「祈ってます」ってあまり好きじゃないです

公開日: 

今日、私が相談を受けた方が「自助グループに行った方がいいよ!」
というアドバイスを真摯に受け止めてくれて、早速来てくれていてすごく嬉しかったです。

私お医者様や相談窓口の担当者の方には、
「相談者に寄り添って欲しい」って言ってますけど、
自分はあんまり「辛かったね~」「大変だったね~」みたいな寄り添い言葉かけないです。

だって、ビギナーさんって、最初から上をいく立場の、医者や心理士さんと違って、
下手すりゃこっちを下にみてる人達な訳じゃないですか~。
実際、私自分が自助グループに行くまでそう思ってましたよ。
「そんな惨めな人達と、一緒にされたくないわ!」ってね。

だからどっちかって言うと、毅然とかっこよく、頼りになる感じに振舞いますね。
私なら、そういう人に「ついて行きたい!」って思うからです。
そして実際私を助けてくれた人は、その時その時で違いましたけど、皆共通するのは
「周りの人とは全然違って見えた」っていうかっこいい人でしたね。

言葉にも深みがあったし、態度も自信も全く違ってました。
なぐさめみたいなことはあんま言われたことないですけど、
私の良いところは時々褒めてくれたし、
なにより私の素質を見抜いて、がんがん色んなこと振ってくれたり、
巻き込んで頼りにしてくれたんですよね。
私も、そういう人に惹きつけられたし、真似していったし、
役に立ちたくて、くっついてまわっていました。

だから私を助けてくれた人って、みんな何かしらのリーダーでしたし、忙しい人でした。
今もなんらかの代表なんかをやっている方もいます。
そしてそういう人達の手伝いをしたり、過去の経験なんかを聞くうちに、
全体の福利を考えることが身について、そういう自分が好きになりましたね。

もちろん中には「この人!」って思う人にくっついていた結果、
共依存がひどくなり自分がダメになっていった時もあります。
それはですね、自己分析とその人の分析ばっかやっていて、それが止まらなくなり、
しかも自分のやりたいことに制限がかけられちゃって自由に出来なかった時ですね。
結局、分析なんかばっかしててもダメなんですよね。全体の福利を考えた行動しないと。

自助グループや家族会、民間団体の良さは、
「色んな人がいる」ってことです。
だから私は、自分がどっちかっていうと、
「行動的で、全体を見渡せるリーダ格で、はっきりものを言ってくれる人」がすきなので、
自分もそういう人でありたい!と思ってるんですね。

でも、もちろんこういう私みたいな人が苦手って人もいるじゃないですか~。
で、とにかく優しくぽわ~んとした癒し系の感じの人が好きって人は、
そういう人にくっついて回るようになるわけで、上手く出来てるんですよね。

当会の事務局長なんか、典型的何でも受容型なんでね、
ホント上手く出来てるよなぁ~と思いますね。
これで私以上に鋭くバシバシ言っちゃうタイプだったら、
誰も一緒に活動できないですよね。

しかも私は「一緒にやろうよ!」と熱く燃える、
女森田健作(古い!)、典型的学園ドラマ系の人間なので、
めっちゃくちゃ行動的な訳ですよ。

だからですね~、いつも「祈ってます」とか「お祈りしてます」
みたいに言ってる人も、実はあんま好きじゃないんですよね。
だってね~、祈りってのは行動を伴わないと、ただの「神様に対する指図」じゃないですか~。
そんな傲慢な人の願いなんか聞き届けられるわけがない・・・って思ってるんですよ。

時々礼拝だミサだ、その他さまざまな宗教の集まりに顔出すことがあるんですけど、
「被災者のことをお祈りに覚えて下さい。」なんて言ってるのに出くわすと、
「いや祈ってるより、寄付を集まるとか、ボランティア行った方がいいんじゃないっすか?」
と、口からつい出そうになっちゃって、ホント!っこれ苦労します。
(たま~に、言っちゃう時があっていや~な顔されます。)

私、正直よく意味が分かんないんですよね。
体育館や仮設住宅でクリスマスや年越しを迎えなきゃなんない人に、
家族でぬくぬくとあったかく居心地のいい家にいる人が、「被災者のために祈ってます」ってのが。
中には、寄付したり、ボランティアしながら、その上でこれ以上できないから祈ります!
っていう正統派の祈りを捧げてる人もいるでしょうけど、
あとは自分は苦労はしたくないし、損もしたくないし、時間も金も提供したくないけど、
優しく思いやりのある人間だと思われたい・・・みたいな風に思えちゃうんですよね~。

そりゃ、全人類は助けらんないですけど、
この万年金欠の私だって少しは金も寄付しますし、
せめて被災者に優しくない政治には文句言おう!とは思ってますし言ってます。
たいして役に立たないでしょうけど、ゼロよりはましじゃないかな~と思ってます。
時々そういうつぶやきが良いうねりになりますもんね。

仲間や家族が身体的な病気だ!ってな時ぐらいじゃないですかね。
「神様、お願いします!」って、本当に祈るしか手だてがないのって。
私は「いや祈るだけじゃなく、まず手を貸して欲しい・・・」って思ってます。

祈ってるより、駆けつけて欲しいし、
チラシの1枚も撒いて欲しいし、味方を増やして欲しいし、
SNSで情報を拡散して欲しいし、プランを練って欲しいし、
原稿を書いて欲しいし、誰かにメッセージを運んで欲しいし、策を練って欲しいし、
かばって欲しいし、守って欲しいし、一緒に行って(言って)欲しいです。

だから私は、困ってる仲間がいたら、
ふんぞり返って、祈ってばかりで自分は何もやらずに、
神様にやれ!と命令するような傲慢な真似だけはしたくないと思っているんですね。

アイディアを出し、一緒に考え、一緒に行動し、
時に一緒に憤慨し、守ってあげたいし、かばってあげたいので、
できるだけそうします。

わからんちんの舅姑や、上司がいれば「連れてきな、私が説得しちゃる!」と言って説得し、
時には、攻撃的になってる当事者の盾にもなります。
そういう人でありたい・・・って何だか宮沢賢治の様ですが、
聖書の言葉にも「行動なき信仰は死」とあるように、
祈りは行動が伴わなければ届かないと思ってます。

だから自分が親身に相談に乗ったビギナーさんが、
行動に移してくれる!そういう行動の連鎖を経験すると、
そんな自分がまた好きになれるんですよね。

行動する仲間を誇らしく思うし、
それはすなわち自分の誇りだと思ってます。
今日は嬉しい日だな~とほっこりしてます。

ブログ是非応援して下さい!クリックでランキングがあがります。
にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 依存症へにほんブログ村
依存症 ブログランキングへ

PVアクセスランキング にほんブログ村

現在国内の推定罹患者320万人(2017年厚労省)のギャンブル依存問題。
日本でもギャンブル依存症対策の導入を!

[田中紀子の著書]
三代目ギャン妻の物語(高文研) ギャンブル依存症(角川新書)

シェアありがとうございます

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • Pocket
PAGE TOP ↑