ふぶきの部屋

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日本一運のいい女ー新皇后の肖像 8

2018-10-20 07:00:00 | 日本一運のいい女 雅子皇后の肖像

 FOCUS1991年8月16日号

「最初の浩宮妃候補小和田雅子さんのその後の家庭

 

 女性自身1991年8月20日・27日

「周辺再浮上!皇太子妃はやっぱりあの小和田雅子さん 応援の声事情」

 まさにあれだけはっきりと「私は関係ありません!」って言ったのに、カレシや不倫相手が複数いるって報道されたのに、それでもなぜか「お妃候補」に再浮上してしまう小和田雅子さんは奇々怪々です。

 女性週刊誌が応援に回ったという事はやっぱり裏には「美智子さま」がいたのか?というような気もするんですけど。

 

 FLASH1991年9月3日号

「小和田雅子さんと父・恒外務次官内規違反発覚!父親用に発行「駐車許可証」で外務省にマイカー通勤していた有力お妃候補の失点」

 この記事なんて、父親名義で借りた駐車場を娘がちゃっかり使っていた。外務省の新人は車通勤は許されないのに。管理室もマスコミに「娘が使っているんじゃないの?」っていわれて「まさか。恒氏からいわれて発行したのに」と驚き、でもすぐに登録は取り消され「あんたがづべこべいうようなことじゃない」とか「一時的に使用していたと‥思う」というような答えに。

 

 女性自身1991年12月24日・1月1日号

独走スクープ!小和田雅子さん聞こえて来た「正式ご求婚(プロポーズ)があればお受けします」発言!皇太子妃来春決定説の全シナリオを追う」

 

 FOCUS1992年1月3日号

皇室の最重要課題」32歳を迎える皇太子のお妃選び

最近、小和田さんが、“皇太子さまご自身、あるいは皇后さまから直接、お言葉をいただいたら……”と漏らしたという話が親戚筋から伝わっています」

 女性自身1992年1月7・14日号

「皇族からも聞こえて来た皇太子妃には小和田さんしかいないの声」

 女性セブン1992年1月2日・9日号

「どうしても消えない皇太子妃候補小和田雅子さん」

 微笑1992年1月11日号

「皇太子妃か女性大使か小和田雅子さん母激白「娘は過労死しそうです」

 女性自身1992年1月21日号

皇太子妃」独走スクープ第3弾!皇太子さま32歳の誕生日に2月23日に重大発表が?」

 

今もそうですけど美容室には週刊誌が沢山おいてあって、いつも女性が目にしていたわけですけど、こんな記事がでるたびに「あれ?まだお妃候補なの?」って思ったに違いありません。けれど時はバブル末期で皇室の事より自分の事の大事だし、皇太子はそんなに人気がなかったし、だから何となくスルーしている間にあっという間に既定路線になってしまったという感じです。

当時はまだ「美智子さまオーラ」がすごい時期で「苦労してきた美智子妃がやっと皇后陛下になれたんだわーしかも嫁を貰って孫まで出来て」みたいな感じでしたか。また、都市伝説として「紀子妃堕胎説」が出て来たのもこのころです。

思えば全部しくまれていたんですよね。それだけ秋篠宮家の人気はすごかった。その視線を何とか「小和田雅子」に持って行きたい勢力がいたということです。

それにしても「皇太子妃か女性大使か」って・・・盛りすぎよね。社会的ルールを守らずにコネを使いたい放題だったのに。もし件の不倫説が本当なら彼女の心はこの時期はまだまだ皇太子には向いていなかったことになります。本当に長い年月、執着しつづけた皇太子ってストーカーみたいと思ったし、5年経とうか人の本質というのは見えないものなんだなと思いました。

まして「あっちから言ってくれたら承諾する」という意志を出し始めた小和田家の少々の焦りが見苦しすぎてね。


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5 コメント

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ナルさんがこだわらなかったら (満開彼岸花)
2018-10-20 13:16:22
ナルさんが「ぼくちゃん、これがいい~」と雅子さんに拘らなかったら、雅子さんはまた恋愛して、民間人と結婚していたでしょう。
そしたらその後は週刊誌に載ることもなかった。
まあ、「あのお妃候補は今」くらいでしょうか。
どっちがどっち?という感じですが、雅子さんにスキャンダルがいっぱい出ても、ナルさまが引かなかったら認める以外なかったのでしょうね。

全身写真はやはり仁王立ちですね。
国民へかざした印籠はキャリアと皇太子のご執心 (花物語)
2018-10-20 17:12:50
5年後に再浮上した時は、二つの点で驚きました。

1,え?このお嬢さんまだ結婚していなかったの?
選びすぎて売れ残り?それとも本物のキャリア志向?

(↑後年、どちらも違っていたことが知れることになりましたが、どちらかといえば「売れ残り」が実態に近かったともいえますね。)

2,皇太子がそれほどまでに彼女のことを気に入っていたとは!
彼女は皇太子をバカにしているというか、下に見ているようだが、皇太子はそういうところは気にならないの?それとも、二人きりの時は、また別なのだろうか?
(↑結局のところ、バカにしっぱなしでしたね。)

「本当にこの女性と皇太子、うまく行くのか?」と、一抹の不安を抱いた国民は、私だけではなかったでしょうが、まさか彼女の輝かしいキャリアが上げ底とは知らない者達は、聡明な女性が決心したのだから、それなりの覚悟もあるだろう。
何より皇太子がそこまで執着しているのなら、認めるしかないだろう。と、いうどこか覚めた雰囲気だったような。
ミッチーブームを知っている私には、雅子様フィーバーはどこか作り物めいたものに感じていました。
ですから、結婚後の雅子様に「おっかけ」するファンがいることが不思議でたまりませんでしたが、「演出」「動員部隊」と聞けば納得です。
 
紀子様の堕胎都市伝説
ネットのない時代ですから、口から口の噂話で広がりましたね。
しかし、お二人は結婚前にすることはされていたでしょう。
交際後まもなく結婚の意志があったこと。お二人の交際がスキャンダルにならないように、殿下の学友たちが協力しあってお二人を守ったこと。
を、御成婚時に学友達が番組で語っていましたが、確実に結婚の意志を確かめ合った若い二人が、周囲の応援もあれば、当然そうなることだってあるでしょう。
今ほど婚前交渉、同棲が一般的でなくても、世間では「身重の花嫁さん」がちらほら出てきたころでしたね。
秋篠宮殿下も独身のころは、チャラ男とまではいかなくても、ブレスレットをちらちらさせた軟派でいらっしゃった。
することしている仲、が、堕胎説に発展したのかもね。
御成婚時の紀子様が殿下の前髪を直される様子に「二人は出来ている。」と確信をもった者も多数います。
もちろん、することされていても、紀子様の値打ちが下がることはありません。
婚約会見で、「殿下は初恋の人です。」と、はにかんで言われた紀子様の可愛らしさに「たとえ何があったとしても、おめでとう!」という気持ちでしたわね。
まさに日本一 (いっちょかみ)
2018-10-20 17:20:12
このシリーズ、懐かしく、嘆かわしく、読ませていただいています。
日本一運のいい女が、なぜだか、日本一いい女に見えてしまい、まさかまさか、日本一ふてぶてしい女だとか、日本一さぼりぐせのある女だとか、いろいろ日本一の称号は差し上げてもよさそうですが、運のよさでいきますと確かに日本一?日本一コネを使って身の丈に合わない人生を選んだ女として、君臨されてはいましょう。
私は紀子妃殿下の少し下の年齢で、都内の女子私学に通っていたせいもあり、礼宮さまのご婚約フィーバーは、話題の的でした。
女子学生らしく、礼宮さまは素敵だからかわいい彼女がいるのね、引き換え、浩宮さまは、ねぇと。
社宅にお住まいだったことを、いかにも庶民かのようにもの珍しく報じていたのは、違和感でしたよ。
むしろ、社宅にお住まいならば、優良企業にお勤めだわね、え?学習院の先生?帰国子女?それなら、ご立派なご家庭、さすがよね、礼宮さま、でした。

雅子さんのことは、婚約が決まったとき、実は恥ずかしながら存じ上げなくて、こんな方、いらした?と思いました。
浩宮さまのお妃候補は、ふぶきさんが取りあげてくださったとおり、たくさんたくさん(笑)いらして、どの方も名士のお家柄だし、中にはやんごとなきおひぃさまもね、いらして。
だから、その中のひとりが選ばれたのだから、きっと相応の方なのだろうと思いました。
が、が?会見で、お口をひん曲げて殿下よりたくさん話して、話し方は変だし、まとまりがないし、肌は浅黒くて、目付きはおかしいし、変な服、派手なひとだなぁと、これが率直な感想でした。
その後のことは、ここに語るに及ばず、そして今、あんなひとが皇后陛下?笑わせないでください、といったところです。
コウノトリって… (サニー)
2018-10-21 00:30:33
新皇后の肖像シリーズ、とても興味深く拝読しております。ふぶきさん、ありがとうございます。ご成婚の頃、私は高校生でした。思春期の娘として、紀子さまのことは、その可愛らしさ、奥ゆかしさ、美しさに大変憧れました。まさに、「プリンセス」でした。が、雅子さんは、婚約会見のときの話し方に、「他の皇族の方とは違うな」と違和感を強く感じたことを覚えています。
そして、その後、お子様のことを聞かれるたびに、「コウノトリがどーのこーの」と皇太子さまはおっしゃっていたのが印象に残っています。でも、今考えると、子供、特に男子を産むことが、最重要の役割にいながら、なんと無責任な、呑気な発言だったのだろうと思います。不妊治療をするべきだし、していたのだろうと思いますが、それを公表するくらいの態度なら、世間の不妊治療カップルへの理解にも繋がったでしょうに。
来年、このカップルが、「日本の象徴」となることが、とことん残念です。
Unknown (木人)
2018-10-22 20:37:23
時系列でのご丁寧な検証記事たいへん貴重でありがたく拝見しております。
当時いかにマスコミに翻弄され洗脳されざわざわした違和感をおぼえながらなんとなく納得諦め受け入れるに至ったかを振り返り今起こっている小室騒動を改めて考えます。
同じ過ちは繰り返せません。
何が事実で何が嘘なのかわかりもしない週刊誌記事に右往左往するのはやはり間違いです。
単純に、雅子皇后受け入れ難い、小室はない。
それは正解で多くの国民の声でしょう。結果はどうなろうとも今は人事を尽くすべき時です。
見捨てたくなるような皇室の現状に疲れ無理に落としどころを作って諦め黙ってはいけない、改めてそう思いました。

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