愛である真の自己を思い出すキーとは? | 世界はあなたの愛と喜びを体験するためにある

世界はあなたの愛と喜びを体験するためにある

誰もが本来毎瞬与えられている愛と奇跡を体験する喜びを全ての人が体験できますように

私は映画や海外ドラマが好きです。

 

先日借りてきた「Good Dr」というDVDを見ていたのですが

 

確か日本でBSでも放送していましたね。

 

日本に一時帰国時に気になっていたのですが

 

結局見るチャンスがなかったのですが

 

カナダに帰国後図書館で見つけたので

 

先日借りてきました。

 

日本でもリメイクされて放送されたようですね。

 

私が見たのはアメリカでのテレビドラマ。

 

 

奇跡のシンフォニー(原題: August Rush)

 

 

では一度止まってしまった

 

運命の歯車が再び動き出し

 

音楽に導かれ愛にたどり着く

 

という感動的な内容で

 

「奇跡のコース」で覚醒したといわれる

 

デイビットが紹介してくれていた映画ですが

 

この映画の中の子供

 

主人公のエヴァンを演じていたフディ・ハイモア

 

(※この映画もすごく素晴らしいので

 

 もし見ていなかったらぜひ見てみてほしいです。)

 

が演じています。

 

Good Dr での主人公のショーンは

 

自閉症でサヴァン症候群の青年。

 

 

このドラマの中には

 

本当にたくさんのメッセージがあって

 

ショーンはストレートすぎるほど

 

ストレートに感じたことを表現します。

 

 

私たち人間が

 

どれほど不要な考えに

 

エネルギーを使っているか?

 

 

真に考えることを

 

まったくしていないか?

 

 

変化をどれほど

 

恐れているか?

 

 

不要な後悔で苦しんでいるか?

 

 

根底に流れる愛に

 

お互いに気づけないことで

 

そこにある愛を見逃してきたか?

 

 

このドラマの中では

 

そんな本当に大切なものが

 

何なのか?

 

ということを再確認させられることが

 

たくさんありました。

 

 

シーズン1しかみていませんが

 

ドラマの中の

 

セリフなどから気づいたことを

 

少しずつ紹介させてもらいますね。

 

 

目覚めについて伝えてくれる内容で

 

「私がいなくなる」

 

そんなことを言われますよね?

 

 

今日もそんなことを

 

ちょっと違った表現で

 

一緒に考えてみたいです。

 

 

英語だと

 

パーソナリティーと

 

アイデンティティとは区別をされます。

 

 

パーソナリティとは人格と訳され。

 

語源のラテン語persona(仮面)から来ているそうです。

 

 

アイデンティティは、

 

英語では

 

「同一であること」

 

「そのものであること」

 

などと訳されているようです。

 

 

私たちが普段信じている「私」というのは

 

英語でいうパーソナリティのことであり

 

それは仮面であるといわれます。

 

 

初めてこのようなことを耳にしたとき

 

私は自分でないものの振りをしていて

 

腹黒い自分を隠して偽善者ぶっている笑い泣き

 

 

みたいに感じたことがあるのを思い出します。

 

 

本心を知られたら

 

みんなに嫌われてしまうのではないか?

 

 

愛されない、みじめで弱く、

 

無価値な自分を隠さないといけない

 

そんな風に信じていたように思います。滝汗

 

 

でも奇跡のコースを学んで

 

こうした思い込みを信じて

 

それらを守るために

 

日々頑張っている自分「私」

 

というのが仮面であり

 

それらが真実でないことにきづき

 

 

本当の自分である

 

アイデンティティーにきづいてゆく

 

という意味だったと分かり始めます。

 

(※ 罪悪感が癒されていない状態で

 

  自己欺瞞があるとき

 

  どうしても否定的に

 

  解釈してしまうようです。

 

  そしてその眼鏡で世界をみるために

 

  世界に恐れを投影してしまうようです)

 

 

 

本来全ての存在が

 

愛そのものであり

 

全ての存在が等しく価値がり

 

同じ愛の根源による多様な現れ。

 

 

という事実に

 

気づいてゆく

 

思い出してゆく

 

 

それが私たちの人生の目的であり

 

何よりも最初に目指すもの

 

ということがわかり始めます。

 

 

( ※ そうしないと

 

  無意識にスタートが真実でない

 

  恐れから始まってしまい

 

  無意味な努力で

 

  エネルギーを使ってしまうからなんです。

 

 

  愛をシェアしたいのに

 

  罪悪感や無価値感からくる

 

  存在しない不足などの

 

  恐れを埋めるために

 

  努力してしまうという

 

  無意味な努力になってしまうから・・・)

 

 

また

 

 

思い出す

 

気づく

 

 

という表現になるのは

 

 

 

パーソナリティーを自己と定義してしまい

 

それを守るために日々努力していることで

 

アイデンティティーを上手く感じられなくなってしまい

 

存在しない恐れや不安が生まれ

 

 

本当は大切にしたい

 

人間関係の中で

 

愛を上手く感じられなくなってしまい

 

争いや分かり合えないという

 

問題や苦しみを体験してしまいます。

 

 

本来一つの愛の根源によって

 

私たちは存在しているのに

 

この世界では

 

争いが起こったり

 

問題を目にすることが起こりますよね?

 

 

分離の想念によって

 

矛盾した考えが発生することで

 

 

私たちは常に混乱や葛藤があり

 

根底にある愛を抑制してしまうようなんです。

 

 

愛したいのに愛せない

 

信じたいのに信じられない

 

 

そんな風に

 

アクセルとブレーキを

 

同時に踏んでいるために

 

私たちはたくさんの

 

エネルギーを使っているようです。

 

 

本来全てが同じ根源から現れている

 

というのは

 

私たちは深い部分では

 

一つであるということ

 

 

だから何をしていても

 

 

本来全ては自分のため

 

そして全てのため

 

 

誰かを愛することと

 

自分を愛することは

 

まったく同じこと

 

 

でも

 

自我によって信じている

 

複雑な観念によって

 

これはかなり難しく感じますよね?

 

 

この物理次元の現象は

 

諸行無常といわれるように

 

常に変化しています。

 

 

これは無意識に

 

死への恐れを誘発するようです。

 

 

私たちの根底に存在するのは

 

この死への恐れなのだと

 

分かり始めますが

 

 

私たちが些細なことで

 

喧嘩してしまうのは

 

 

その無意識の死(失うこと)への恐れが原因で

 

怒りや恐れが沸き起こるからのようです。

 

 

どうしてそんな小さなことで

 

怒るんのがわからない

 

と感じることがありますよね?

 

 

器が小さいとか

 

ケチとか

 

真面目すぎるとか

 

 

いろいろな判断が起こったりしますが

 

 

本当は誰もが隠し持っている

 

死への恐れだったんですよね。

 

 

でも

 

「死ぬのはいったい誰?」

 

というと

 

実は私たちが信じている

 

パーソナリティーである「私」であり

 

 

私たちは本来永遠の存在

 

 

その事実を思い出してゆくことで

 

まったく違う人生が始まります。

 

 

パーソナリティーである

 

仮面の(無価値や罪悪感を握っている)

 

勘違いしている自分を

 

無意識に守るための人生から

 

 

真のアイデンティティー

 

真の平安と喜びと愛を体験し分かち合う

 

人生に変化してゆきます。

 

 

いのちの愛と喜びによって

 

愛の創造の体験の人生にシフトします。

 

 

先日お伝えしたように

 

 

「私は誰か?」

 

 

ということを初めに思い出すことが

 

何よりも大切というのはこのためなんですよね。

 

 

私たちの人生の中で

 

起こる問題や苦しみというものは

 

全て勘違いによって起こっていることなので

 

 

それらの勘違いに真に気づき癒され

 

真のアイデンティティーを

 

思い出すために使ってゆけます。

 

 

そして真のアイデンティティーは

 

自分は全てから生じている

 

ということを知っているために

 

罪悪感が真に癒されてゆくことで

 

私たちはその事実を思い出し始めます。

 

 

問題と感じる出来事

 

そして毎瞬

 

自分(愛)を

 

思い出すために

 

 

本当の自己である

 

真のアイデンティティーによって

 

導かれていることに気づき始めます。

 

 

本来起こっている全てのことは

 

神の愛の中に包まれていて

 

愛され赦されています。

 

 

真の赦し、癒しが

 

愛を思い出すマスターキーなのですが

 

 

私たちが問題と感じることが起こるとき

 

そこには何らかの罪悪感が

 

存在しています。

 

 

でもこの世界での現象は

 

心が見ている夢なので

 

この次元では真に癒すことができません。

 

 

このために時空間を超えた

 

内なる神(聖霊、真の自己、ハイヤーセルフなど)を通して

 

 

真の赦し。

 

真の癒し。

 

 

によって癒しが起こるとき

 

私たちは

 

真に愛されていること

 

無条件の愛の中にいること

 

に気づき始めます。

 

 

そして少しずつ恐れや不安が消えてゆきます。

 

 

恐れや不安によって抑制していた

 

私たちは愛や喜びを体験することが

 

できるようになってゆきます。

 

 

パーソナリティーやエゴが

 

私たちを混乱させていて

 

私たちの愛や喜びの体験を

 

することを抑制してしまいます。

 

 

こうした話を耳にすると

 

どこか抽象的に聞こえて

 

つかみどころがないように感じますが

 

 

実際は日常の中で具体的に

 

赦しや癒しが起こってゆきます。

 

見えない何かに

 

完全に 導かれていることが

 

体験を通してわかり始めます。

 

 

 

外側の誰かや何かとの関係で生じる

 

思考や感情を見つめるために

 

自分の内に深く入ってゆくことで

 

気づきを受け取り始めます。

 

 

そして逆説的に聞こえるのですが

 

 

分離が幻想なので

 

私たちは誰もが常に完全に

 

それそのものであり

 

 

それそのもによって

 

全ての存在が導かれていることに気づきます。

 

 

ーーーーー

 

このコースは

 

愛の意味を教えることは

 

目指していない。

 

 

それは教えることのできる範囲を

 

超えているからである。

 

しかし愛の現在を自覚できなくしている

 

障壁を取り去ることは

 

確かに目指している。

 

 

愛の現在そのものは

 

生来あなたが

 

受け継いでいるものである。

 

愛の対象は恐れであるが

 

全てを包み込むものに

 

対極はありえない。

 

従って、

 

このコースは次のように

 

極めて簡潔に要約できる。

 

 

実在するものは脅かされない

 

実在しないものは存在しない

 

ここに神の平安がある。

 

(奇跡のコース 序文)

 

ーーーーーー

 

私たちがこの世界で信じている愛というのは

 

対局の恐れを秘めています。

 

 

このために

 

愛したいのに

 

失うことへの恐れや

 

傷つくことへの恐れ

 

そんな恐れによって

 

愛することを抑制したり

 

傷ついたり

 

時に攻撃したりします。

 

 

この世界では

 

たくさんの定義や優劣や条件の教えがあり

 

それらは日常の中で

 

テレビやネットなど

 

そして見えない想念の波動から

 

私たちは知らずに無意識に取り入れています。

 

誰かの意図の入っていない

 

純粋な情報などは存在しません。

 

 

このために

 

恐れという対局を含まない

 

条件のない愛を感じられなくなっています。

 

でも本来の内なる自己の私たちは

 

分離を超えた本性を知っています。

 

 

エゴの想念や信念

 

無価値感や罪悪感を

 

分離を超えた本質である

 

聖霊とともに癒してゆくことで

 

私たちの本性を思い出してゆきます。

 

 

エゴに教えられた条件付きの愛ではなく

 

内面から分離を超えた条件のない愛を

 

体験することが起こり始めます。

 

 

外側の誰かではなく

 

あなたの内に全ての

 

愛のエネルギーが存在しています。

 

 

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