2002年12月17日 オーストラリア シドニーの首相邸を訪問
シドニーの小学校訪問
シドニーの小児病院訪問。有名な「LIKE YOU」事件が起きた。
子供「プリンセスアイコの写真は?」
雅子「(写真を見せて)あなたみたいでしょ」
2002年12月17日 タロンガ動物園訪問
クェスタコンーオーストラリア国立科学技術センター訪問
2002年12月18日 戦争記念館訪問
総督夫妻と会談
2002年12月19日 キャンベラ訪問
満面の笑みで帰国
何だかとても長い1年でした。2002年は雅子妃にとってきっと忘れられないものになった筈です。娘を産んだご褒美としてあっちこっち静養しまくり、外国訪問も出来た。
それなりに母親としての幸せもかみしめることが出来た。様々な失敗はあるものの、それでも自分的にはいい1年だったのでは?
2003年1月1日 皇室ご一家
参内する皇太子一家
2003年1月10日 講書始めの儀
女性自身2003年1月28日号
「雅子様主治医公金不正流用疑惑で第2子決意へのご心痛」
2003年1月15日 歌会始の儀
「いちやう並木あゆみてであふ町びとにみどり児は顔ゑみてこたふる」
前年、神宮外苑散策の折の歌。しかしこの日は高円宮が急死した日。
2003年1月16日 今上陛下前立腺がんの手術
2003年1月17日 代行を務める徳仁
2003年1月23日 天皇を見舞う皇太子夫妻
2003年1月24日 群馬国体
老人ホームを訪問
2003年2月3日 ベルギーのロラン王子来日
2003年2月8日 青森県訪問 養護施設訪問など
2003年2月9日 青森県訪問 アジア冬季競技大会青森2003」閉会式
2003年2月15日 皇太子誕生日用画像
2003年2月8日 高円宮墓所祭
2003年3月15日 京都の料亭「岡崎つる屋」で夕食会
2003年3月16日 「世界水フォーラム」に出席
女性自身 2003年3月25日号
「英タイムズ報道の波紋愛子様(1)女性天皇の可能性
2003年3月 宮内庁職員文化祭に出品
2003年4月13日 葉山静養 海岸でよその子のペットボトルを取り上げる愛子内親王
女性セブン2003年5月1日号
「ほのぼの皇太子妃雅子様と本誌ママさん写真記者が育児談義
1歳4ヶ月の愛子内親王・・・ボール=ボ・ロバを「バ」と発音
2003年4月17日 春の園遊会
2003年4月23日 子どもの読書活動推進フォーラムでスピーチ
2003年4月25日 兵庫県淡路島北淡町震災記念公園で供花
雅子さんはわかりやすい性格ですよね。
子供が丈夫で正常だと思っているうちは得意で見せびらかして、そうでなかった時は引きこもる。自分の過去を見たのかもしれないと思います。
しかし、とにかくこの頃までは公務にも意欲的であり「産後のひだち」云々は絶対にないだろうという奮闘(?)ぶり。
さあ、これからどうなるでしょうか。
もともと、宮内庁に皇族女子のための「婿候補リスト」はあるそうですよね。
その中に男系男子はいるのか?
雅子皇后と久子妃は仲良しらしいので、久子妃の手腕を借り、天皇家が男系男子ばかりチョイスして愛子さまにお見合いさせ、結婚に至るという一発逆転があると、「愛子さまを皇太子に」という声が一挙に高くなる可能性は、残念ながらあります。
男系絶対を言う人たちも、過去女帝の存在は周知しているので、反対する理由がなくなってしまう。
愛子さんは、男性が好きだし、お父様(今上)のようなタイプで、優しくておおらかで、15歳ぐらい年上の人がいいんじゃないでしょうか。(現在33歳くらい)
男系男子で、ちょっと野心あり。将来愛子天皇の皇配殿下になってもいいという人が現れて、あっと驚く激動の動きがあるか。
それともこのまんま、何となく進んでいくのか。
私の年齢だと、「皇室の終わりを見届ける」ということはしなくて済むのが、救いかもしれません。
【5:34の一連写真】
雅子さまは愛子さまに盛んにスキンシップをしているのですが、徹頭徹尾母親の目を見ようとしない愛子さま。彼女はどこか何かあるんじゃないかと、こういう写真で知らせてきます。ありがとうございます。
やっとのことで産んだ子供が女子でしたが、
小和田父は女性でも天皇になれる、ガッカリすることはない、そう雅子さんに言ったと思うのです。
雅子さんは皇統を繋げた重圧から解放され、そこそこ皇族らしく振る舞ってたら全て安泰だと思っていた頃なのでしょう。
しかし、愛子さんには障害がありました。
それは、ごゆっくりさん、レベルではなかったのでしょう。
愛子さんを天皇にするために、障害を隠し通せ、と言われました。
そこから色んなおかしな事が始まったのだと思います。
頼りにならない夫、自愛の姑、それに引き摺られているだけの舅。
雅子さんは小和田父だけが頼り、逆らうことなど考えもしない、でも設定に無理がありすぎました。
今日の記事は雅子さんの一番幸せな頃ですね。
少し悲しく思いました、が、
お覚悟が全くなく皇室入りし、四半期以上を覚醒も反省もなく過ごした責任は雅子さんにあるのです。
他罰もええ加減にせい!と言いたいです。
引きこもりが長過ぎて、すっかり忘れていました。
講書始の儀、歌会始の儀、眠そうですね。
見学とかだと楽しそうですから、そういうところも分かりやすいです。
愛子さまは、幼かったころから、見る人が見れば判ると言われてましたね。
私は、判りませんでした、当時は。
しかし、現在、幼い頃の画像を拝見すると、何となくですが感じるものはあります。
母親、雅子さまと心を通わせているようなシーンって有ったかなと、記憶を辿りながら拝見させて頂きました。
そうなればラインは
令和の今上→秋篠宮殿下→悠仁殿下(こちらはいずれは皇太子殿下)
という順番は崩しにくいとは思っています。
ただし!
長いスパンの中では何が起こるか。
私が一番心配しているのは、秋篠宮殿下の健康です。
今上とは5歳しか離れておられないということ。
それと、皇室典範は厳然としてありますが、我々数年前に、まさか平成の天皇が「生前退位する」なんて、ぼんやりとでも予想した方おられたでしょうか?
天皇が強い希望を出すと、何が起こるかわからない。ということを今回我々学ばせられました。
数年前。こちらのブログでふぶき様が「東宮(前皇太子)が天皇になったら、『愛子が天皇ではダメですか?』と言い出すかもしれない。」と書いておられます。
私はそのときは「そんなバカなーーー!!」と思ったんですよ。
でも。。それはふぶき様の先見の明だったのかも。
そうならないことを祈るばかりです。
他のブログでの件をこちらにお書きになるのは
不愉快でございます。ふぶき様なの気持ちをお察し致し胸が痛みます。マナー違反ではないでしょうか。
何年か前の騒動を覚えている方もいると思いますが、
私のブログとは目的も主旨も正反対です。読む読まないはその方の自由ですし、賛同する人がいる事もまあ仕方ないんじゃないかと思いますけど、根本が違うことをご承知ください。
また、わざわざああいうコメントを書くのは、(もしかしたら主本人かも)本当に私のブログがめざわりであり許せない、存在を消したい程に思っているからです。ジュゴン様も怯えていらっしゃるし私も怖いので触らぬ神にたたりなしです。