昭和45年10月、鎌倉近代美術館のムンク展を鑑賞。
上質なシルクのスーツにふあっとした帽子。そしてバッグは当時は流行っていた形ですよね。
昭和46年4月東京・日比谷公会堂の身体障害者福祉大会。
なんだか、こっちの方が同じ服でもカジュアルに見えちゃう。
昭和45年11月、中央技能センターを訪問
ピンク尽くしのコーディネートの中でもやっぱりこの帽子がお気に入り。
昭和46年9月、昭和天皇ヨーロッパ訪問で羽田空港で。ピンクにはベージュを合せるのが美智子さま風だそうです。
昭和38年9月、山口国体を訪問したついでに宇部興産を訪問。
麦わら帽子が好きなんでしょう。でも当時はどうだったのかなあ。リゾートじゃないのに。
昭和45年9月、岩手夏季国体。これはかなり使いまわししているスーツですよね。
顔がやつれているのは、この頃がピーク?
帽子だけが異様に目立つ。
言葉は悪いけど岩手は使いまわしばかり。
コサージュが大きすぎるのもいつも通り。
昭和45年3月、平城京跡を視察。まさにモデル系の立ち方でポーズを決める皇太子妃。
皇太子は痩せた金正恩?
昭和40年6月、東京・東武デパートにて。「この角度から撮影を許す」といった感じのポーズ。ここまで水玉を好みで徹底的に着るってのも美智子さま流。
でも庶民はさぞやこの水玉が欲しかったろうなあと。
昭和49年11月、茨城県にて。立食パーティのようですが。
ベルトが印象的なスカートです。
袖も膨らんでいて少女漫画みたいですよね。
すでに鬘・・・・
どうして紺色のスーツに緑の帽子なのかわかりませんが。
昭和44年7月、日本点字図書館を視察。
眉毛が消えかかってますけど・・・・
これから段々ローマ法王みたいな服に固執するのは幾つくらいなのか?興味有ります。
植田さんが亡くなった頃から?その前から?
そうそう麦わらのつば広帽子のリボンは何であの位置なの。何方か教えて(笑)
決して、「明るさ」「健康的」「威厳」ではないですよね。本当は誰よりもお強い方だとは思いますが、弱さを装い、殿下に頼ってます風情が、なんとも気持ち悪い方です。話し方や発声など(特に英語)も、老女なのに、吐息混じりで勘弁してよと思ってしまいます。
話は違いますが、論談ネットの秋篠宮さまへの嘘の誹謗中傷の下品さは限度を超えています。
小野寺まさるという方も非常に怒っています。昔なら不敬罪ですよ。
岩手の美智子さまの左手首は包帯でしょうか。
恐いです。
美智子さまは綺麗なんですけど、若い頃の陛下の顔には
幼さも感じられて、親子に見えてしまうときがあります。
精神的にも美智子さまの方が大人だったのかなと
思いつつ拝見させていただきました。
芦田淳の時は、デザイナーとして譲らない所があって、美智子さまにも妥協しないから、まだ端正でまともなデザインだったのでしょう。それなりに似合っていますから。
植田いつ子の時からケープマントになったようです。
佐賀錦を使った海外の晩餐会ドレスなど、見られるデザインもありましたけどね。
今の滝沢直己はず~っと年下なので、意見を言えないのかも。
言う事聞かないのでしょうね。墓石色のケープマントばっかりで、小皿帽子。コンビシューズ。唯我独尊。
ふぶきさま いつも貴重な写真有難うございます。
懐かしく見ています。
なんかねぇ、色の組み合わせが、日本人ぽくないんですよね。。。
「えー?!?!、その色とその色を組み合せる??」
って感想です。ま、残念感が高い組み合わせ。
この組み合わせが「ふぁっしょんですの、ほほほ」と言われればそれまでですがね。
水玉のどアップ写真、もしかしたら、お化粧がくっきり? 私のPCのせいでしょうか。首の前面までファンデーションを塗っているみたいで、首の後ろ側と色が違うようにみえます。
こうして並べていくと、一つ一つは上質なのに、必ずどこかちぐはぐなところがありますね。工夫し過ぎて、変という感じ。
滝沢直己さん、以前はユニクロのデザイナーでしたね。
昭和45年ごろはもう見てられないですね。若い頃は肌にハリがあるおかげで痩せすぎも服のラインを
綺麗に出せる方向に向いていたのに、40に近いお年になるとご自身が洋服やアクセサリーに負けてる。
この辺りが若い頃の好みから転向すべき年齢なのですね。
他山の石にしなくては。
それでも皇室ウィークリーの汚い老婆と同一人物とは思えないですね。お年を召してもなお綺麗な方
富裕層には結構いますよね。今の美智子さま髪を美容師にセットもさせないのかしら。
しかし植田いつ子さんのあのデザインは奇抜すぎました。これからどんどんでてくるのでしょうが。
まるで舞台衣装となってしまいましたね。あれを目にするのは覚悟がいります。
シリーズが平成に突入するのがある意味怖いw。