本当は何も変えなくていい? | 世界はあなたの愛と喜びを体験するためにある

世界はあなたの愛と喜びを体験するためにある

誰もが本来毎瞬与えられている愛と奇跡を体験する喜びを全ての人が体験できますように

私本当に映画や

 

ドラマが大好きなんですが

 

人生って映画以上に素晴らしい

 

ストーリーがいっぱいだって思います。

 

 

カウンセリングをさせていただいて

 

たくさんの人の人生を

 

聞かせてもらうことになったのですが

 

クライアントさんの人生を聞かせてもらうたびに

 

映画やドラマよりも

 

ドラマチックな人生のストーリーを

 

体験されていらっしゃるって何度も感じました。

 

 

でもそんな中で

 

問題と感じるような出来事や

 

苦しみを感じているとき

 

私たちは本当の愛や自由

 

そして無限の可能性に

 

出会う祝福の時なのだと感じています。

 

 

 

私たちは人生に支配されて

 

生きているように感じることがありますよね?

 

予期せぬことが起こるし

 

自分の望まない出来事や

 

悲しみ苦しみと感じるような出来事を

 

この人生で体験したことのない人はいないと思います。

 

 

上手くいっているときはいいけれど

 

人生が思い通りにならない時

 

人生や神を恨むようなことが起こりますよね?

 

 

人は自分より幸せそうに見えるし

 

上手くいっている人を見ると

 

人生は不公平だ

 

そんな風に感じてしまいますよね?

 

 

人生に絶望を感じるとき

 

幸福と不幸

 

愛と恐れ

 

光と闇

 

の2元性の世界から

 

両極のない本来の私たちを思い出す

 

愛の扉が開き始めていることに

 

私たちは気づき始めます。

 

 

真の自己

 

内なる神

 

真我

 

それそのもの

 

誰もが神

 

目覚め

 

 

いろいろな表現をされますが

 

私たちは自分が本当は誰なのか?

 

 

ということを思い出し

 

分離のない

 

本来の私たちの視点で

 

人生を歩き始める

 

本当は常にそれそのものだったのに気づき

 

人生に完全に委ねて生きるという

 

平安(天国)の愛の体験を始めます。

 

 

今まで分離の視点で世界を体験していたとき

 

教えられた数々の想念によって

 

自分を評価、判断して

 

罪悪感や無価値感を強め

 

不足の感覚を強めてきたのだと気づきます。

 

 

この世界のルールや理想という

 

教えられた概念が

 

あまりにも無意識にしみついていて

 

それらに合わせられないと

 

大変なことになる

 

見捨てられる

 

そんな思いが深く思い込みとして存在しているのに

 

多くの場合気づかないで

 

それらを感じないように

 

必死で生きていたりします。

 

本当の自分でいることを

 

許可できずに

 

日々理想の何かになること

 

認められるようにと

 

頑張っていることに

 

多くの場合気づいていません。

 

 

ここに気づいていないとき

 

私たちは自分を無意識に責め

 

罪悪感や無価値感を強めてしまうようで

 

自分が自分を認めていないために

 

その思いによって

 

本当は受け取れる

 

愛を感じられなくなってしまいます。

 

 

本当はあるがままで

 

誰もが無限の愛によって創造され

 

愛おしい存在なのに

 

それを感じられなくなってしまい

 

満たされなくなってしまうようです。

 

 

平均は

 

普通は

 

常識は

 

みんなこうしている

 

 

そんなこと

 

本当に関係ないんです。

 

 

それらに自分が当てはまらないからって

 

自分を責めたり

 

頑張らせたりする必要なんて何もなかったんです。

 

 

起こる出来事は全て

 

私たちの真の自分である

 

真我、神である自分を

 

思い出させてくれるものです。

 

 

神と分離したと勘違いした

 

人間の知恵によって

 

何とかつかもうとしてきた知識では、

 

 

無限の自由と対局のない

 

無条件の愛の自己と自由と

 

真の喜びを体験することができません。

 

 

誰もが愛され赦され守られていて

 

等しく価値があるという

 

事実を覆い隠してしまうからです。

 

 

「 私が道であり 真理であり、いのちなのです。」

 

というイエスの言葉があります。

 

 

この「私」というのは

 

イエスという個人のことではなく

 

全ての存在のことを指しています。

 

 

本来誰もがそれそのもので

 

一つの命がたくさんの

 

現れ方をしているだけだからです。

 

 

自他を裁いている自分に気づくとき

 

 

「 私たちは分離できない一つの命

 

 判断して裁いているのは

 

 いったい誰なんだろうか?」

 

 

そのように問いかけることを

 

私は時々します。

 

 

私たちの自我は

 

人(自他)を変えようとします。

 

なぜなら教えられたルールや概念に

 

合わないことに不安や恐れを感じるから

 

 

それらが時には

 

愛からしていると信じていたり

 

怒りや嫌悪として体験することもあります。

 

 

でも人は変えられないんです。

 

出来事も変えられない。

 

 

本当は起こるがままで

 

分離の夢からさめ

 

無条件の愛と平安と

 

無限の自由に誰もが目覚めるように

 

誰もが導かれているから。

 

 

私たちができることがるとしたら

 

あるがままのその人と状況をゆるし愛する事

 

 

そのとき、分離の泡が消え

 

自分を愛し許せることが起こります。

 

 

だって本当は

 

誰もが一つの命だから

 

 

そして常に私たちだれもが

 

道であり、真理であり、いのちである

 

という事実を思い出します。

 

 

私たちは常に居るべき場所にいて

 

常に無条件の愛の中にいて

 

完全に許されています。

 

 

 

私たちが個人で生きていて

 

全体から離れているという分離を信じているとき

 

不安や恐れや苦しみとして体験することが起こります。

 

 

そしてそれらは

 

真の愛への誘い

 

 

全体と分離していると

 

信じている自我は

 

たくさんの観念で

 

自己否定や無価値感によって

 

自分を苦しめていることに

 

気づけないから

 

それらが癒されるために起こります。

 

 

私たちは知識を超えた

 

真の自己に祈ることができます。

 

 

「 私たちは常に

 

 完全な神という宇宙の愛の中にいる

 

 その事実を感じられますように 」

 

「 この心、このハートで

 

  もっと もっと 本当の感謝と尊敬を

 

  そして愛を感じたい。

 

  感じさせてください。」

 

「 全ての人が尊いことを思い出せますように 」

 

 

そんな風に心から望むとき

 

真の自己が感じさせてくれ始めます。

 

 

誰もがどれほど尊いか

 

感じさせてもらうとき

 

自分という存在の尊さも思い出します。

 

 

私たちの本質は愛そのもので

 

その愛を真に分かち合いたい

 

心から体験したいんですよね。

 

 

本当は誰もが

 

一つである命の中で

 

愛し愛されたいと

 

心から望んでいるから

 

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