パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

「責任と判断」{付箋部分の拾い読み)

2020年03月30日 10時38分48秒 | あれこれ考えること

尿路結石は良くなったと思ったら、時々薬を飲まないと
そのことが気になって仕方ない状態
以前ほどではないというものの、ちょいと憂鬱

気力も低下しがちでぼんやりしているが、それでも今、気になって仕方ないのは
官僚さんは上司の命令に何故従ってしまうのか、、という点
(普通に考えるとすべきでないことも)

法令的に、職務上の上司の命令に従わなければならないとの決まりがあるからか
とかマックス・ウェーバーの著作でいろいろ解説されているが
読んだときはわかった気になれても、感情にストンと納得できないままでいる

それで再読し始めたのがハンナ・アーレントの「責任と判断」
といっても長いセンテンスで気楽に読めるたぐいではないので
前回付箋を付けておいたところを読み返している

すると「個人」とか「道徳心」とかの概念がとても重要なキーワードとなっている
「自分は歯車に過ぎない。自分がしなかったら他の誰かが行う。
  自分が行わなかったら自分が殺される。
 その境遇になったことのない人が果たして自分を裁けるのか?」
これらはアイヒマンが訴えた点で、そのような考え方を当然のことながらアーレントは批判している
「どのような理由で歯車でいることを受け入れたのか?
  良心はどうなったのか?良心は何故機能しなかったのか?」

この良心につながる道徳心は一種の義務の感覚
この感覚はどこからきているのか、、と精緻に考察されていく
すると明らかに当然のこととされていることに「自分の中のもうひとり」の概念がある
社会とは「人と人との関係」だけでなく「自分の中のもうひとりの自分との関係」
とまで言い切っている
この「もう一人の声」が道徳心とか良心に通じるもので、最近読んだ
「戦場のピアニストを救ったドイツ国防軍将校」のヴィレム・ホーゼンフェルトとか
週刊文春で明らかにされた赤木さんは「内側から起き上がってくるこのもう一人の声」
に従った、、、ということになりそうと勝手に思っている

現在の官僚さんの姿を中継で見る限りは、この内的な自分の声を聞いている印象は
持つことができない
感じられるのは「自分の利益に向かって活動する経済活動」のような
それ故に行動すら計算によって予測されそうな、それは果たして自由な人間か
と思わせるような、、パターン化された人間像

でも、道徳心とか、良心とか、内的な自分の声を聞いている人物は
確率的には絶対にいるはず
問題はそういう人たちが、いつになったら声を上げるか、、ということ
そして思うに、そういう人たちは一次資料となる文書をきっと残しているだろう
それが「自分との関係の折り合い」に違いない、、と思ってしまう

それにしても、アーレントは深い、、、
 


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