パンセ(みたいなものを目指して)

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「経済学と倫理学」を読んで連想したこと

2020年03月25日 08時28分38秒 | 

最近、理解できるかどうかが不確かでも小難しい本を読んでいる
少し前はフーコーの「監獄の誕生」「処罰社会」
確かにわからないことが多いが、それでも簡単に読み飛ばせる本を読んでいる時よりは
充実感があるような気がして、つまりはより強い刺激を求めて、更に更にと求めてしまう
(読書にブレーキが掛かったときはお気楽なミステリーは良いアクセル役になる)

昨日読み終えたのがアマルティア・センの「経済学と倫理学」

世の中には知らない事が多い
この本に出てくる「厚生経済学」「パレート最適」などは初めて目にする言葉で
経済学を習ったことのある人には、知ってて当然のことでも素人はいちいち「厚生経済学」
をネットで調べて、わかったような気になって本を読む進めることになる

相変わらずの消化不良だったが、読んでいて納得できたのは多分この人が一番言いたかったことで
経済学の工学的アプローチ優先の姿勢は、人間は自己利益の追求を単純にモデル化しているので
それだけでは人間社会はカバーしきれないし、幸せにはなっていけない、、、ということ

そこで読んでいて頭に浮かんだのが、少し関係ないが最近の国会の官僚さんたちのこと
国会中継を見た多くの人は官僚さんの無理筋な答弁、弁解に疑問を感じる(怒りも)
そしてそれは公務員の法的な縛りによるもの(上司の職務上の命令には従わなければならない)
よりも、人事権を内閣に握られて出世するには内閣の求める様にしなければならないという考え方で
つまりは個人の利益(出世)のために官僚の多くは働いているに違いない、、
と単純化された考え方が一部の人の中には広がっているが
それは本当にそうだろうか、、ということ
確かにそう考えるとわかりやすいし、その可能性はかなり高い(工学的に説明できる)
しかし、どういうわけか世の中には例外が存在する

災害ユートピアという言葉がある
災害が起きた時に(短期間でも)人々が力を合わせて助け合う様を表現している
同時に火事場泥棒という言葉もある
ドサクサに紛れて自分だけが得しようとする人たちのことだ
自己利益の追求を数学的にモデル化するだけでは、この火事場泥棒のようなひとを
典型的な人間の行動様式として定義してしまうのではないのか、、、と

世の中には本当にいい人がいる
その人が一日のいつの時間もいい人であることは難しいが、それでもその人が関わる行為は
その自発的な心意気は「いい人だな」他人に思わせるなにかがある
どういうわけか、いい人も悪い人もいる(のが世の中)
それは人が生き延びるために自然に備わった確率的なものだろうか(と考えてしまうことがある)

ということで人をモデル化とか単純化することは、総合的な理解は進むかもしれないが
それだけでは充分では無いということ

話は飛ぶが(市民の)モデル化という例では、自分が関わったことでは選挙絡みのことがある(公開討論会)
だが市民は主権者、納税者、生活者のそれぞれの立場を無意識に生きている
選挙時において普段意識していない「主権者」の立場を要求され、その主権者がモデル化された
なんでも知ってるな市民とされるのは、、
実はどこにも存在していない架空の人たちを前提にしているようで、リアリティを感じない

ということで、連想は行き先を定めず勝手に羽ばたいて支離滅裂な事になってしまったが
まとまりのないのは毎度のこと、仕方ない(ボケ防止にはなっているだろう)

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