる

 

全てが愛だという

 

 

そんなナンセンスに感じた

 

スピリチュアルな教えを

 

 

知識ではなく

 

体感し始めます。

 

 

この感覚を

 

純粋な愛の喜びとして体験し始めます。

 

 

信じるのではなく

 

知っていたという感覚を感じ始めます。

 

 

私たちの見ている現実を使って

 

それらが起こってゆきます。

 

 

私たちは自分(自我)が

 

信じているような存在とは

 

全く違ったとわかり始めます。

 

 

私たちの見ている現実は

 

私たちの自我の信念を通して認識しています。

 

 

それらは私たちの知覚を制限します。

 

 

私たちは自分の能力を伸ばそうとしますが

 

 

多くの場合、罪悪感や無価値感を

 

根底にもったまま努力をするために

 

頑張っても頑張っても

 

無意識でブレーキをかけ続けます。

 

 

頑張るのをあきらめて

 

癒されることを許し始めるとき

 

 

私たちの罪悪感が癒されてゆき

 

自然に本質を思い出してゆきます。

 

 

私たち一人ひとりが

 

全体の一部であり

 

全体そのものであった

 

という事実を思い出し始めます。

 

 

全体は愛そのものであり

 

私たちは愛の延長であるために

 

愛すること

 

愛される喜び

 

を体験するためにここにいます。

 

 

競争社会という

 

勘違いの自我の教えから真に自由になって

 

 

何の制限や抑制もなく

 

愛を分かち合う体験するため

 

 

愛そのものであったことを

 

思い出すために

 

人生があるのだとわかり始めます。

 

 

愛になろうと努力する必要はなく

 

良い人間になろうとする必要もなく

 

 

罪悪感が癒されることで

 

自然に全ての存在が愛そのもので

 

あった事実を思い出し始めます。

 

 

 

罪悪感が癒され

 

愛を思い出してゆくために

 

私たちは神聖な出会いを

 

毎日神によって与えられています。

 

 

・・・・・・・・

 

癒しとは

 

一つの想念であり

 

それにより二つの心が

 

自分たちの一体性を

 

知覚して喜ぶようになる。

 

 

この喜びが

 

一なる子のあらゆる部分に呼びかけて

 

この二つの心と喜ぶように促し

 

神を彼らの中に入らせ

 

彼らの間を進ませる

 

 

癒された心だけが

 

永続的効果のある啓示を体験できる。

 

 

なぜなら啓示とは

 

純粋な喜びの体験だからである

 

あなたが完全に喜ぶことを選ばなければ

 

あなたの心は自ら選択しない在り方を

 

自分のものにすることはできない

 

 

スピリットは

 

所有することと在ることの

 

相違を知らないことを思い出しなさい。

 

(奇跡のコース テキスト)

 

ーーーーー

 

奇跡のコースに出会い

 

全ての出会いは

 

 

私と相手との関係の中に

 

神の愛を感じることで

 

真の自分を思い出してゆくこと

 

 

ということがわかり始めます。

 

見るもの

 

見られるもの

 

という分離が消えます。

 

 

一つであると知るときの喜びは

 

私たちのハートが真に思い出してゆきたいことであり

 

分離という自我の勘違いによる

 

恐れからの解放と

 

自由な喜びに繋がってゆきます。

 

 

そしてそれは

 

「在る」

 

Being

 

という本来の状態を思い出して

 

ゆくことなのだとわかり始めます。

 

 

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