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好きな本とかについて、ちょこちょこっと書く場所です。蔵書整理の見通しないまま、特にきっかけもなく08年12月ブログ開始。

まんが解体新書

2024-04-25 18:52:06 | 読んだ本
村上知彦 一九九八年 青弓社
これは先月の古本まつりで、たまたま見つけたんで買ってみたもの。
っていうのは、著者の名前は、ちょっと前に読んだ『論よりコラム』に「アクション・ジャーナル」の執筆者だとあげられていたのをおぼえてたんで、ちょっと興味あったから。
副題は「手塚治虫のいない日々のために」となっていて、手塚治虫のなきあと日本のまんがの状況はどうなったのかといった感じ。
手塚治虫の亡くなった1989年から10年間くらいで書いたものを集めた構成なので、なんかあちこち似たようなこと書いてある気がするのはしかたない。
90年代後半の問題意識としては、1995年に六百万部いった「少年ジャンプ」がその後は急激に失速して、1997年には「少年マガジン」にトップの座をゆずって、なんかもうマンガ出版は衰退してって子どもたちはゲームとかそういう方に行くんぢゃないの、みたいなのがあったようだけど、
>限りなく専門化・細分化を繰り返すことで大きくなってきたまんがは、読者のニーズを追うことに夢中で、それを広める努力を怠ってきた。その結果、専門外のジャンルになると読者にもわからない、閉じられた世界を形づくってしまったように思える。(p.122)
みたいに問題点をついて、誰もがおもしろいと思えるようなマンガが出てこない状況を解説してくれてる。
それより前の1993年時点で、1990年には「ちびまる子ちゃん」と「沈黙の艦隊」のふたつが社会現象的なヒットになったんだけど、世間でのとりあげかたについて、
>(略)要するに〈売れている〉こと自体が話題になっているとしか思えない。(略)肝心の作品の面白さについて語ったものは皆無に等しかったと思います。要するに、なにかまんが自体というよりは、まんがについての〈情報〉だけが独り歩きしていて、話題になっているとはいっても、本当にちゃんと作品を面白がって読んでいる人は、ほんのひとにぎりじゃないか、まんがを、世間の話題として知っている「読者」と、作品としてのめり込んで読んでいる「読者」とのあいだには、越えがたい溝ができてしまっているのではないかと感じたわけです。(p.86)
というように指摘して、なんかマンガをちゃんと読めてるひと多くなさそうなのに、マンガメディアみないなものが膨れあがっちゃってるのは大丈夫かね、といったあたりを見せてくれてます。
それよりさらに前、1991年に書かれた項では、高校生ってのはマンガをよく読むものだとしながらも、
>(略)彼らからまんがを取り上げることなどできはしない。多くの読者にとって、まんが作品の個々が持つ内実など、実はどうでもよいことなのかもしれない。それは管理された予定と予定のあいだのコマぎれの自由な時間を埋めるのに、最も適したメディアであり、そこに用意されたレディーメードの物語は、このあらかじめ定められたレールに乗ったような予定調和の現実に束の間の解放感を与えてくれる。そこに見つけるさまざまな感情、言葉、出来事に対する反応のパターンは、友人たちとの共通認識として、面倒になりがちな人間関係を円滑にやり過ごすためのツールでもある。(p.82-83)
といって、ただ情報を消費してるだけなんぢゃないの、ちゃんとマンガを読んでいるかい、という点を問題にしてます。
それより前の1990年には、一部のマンガが初めて「有害」図書指定されるとかって世の中の動きがはじまってるんだけど、
>だが、このようなまんがに対する規制が起こるときぼくが気になるのは、それ以前の段階でまんがの内容自体に対する批判や検討がほとんどなされないことである。どんな描写があったかではなく、何が表現されたかをまず語らねばならないはずなのに。まんが批評の非力を感じるのはこんなときだ。(p.48)
というように言ってるのは、やっぱ表面に描かれてることだけぢゃなく、ちゃんとマンガ読もうよってのがベースの意識にあるからなんぢゃないかと思う。
それで、そういうときに、手塚治虫だったら黙ってやりすごさないで堂々と反論してんだろうにな、って思いは常にあるようです。
コンテンツは以下のとおり。
第1章 手塚治虫のいない日々
 1 不在の耐えられない軽さ
 2 アナザー・ワン・マンズ・ドリーム
 3 まんがはなぜ「差別」を描くのか
 4 まんがにおける性表現
 5 セックスと嘘とステレオタイプ
 6 まんがやビデオの影響という「物語」
第2章 全てまんがになる日まで
 1 物語ることへの欲望は消えたか
 2 「コミック文化」の現在
 3 まんがは高校生になぜ読まれるのか
 4 職業としてのまんが読者
 5 まんがは活字離れを進めるか
 6 まんがは「歴史意識」を持ちうるか
 7 『少年ジャンプ』と子どもメディアの現在
 8 まんが通りの曲がり角
 9 ルールが変わった?
 10 『ガロ』的なるものをめぐって’80~’90
 11 オンリー・トゥモロー
第3章 「戦後まんが」への挽歌
 1 君去りしのち
 2 入魂の遺作『あっかんべェ一休』
 3 長井さんと、話さなかったこと
 4 そしてだれもいなくなった
 5 「神様」との闘い
第4章 まんがスクラップ・ブック
 1 “虚構の性”をめぐって
 2 孤独な慰霊碑
 3 『ジャングル大帝』オリジナル版の復刻
 4 『ブッダ』
 5 幻の『火の鳥』を追いかけて
 6 『ブラック・ジャック』と手塚まんがの“永遠の生命”
 7 かわぐちかいじ『沈黙の艦隊』
 8 山本直樹『YOUNG&FINE』
 9 安達哲『さくらの唄』
 10 矢萩貴子『仮面舞踏会』
 11 内田春菊『けだるい夜に』
 12 ねこぢる『ねこぢるうどん』
 13 田中たみい『スイマー、千年の夏』
 14 柴門ふみ/糸井重里『ビリーブ・ユー』
 15 吉田秋生『ハナコ月記』
 16 柳沢きみお『形式結婚』
 17 上村純子『あぶない!ルナ先生』
 18 山本直樹『ありがとう』
 19 明るい絶望・元気な倦怠
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桜を見に行きそこなって、チューリップ

2024-04-17 19:00:02 | 横浜散策
んー、いつも春には、いちどくらいは、桜咲いてるとこを見に行くようにしてんだが。
(歩いてける範囲か自転車で行けるとこまでだけどね。)
ことしは、なんか知んないけど、どこにも行かなかったなー、気づいてみれば。
暖冬だとおもってたら、意外に桜が開花するのが遅くて、咲いたと思ったら、あっという間に満開になったと聞いたんだけど。
用がある日があったりヒマな日に限って天候わるかったりして出かけないでいるうちに、さっさと桜は散ってしまったみたい。
(あと、ひとが多い日曜日とかには騒がしい場所へ出かけたくないのよ、私は。)
べつに桜の樹の下で酒飲んだりしたいわけでもなかったが、なんか残念。
代わりにというわけではないが、横浜公園の花壇のチューリップが例年のごとく咲いてたのを、先週のうちに見に行ってみた。

この球場は好きなんだけどね、球団のやることがあまり好きになれないんだよね。(←『次の野球』読んだころから変わらない。)
試合後のイベントをやりたいから、試合開始時刻を早くするとかね、野球以外にいっしょけんめにみえる、優先順位がそっちなんだろうと思う。
(たぶん、野球以外で社会現象になりたくてたまらなくて、きつねダンスに話題もってかれて悔しがってんぢゃないかと想像する。)

いま、もとの市役所跡地になにやら高くなりそうな建物つくってるっぽい、何年かしたらまた景色がちがってくるんだろうか。

日本庭園部分があって、なんかトシとるにつれ、そっちのほうが気にいってきたことに気づいた。

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激突!

2024-04-10 19:03:06 | 読んだ本
リチャード・マシスン/小鷹信光訳 一九七三年 ハヤカワ文庫
私がこれまでリチャード・マシスンが読みたくて古本を探してると言ってたのは、じつはこれを探してたんですねえ、去年の10月についに手に入れた。
いまから5年以上前かな、いちど神保町で見つけたんだけど、値段が高くてびっくり、迷ったけど、文庫でいくらなんでもそれはないだろ、と思って見送ったんだが。
その後どこでも見つからんから、数か月後だったかに、やっぱり買っとこと思い立って行ったら、もうなかった、とかく古本とは一期一会である。
ちなみに今手元にあるやつは1991年の七刷で、カバーにある3%の税込定価に対して、神保町の古本屋で私を当時驚かしたのは、そのざっと四倍くらいの値札だった。
で、あちこち古本屋に入っては見つかるとは思えないが探してた日々が続いたあと、去年だったか一昨年だったか地元の古本屋で見つけたんだが、これが数年前の値段のさらに三割以上増しになってるんで、それはないだろさすがに、と断念してた。
どうでもいいけど、いちど電車のなかでペーパーバック読んでるひと見かけたことがあって、廉価であるなら英語版でも読んでみるかあと思ったこともある。
まあ、ともかく、探しつづけた結果、まあこのくらいならと自分が納得できる買い物ができたのは、昨年中いちばんの収穫ではあった。
んで、満足してというか、興奮をクールダウンさせてというか、しばらく大事にしまっといて、最近やっと取り出してきて読んでみた。
さて、それはそうと、なんでそもそもこれを読もうと思い立ったかってことを、ほぼ忘れかけてたんだが、いろいろ考えたりしてみたら、きっかけは町山智浩さんの『トラウマ映画館』を読んだときではないかと判明した、いまから6年ちかく前ですね。
『バニー・レークは行方不明』という映画をとりあげた章のなかで、
>プレミンジャーは「消えた旅行者」の話が人々を恐怖させ続ける理由がわかっている。それは実存的不安だ。人は周囲の記憶と書類なしには証明できない不確かな存在なのだ。その意味でこのジャンルの最高傑作は『恐怖のレストラン』の原作者でもあるリチャード・マシスンの短編小説『蒸発』だろう。(『トラウマ映画館』p.21)
って一節があって、興味もったんだろうと。そんなおもしろい傑作あるのなら、ぜひと。
そこから「蒸発」読んでみたい、「蒸発」どこだ、なに「激突!」って文庫に収録、と調べがついてから探し求める旅が始まっちゃったんだろう。
読んでみれば、収録作はわずかに5つの短篇集、巻末に訳者解説あって、長篇・短篇の作品リストがあるんだけど、表題作が1971年と当時新しくて、あとは1953年の作品だから、表題作を日本で出版したくて、あとは適当に集めたのでは、という気がしないでもない。
その表題作「激突!」は、スティーヴン・スピルバーグの初期監督作として有名だからねえ(有名なんだよねえ?)、その映画も同1971年につくられたらしい。
どうでもいいけど、私ゃ、映画としてはそのあとの「続・激突!」のほうが好きだ、続編でもなんでもなくて違う話なんだけど、ゴールディ・ホーン(主演女優さん)がなんつってもいい。(「潮風のいたずら」も私のフェイバリット。)
「激突!」はその映画のおかげもあってストーリーも知られてるだろうけど、ひょんな追い越ししたことから、トレーラーに執拗におっかけられる恐怖の話だ、原題は「Duel」なんで決闘って意味なんだろうが、どうして邦題「激突!」になっちゃうのか、そのへんはよくわからん。
「狂った部屋」は作家志望だけどなかなか創作ができない英語教師の男がカンシャクを起こして、家の中の物にあたりちらしたりするんだけど、なんか「ミステリーゾーン」にこんなのあったなと思った、「機械に脅迫された男」と似た感じかな。
「スローター・ハウス」は古い邸を買った二十代の兄弟が亡霊に悩まされるというか憑りつかれる展開、同じ作者の『アースバウンド』は前に読んだけどその原型って感じかな。
「不吉な結婚式」は、前に読んだことがあった、『リアル・スティール』って文庫本のなかに「結婚式」って題で入ってたよ、
>とにかく木曜日に式を挙げることはできない。木曜日は、悪魔が自分の母親と結婚した日なのだから、と彼は彼女にいった。(p.213)
って書き出しが印象的なんで、おぼえてた、なんとも狂気じみてていい、普通ぢゃない感いっぱい。
肝心の「蒸発」がどんな話かは書かないでおこうっと、書き出しは、
>以下の記録は二週間前ブルックリンのキャンディ・ストアで発見された大学ノートに記されていたものである。カウンターの上にはこのノートと並んで一杯の飲みかけのコーヒーがあった。店の主人によれば、ノートに気づくまでの三時間、誰もその席には坐っていなかったという。(p.181)
である。うふふ、うふふ。
収録作は以下のとおり。
「激突!」 Duel(1971)
「狂った部屋」 Mad House(1953)
「スローター・ハウス」 Slaughter House(1953)
「蒸発」 Disappearing Act(1953)
「不吉な結婚式」 The Wedding(1953)
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キライなことば勢揃い

2024-04-03 18:56:29 | 読んだ本
高島俊男 2004年 文春文庫版
「お言葉ですが…(5)」ということで、前に読んだ『広辞苑の神話』につづくもの、先月に古本買い求めて、わりとすぐ読んだんだが、前作読んでからだいぶ間隔あいたのは、私が多少飽きたからってのはあるかもしれない。
初出は「週刊文春」の1999年から2000年ころで、単行本は2001年だという、シリーズも5冊めになると、巻末あとがきに「読者の皆様のお手紙がたより」なんて言って、本文中に56人からの手紙を引用したなんて振りかえってあるんで、わからんことあったら読者が教えてくれっかもしれないって姿勢がやや感じられる。
タイトルの「キライなことば勢揃い」ってのは、誰でも嫌いな言葉はあるだろって話題で、「体調をくずす」とか「慎重」とか「ふれあい」とかが気色悪いとやっつけたとこで、読者からもキライなことばを募りますよと企画にしちゃったら多く寄せられたという。
数の多かったのは、「させていただきます」とか「じゃないですか」とか「あげる」とか「いやす」とか「な」だというんだけど、「あげる」への考察がいいねえ。
>「あげる」を変なふうに使う人、これはもうハッキリ、ことばに対する感覚がにぶい人ですね。
>〈こどもの勉強をみてやる〉
>これはだれのこどもと言わなくても自分のこどもにきまっている。(略)
>〈こどもの勉強をみてあげる〉
>これはよその子である。(略)
>「やる」と「あげる」とのちがいは、上下関係ではなく距離のちがいである。だから、「おふくろにみやげを買って帰ってやる」(略)のごとく、ちかければ親でも「やる」である。「あげる」では他人になってしまう。
>日本語に主格や所有格がたいてい不要なのは、動詞のちがいで区別がつくからである。「申しておりました」と言えば主語は身内、「おっしゃっていました」なら他人だ。「やる」「あげる」の関係も同じ。このちがいがわからない人というのは、ほとんど日本人とも思えぬ。(p.72-73)
ということ。
いま引用してても思ったんだけど、ひらがなでの表記が多いな、前に読んだもののなかでも、いわゆる正しい漢字を使えなんて言うつもりはない、大和言葉はかなで書いたほうがいい、みたいなこと主張してたと思うけど、本書のなかでも文字とその読みについてとりあげてるとこがあって、おもしろい。
新聞の見出しに「何処に」って字がある例をあげて、これは「ドコに」と「イヅコに」とどちらが正しいでしょうか、と出題しといて、どちらでもOKなんだという。
>こういうばあい、「これが正しいよみ」と一つにきめつけて他を排除する態度は、それこそがまちがいである。日本語の書きことばには、そういうユウヅウムゲなところがあるのですね。文字が意味をあらわしているからよみは複数あってもいいのだ。
>「いやそれじゃ困る」というのは、幼児的、あるいは文部省的発想である。(略)
>戦後某文庫のたぐいが、戦前の文章に勝手に手をくわえて出す。その際むやみにふりがなをつける。あれは実によろしくない。第一に、よみを一つに限定して読者に強要する押しつけがましさ。第二に、どんなばあいも正しいよみが一つだけあると頭から思いこんでいる愚かさ。二重に不快である。(p.170-171)
っていうんで、唯一の正解をあてないとテストで丸がもらえないって性分で育ってきちゃった私なんかは目からウロコである。
難しい言葉つかって難しく書きゃあいいってもんぢゃないって話もあって、なんでも、とある地方で講演会を催すときは講演者には専門用語など使って難しく話せと、そこの教育委員会の人は頼むんだそうで、そうしないと聴衆が感心しない、
>わかりやすい話だと、
>「きょうの人は、ありゃあ大した人じゃないなあ。あんな人しか来てくれんかったんか」
>と落胆し、先生はばかにされ、教育委員会は人物招致能力をうたがわれる。(略)
>誇張はあるのかもしれないが、このお役人の話はいなかもの根性をよく言いあてている。(略)
>本を書く人や講演をする人にも、むずかしいのが高級だと思っている人種は多い。(略)
>日本人がいなかものなのである。かつては支那に対して。明治以後はヨーロッパに対して。
>先方が日本をいなかあつかいするわけではない。先方は日本の存在すら知らない。
>日本人が勝手に、漢字や英語をあがめ、それを多少解してわけのわからぬことを言う日本人を尊敬し、自分たちにもわかることを言う者を「あの人は程度が低い」と軽視してきたのである。(略)(p.36-37)
というように、歴史的背景というか日本のしょうもない一面を解説してくれるのは参考になる。難しいってのはホメ言葉にゃならないよと。
コンテンツは以下のとおり。
うるまの市
 玉川上水万助橋
 「もらう」と「ひろう」
 うるまの市
 去年の一番
 ミイラの話
 河盛好蔵先生
 手紙時代の終り
 オムニバス
キライなことば勢揃い
 ふれあい図書館
 キライなことば勢揃い
 みんな仲良くあたたかく
 電話を入れる
 「電話を入れる」ふたたび
 「実家」の移動
 ラーメンちょうだい
 コクタイ談
「よし」「だめ」の怨念
 学童疎開
 幼い学童疎開
 文学部がはやらない
 どこで切れるの「文学部」
 何代目?
 日本人の英語信仰
 「よし」「だめ」の怨念
 「よし」「だめ」誕生秘話
何処のさとのならひぞや
 何処のさとのならひぞや
 消えたジッポン
 玄米四合
 交戰已に四歳
 虫めづる姫君
 まだまだあった「まぜこぜ語」
 「使う方」ではわからない
 ごらん、かんたん、だいじょうぶ
「白」はぬきみか cold か
 符号は意味をハッキリと
 ピンからキリまで
 白兵戦はお家芸?
 「白」はぬきみか cold か
 「白兵」その後
 丁のいろいろ
 内心ジクジ
人生テレコテレコ
 カンコツダッタイ
 書きたまったのだあれ?
 誤訳自殺事件
 つなぐ、つなげる
 人生テレコテレコ
 なぜカズオなの?
 結構ずくめ金ずくめ
 今昔ホームレス
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イイ大人

2024-03-28 19:20:06 | マンガ
泉昌之 1988年 河出書房新社カワデ・パーソナル・コミックス
これは去年9月の古本まつりで見つけて、つい買っちゃったもの。
なんでかっていうと、おなじ作者の『ダンドリくん』のなかで主人公ダンドリくんが、
>これ 前にも河出書房新社の「イイ大人」 って本の中でボク言ってんだよね
って宣伝しながら言ってるコマがあって、妙にタイトルが記憶に残ってたんで、おおコレがそうかって思ったもんだから。
ちなみに、ダンドリくんが単行本の舞台を変えてまで何を同じこと言ってるかっていうと、朝の駅で
>自動券売機で順番が来てから小銭を出す人 小銭を入れ始めてから目的地までの料金を調べる奴!! ダンドリがなってなーい!!
ってことなんだが、いまになってみればそういう光景、もうあんまり見ることないよねえ、いまだったらどうなんだろ、自動改札に入ってくとこで残高不足と機械に指摘される奴、とかになるのかなあ。
というわけで、この短編集読んでみれば、なかになんと「ダンドリくん」があった、読んだことなかったものなんで驚いた、初出は「スーパー写真塾」となってて年月日は書いてなかったが、もしかしたらこれがオリジナルで、「アクション」で初登場ぢゃなかったのか。
ほかには「一見の客」は、『食の軍師』でもおなじみのキャラクター本郷播が登場して、初めて入った店が酒も肴もとてもよくて、いい店を見つけたとひとり悦に入るんだが、やがて意外な展開が待ち受けているという、泉昌之によくある、らしい一篇だし。
「宴会の日」は、会社の仕事おわりのあとの部署10人くらいでの宴会なんだが、どの席にすわって周りのメンツどういうのがいいかとか作戦考えるんだがうまくいかない、って「最後の晩餐」なんかに似たテイストの話。
おなじことばっかりやってるなあと思うが、そこが安定感のあるおもしろさではある。
コンテンツは以下のとおり。
一見の客
宴会の日
ダンドリくん
豪快さんH
紐育の恐怖
狂った肛門
泉晴紀と久住昌之の「門外不世出写真一挙公開」
食物人間
ヤマダ怒りの朝
生活劇画OBASAN
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