磐城平城・本丸御殿跡とみられる遺構出土 | いわき情報堂

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磐城平城本丸跡でのいわき市の発掘調査で、本丸御殿跡とみられる遺構が発見されたことを伝える記事〔福島民報 2020年8月26日〕。

記事によると、江戸時代の幕末、戊辰戦争の火災で焼失した磐城平城・本丸御殿跡の建物の基礎構造部となる礎石などが確認された。専門家によると、基礎構造が良好な状態で残る遺構は全国的に珍しい。
 
 
 
 
 
本丸御殿は、藩主の住居および藩の政庁として政務を行う場所。
本丸御殿跡の遺構発見のニュースが出る前の先日、磐城平城本丸跡付近に行ったところ発掘調査実施の看板が掲げられていました。この時は、まさかこんな大発見があるとは思いませんでした。

 
戊辰戦争では磐城平城で攻防戦が行われ、磐城平藩も参加する奥羽越列藩同盟軍が新政府軍の攻撃を二度退ける。
慶応4(1868)年7月13日、新政府軍三度目の攻撃「第三次磐城平城の戦い」。新政府軍は磐城平城の外郭を突破し本丸へ砲撃、同盟軍も本丸の砲台から迎撃し激戦となり、戦いは夜になっても続く。同日の夜遅く、磐城平城・本丸御殿内の一室に磐城平藩の各部隊長が集まり軍議が開かれる。軍議では情勢が報告され「弾薬が尽き、新たな援軍も期待できない中で、これ以上の戦闘継続は困難」と判断し開城することを決定。同日深夜、磐城平藩と援軍の相馬中村藩の部隊が磐城平城を退去、城に火をかける。
磐城平城は堅城で、新政府軍の城内郭への侵入を最後まで許さなかった。
 
戊辰戦争での緊迫した場面で最後の軍議が行われた場所である磐城平城・本丸御殿。 
今後、磐城平城本丸跡に整備される「磐城平城・城跡公園」で本丸御殿跡の遺構が活かされ、地域の歴史に光が当たることを期待します。