こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

人生はあっという間だな、あと少しの間どうやって生きよう

無限大だった可能性は歳とともに減ってしまうが

2024年04月19日 | 生き方について考える
爽やかな1日になるということで頑張ろう。
今週は早かったような、ちょっと遅かったような感じだったが、振り返ってみるとまだやり残したことはたくさんあって、結果としては時間は足りない。
時間が足りない、時間が早く過ぎると感じるのはなぜだろうか。

体感時間を自身の移動する時間に例えるとすれば今の私は60キロ。
一般道なら快適なスピードだ。
でも、この考え方だと死ぬまでスピードが上がり続けることになって、最後は息切れしてしまう。

それよりも人生を短く感じてしまうのは残りの人生で選ぶことのできる選択肢が減ってしまうからではないだろうか。
人生にはさまざまな局面でそれぞれの選択肢と可能性がある。
生まれた瞬間には選択肢・可能性は無限大だ。
人生80年として、1歳ではそれが80通り、10才で70通り、となって、今の私には20通りの選択肢しか残されていない。
年をとり、毎年選択肢が限られてゆく。
かつては無限だったものが限られてしまうことで、この先の人生を短く感じてしまうのではないだろうか。

だからこそ、その限られた選択肢をより良いものにするというのも人生のありかただし、むしろその方が効率は良いかもしれない。
などと、しょうもないことを考えている暇があったら、今日やらなくてはいけないことをやらなくてはいけない。
残り時間がわかるといいが・・・

ブログランキング・にほんブログ村へ

応援よろしく

 PVアクセスランキング にほんブログ村
コメントお願いします!

夢を含めてあれこれ頭に浮かぶあれこれのこと

2024年04月18日 | 日々思うこと、考えること
薄曇り。
新緑のせいなのか、それとも黄砂のせいなのか東の山が霞んでみえる。

おとといは昔世話になって早逝した臨床の先生の夢を見たし、昨夜もおかしな夢をいくつか見た(ような気がする)。
夢見が自分の実生活にどれほどの影響を与えるかはわからないし、そもそも夢が自らの変容によって引き起こされるのか、それとも外部環境に対するストレスによって引き起こされるのかもわからない。

睡眠中に夢で頭の中の整理を行なっている、ということを聞いたことがあるが、そうすると寝ている間にも随分あれこれのことを考えているということになる。
夢をいちいち書き留めたら面白いだろうが、そんなことをしたらその夜はニ度と眠れなくなってしまいそうだし、結局もっとも記憶に残る場面がその夢の本質だと思ってしまうことになってしまう。

私が本質的であると考えていることは世の中で起こっているあれこれのほんのごく一部でしかない。
そうするとたとえ夢であっても、そこに登場した人たちの存在というのも、それぞれの人とのエピソードそのものに本質的な意義があるかもしれない。

このブログを読んでみても、毎日あれこれ書き綴っていることにこれといった統一性のないことは明白だ。
それが悪いというわけではなく、人間の思考なんてそんなものだということを示している。
まあ、そんなもんだ

ブログランキング・にほんブログ村へ

応援よろしく

 PVアクセスランキング にほんブログ村
コメントお願いします!

”女は三界に家なし ?  (はて)”について考える

2024年04月17日 | 日本のこと、世界のこと
空模様が春らしく移り変わる。
生垣のクレマチスはいつの間にか終わって、いよいよモッコウバラが咲き出した。
この家に越してきてから妻が丹精して作ってきたが、素人仕事にしては大したものだ。

今回の連ドラ(虎に翼)では昭和初期の女性の生きにくさが描かれている。
今週の題は、”女は三界に家なし?”、女は、幼少のときは親に従い、嫁に行っては夫に従い、老いては子に従わなければならないものであるから、この広い世界(三界)で、どこにも安住できるところがない。という意味。

実際、妻のことを見ていると、朝から晩までよく働いてくれていて頭がさがる。
私は仕事があるからと”外の世界”との接触を持っていられるが、”仕事時間”だけ仕事をしていたらある意味それで許されてしまう。
でも、主婦である妻は違う。
朝起きた時から、夜寝るまで、家の細々したことにあれこれ目を配り、子供でもいたらその養育の大半を担うことになる。
男だってもっとやったらいい、という言い分もあるだろうが、少なくとも私と妻とではその(家事)能力が段違いだ。
仕事をしてもいろいろの能力を発揮できたと思われるが、それはしていないのでわからない。

いずれにせよ、”働く夫のための後方支援”という”仕事が不要になればそこから退役したくなる人がいてもおかしくない。
妻がどう考えているかわからないが、まあ一人で犬を飼おうとは思っていないだろうとたかを括っている。

少子化の原因の一つは婚姻率の低さだが、とくに一生結婚するつもりのない女性の割合が伸びているそうだ。
たしかに、幼少時の親、嫁に行っての夫、老いては子のうち、夫と子のない暮らしをしたいと思うのは当然だ。
結婚相手に稼ぎがあるから籠の鳥になってもいいということではない。

連続テレビドラマの主人公は結婚から逃れるため、と同時に女性の権利を守ろうと法曹家を目指す(とおもわれる)。
今、医学部に進学する女性が増えていて、男女比はほぼ同じだろう。
女性が増えると外科系の医者が減るというが、それは労働環境が悪いから減るのであって、まともな時間に働ける様にしたらそんなことはない。
医師の働き方改革が進めばそんな当たり前のことが進む様に思われる。

今は、日本における歪んだ労働環境が女性にとって生きにくい社会をつくり、さらには国自体を危機的な人口減少局面に追い込んでしまったということを、理解し改めるラストチャンスの様に思う。
落とし所はどこに

ブログランキング・にほんブログ村へ

応援よろしく

 PVアクセスランキング にほんブログ村
コメントお願いします!

あと15年は元気でいよう

2024年04月15日 | 犬との暮らし
死ぬ前に、もう一度犬を飼うことにした。
60歳から飼い始めて、15年は面倒を見てやるつもりでいなくてはいけないが、75歳の自分を想像することはなかなか難しい。
収入だってずいぶん減っているだろうから、自分たちの身の回りのことで精一杯になったらどうするか。
そんな私たちの人生に犬を付き合わせていいものかとずいぶん迷ったが、このまま犬と一緒の生活をしなかったら後悔するだろうし、いざという時には娘が面倒を見てくれるというので、二度のお見合いを経て決心した。
いざとなれば、子供たちの成長に合わせて建てた家など売って、夫婦とわんこ1匹で暮らす様な小さなところに引っ越せばいい。

犬の十戒を改めて読み直してみる(Wikipediaより)。
  • My life is likely to last ten to fifteen years. Any separation from you will be painful for me. Remember that before you get along with me.
  • Give me time to understand what you want of me.
  • Place your trust in me- it's crucial to my Well-being.
  • Don't be angry at me for long and don't lock me up as punishment. You have your work, your entertainment and your friends. I have only you.
  • Talk to me. Even if I don't understand your words, I understand your voice when it's speaking to me.
  • Be aware that however you treat me, I'll never forget it.
  • Remember before you hit me that l have teeth that could easily crush the bones of your hand but that I choose not to bite you.
  • Before you scold me for being uncooperative, obstinate, or lazy, ask yourself if something might be bothering me. Perhaps I'm not getting the right food or I've been out in the sun too long or my heart is getting old and weak.
  • Take care of me when I get old ; you, too, will grow old.
  • Go with me on difficult journeys. Never say, "I can't bear to watch it ." or " Let it happen in my absence." Everything is easier for me if you are there. Remember I love you.
英語は表現が直接的だから意味がよくわかる。
最後の3文を読むと、フラットコーテッドレトリバーのナイトやマルチーズのコロとの最後の日々を思い出してしまうが、そのときのことも含めてたくさんの思い出をつくり、たくさんの元気をもらえたらと思っている。
迎えに行ったら覚えているかな?

ブログランキング・にほんブログ村へ

応援よろしく

 PVアクセスランキング にほんブログ村
コメントお願いします!




世の中万事逃げるが勝ちか

2024年04月15日 | 日々思うこと、考えること
東の空に霞がたなびく、春らしい朝。
春はあけぼの、あれは清 小納言 と区切るのか、紫式部とはいつからライバルになるのか?予告編での舞はいよいよ青海波?とすると(道長と伊周の)どちらが源氏で頭中将?など昨夜の大河ドラマを思い出す。

日中は25度まで上がるとかで、季節はもう初夏にちかい。
今年の夏はどれほど気温が上がるのかと考えるとゾッとするが、それでも時間は淡々とすぎてゆく。

盗撮犯を取り逃してからもう一週間たったが、揉み合った時に痛めた薬指、だいぶ曲がる様にはなったものの腫れはいっこうにひいていない。
今週いっぱいで治れば全治2週間の怪我ということになるが、ずいぶんかかるものだ。
エスカレーターを脱兎のごとく駆け降りて逃げていったあの時の犯人はどこかを痛めただろうか、何もなく無傷であったというのであればそれこそ私だけが損をしたことになる。

でも、あの時に逆襲され、こちらがより大きな怪我をするか下手すれば命すら落としていたら大変だったが、そうはならず、逃げてくれたのは幸いだった。
喧嘩は逃げるが勝ち、というがこの間の犯人も”逃げたが勝ち”で、彼此の違いは指の怪我一つをとっても大きい。

人との諍いは、ありとあらゆるところで起こる。
その時には状況を瞬時に把握しどの様に対応するかを考えなくてはいけないが、基本的には逃げるのがいいのだろう。
もちろん、前提として自らは悪事をしてはいないということがある。
天網恢恢疎にして漏らさず

ブログランキング・にほんブログ村へ

応援よろしく

 PVアクセスランキング にほんブログ村
コメントお願いします!


人の多いのが疲れるようになってきた

2024年04月14日 | 鎌倉暮らし
昨夜、高校の同窓会の成功を祝しての世話人会の打ち上げというただの飲み会が母校の近くの飲み屋であり、帰りにかつての通学路だった渋谷を通って帰ってきたが、10時過ぎでもずいぶん人が多くてびっくり。
真夜中というのに段葛も夜桜を見にきている人がいて、まだまだこちらも人が多かった。
学会の二日目。
今日もWEBで聴講。
昼過ぎまで参加した。
このところ不勉強のきらいがあったので、勉強になった。

鎌倉祭りの日だが、人混みの中に出ていくのはめんどうだったので見物にはいかなかったが、夕方に海岸の美容院へ行ったら、そこも人がたくさんだった。
しょうがないか

ブログランキング・にほんブログ村へ

応援よろしく

 PVアクセスランキング にほんブログ村
コメントお願いします!

人生の楽しみとか喜びというのはどんなものなのだろう

2024年04月13日 | 生き方について考える
穏やかな朝。
鶯の声を探していると、突然けたたましいガビチョウの声で遮られてしまう。
それでもまあ、それなりに彼らも頑張っているわけだから許容していかなくてはならないのだろうと思いつつ、ホーホケキョの声を待つ。
今日明日はオンライン形式の学会がありの、この間の還暦同窓会の幹事会の打ち上げありで、いろいろあって落ち着かない。

昨日から娘夫婦が来ているが、娘婿が、

 日本では土日に学会というのは当たり前なのか

と聞いてくるので、

 そう、ウィークデイは働かなくちゃならないからね

と応えた。
この春から勤め始めたラボの同僚に聞いてもおなじような答えだったそうだ。
何か言いたそうだったが、これが日本だからとそれ以上私も何も言わなかった。

欧州人の彼の目に日本人のこんな働き方はどう映るのだろう。
少なくとも人生をそれほど楽しんでいるようには見えないのではないか。
では、人生を楽しむ、というのはどういうことなんだろう。

自分の好む土地に住むことか、でも、週末以外はそこにおらず、普段はそこから往復4時間をかけて通勤することはそれほど楽しんでいるとは思えない。

起きがけに、テレビをつけたら、NHKで”あの人に会いたい”というプログラムで、青色LEDを開発してノーベル物理学賞を受賞した赤崎勇さんのことが紹介されていた。
この人は大きな成果を挙げて、人生をさぞ楽しんだ事だろうと思ったが、そのことと引き換えの努力もあったはずだ。
失敗から学ぶこと、役立つことがあるとも言っていたから、失敗すらも楽しみ、歓びだったのかもしれない。

それぐらいじゃないと、そもそも生まれてきた意味もないのかもしれない。
自慢の一つにもならないことだが、私は失敗の多い人生を歩んできたし、今でもしょっちゅう失敗している。
そんな失敗でも役に立っていると思えば後悔などせずに楽しむことができるかもしれない。
楽しけりゃそれでいい?

ブログランキング・にほんブログ村へ

応援よろしく

 PVアクセスランキング にほんブログ村
コメントお願いします!

人間は時間の波に乗って生きている

2024年04月12日 | 生き方について考える
今日は暖かくも寒くもないちょうどいい天気とのこと。
妻はどんな格好をしていたらいいのかわからないとこぼしていたが、その点男は羽織るもの一枚でどうとでもなるので楽だ。
父が残してくれたヒポクラテスの木の末裔(プラタナスの木)に新芽が出たと思ったら、あっという間に葉っぱが出てきた。
新緑の季節、コナラにも天ぷらにしたくなるような芽がたくさんだ。

それにしても1日の過ぎるのが早い。
昨日にしても、切り出しをしていたら、新任院長の巡視が聞かされていた時間より早くにあってちょっと中断し、その後数例を診断していたらあっという間にお昼。
久しぶりの病理外来で汗をかき、そのレポートを書き終えたら、エキスパートパネルがあり、これまたいつもより症例数が多かった。
そうこうするうち終業時間。
この間、臨床医が何人か顔を出しにやってきていたはずだが、内容は覚えているが、それが昨日のことだったかそれとも一昨日のことだったか正確には思いだせない。
こんなことでいいのかと心配になってしまうが、時間なんてこんなふうに飛ぶように過ぎていってしまうものだ。
時間を無駄にするな、という言葉があるが、ならば有効な使い方とはどんなものをいうのだろう。
大学受験、試合に勝つために、そのための勉強、トレーニングを1分1秒無駄にせず行うとしても、休息は必要で、その時間は一見無駄のように見える。
昨日の私にしても昼休憩はしっかり取ったし、仕事の合間に世間話という無駄話をする。

生物の中で時間の概念のあるのは人間だけではないだろうか。
正確に言えば、時間という概念に”縛られている”のは人間だけなんじゃないかと思う。
暗くなったら動く動物、明るくなったら開く花、あらゆる生物は自然の相互関係の中で生きているが、人間だけはそれは関係ない。
関係しているのは時間だけで、昼間だろうが夜だろうが忙しく活動する。
人間がこんなに忙しくなってしまったのはいつからなのだろうかと、睡眠時間6時間確保に汲々としながら考えてしまう。
<   >

ブログランキング・にほんブログ村へ

応援よろしく

 PVアクセスランキング にほんブログ村
コメントお願いします!



病理外来の意義をもっと高めよう

2024年04月11日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと
先週末から喉がイガイガして、咳も出て、もしかしたら風邪かもしれないと思っていたが、発熱はないのでやっぱり花粉症ということにしておこう。
スギ花粉からヒノキ花粉に変わってきて、どうやら私はヒノキの方に弱いようだ。
鶴岡八幡宮の桜も満開を過ぎて少し寂しそうになってきたが、葉の出るのが遅く、すっかり終わりというほどではなく、今朝も歩いて良かったが、今日は外来があってネクタイに背広という格好で出てきてごく僅かに汗ばんでしまった。
源平池の花筏はまだだが、段葛は花吹雪だった。
病理の外来と一言でいってもいろいろあるが、普段の病理診断業務と目的は異なって、内容も多岐にわたる。
スペシャリストとしての私の意見を聞きにきてくださるわけで、私としても気を引き締めて対応しないといけない。
以前勤めていた病院では病理外来用のブースまで設けてくれていたが、今の病院にそれはないので、鏡検室の私のブースで行わせていただく。
こういう状況一つとっても病理いの置かれている立場というのがよくわかるが、病理医自身にも、こういう機会を積極的に作ろうとしない人がいるとも言えるだろう。
今の若い医師は私たちの頃と違い臨床研修で患者さんと直接接する経験を積んでいるし、接遇についても学んでいるはずなのでこれからはもっと増えてもいいのではないかと思うが、人手不足と仕事の細分化によってそもそも病理医がそのようなことにまで手が回らなくなっているのが現状だろう。
医学知識を持った人間が顕微鏡で組織や細胞を調べるということの意義そのものをわかっていない臨床医も少なからずいる。
その病理医が患者さんに直接診断内容を説明することの有用性がわかっている臨床医もいるかもしれないが、時間的な制約もあって難しい。
医師の働き方改革を進めたら余計にそうなっていくだろうと思うとジレンマを感じてしまう。
病院における病理の役割を考える
ブログランキング・にほんブログ村へ

応援よろしく

 PVアクセスランキング にほんブログ村
コメントお願いします!



後輩からの嬉しいお声がけ

2024年04月10日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと
一昨日、盗撮犯と揉み合った時に捻挫した薬指の腫れはずいぶんおさまった。
まだ、内出血のあとは残っているものの、キーボードはなんとか叩くことができる。
内心剥離骨折ぐらいはしているのではないかとビクビクしていたが、そうではなさそうでホッとしている。
捕まえ損ねた上に指の骨を折っていたらどうしようもない。

昨日の大嵐が一区切りになったのか、これまでの花曇りが嘘のような晴天。
週末まで、お花見日和が続くだろう。
鶴岡八幡宮の桜もずいぶんおちてしまったものの、それでも葉桜にはなっておらず、遠目には満開で、今朝も多くの人が段葛にやってきて、楽しそうに写真やビデオを撮っていた。
先日、教室のとても優秀な後輩で、今はある大学の教授をしている先生から、その先生の教室の若手の研修先となってくれないかというお誘いがあった。
私の勤務先は小児医療の専門病院なので、一般病院ではお目にかかれない症例がたくさんある。
日本では小児科とくに外科的治療を要する疾患の多くが小児周産期施設で扱われ、一般病院の日常の病理診断業務で小児周産期領域の症例に遭遇する機会は少ない。
そもそも、小児周産期施設でもそれぞれの症例に遭遇する機会は少なく、それなりの症例の蓄積がなくてはならず、私のところは役に立つだろう。
それにしても、私のような平凡な人間でも、たまたま希少なサブスペシャリティーを持ったことでこんな嬉しいお声がけをしてもらえるというのは人生不思議なものだ。
それぞれに応えようとしたらやらなくてはいけないことはたくさんあって、老け込むにはまだ早い。
もう一仕事頑張ってみようという気にもなる。
まずは学会の準備から

ブログランキング・にほんブログ村へ

応援よろしく

 PVアクセスランキング にほんブログ村
コメントお願いします!


私はまだまだ男性視点

2024年04月09日 | 妻の名言
細目に窓を開けて写真を撮ろうとしただけでびしょ濡れになるほどの強い風雨。
花散らしの雨とならなければ、明日からはしばらく晴天で絶好のお花見日和が続く。

昨日、駅のエスカレーターで盗撮犯を捕まえ損ねた。
私を不自然に追い越して、私の前の女性との間に入り込んだ男がいて、よもやと思い、その男の手元を覗き込んだらレンズを上に向けてスカートの中にスマホを差し入れているのがみえた。

 おまえ、なにしてるんだ

ととっさにそいつの襟首をつかんで、

 こいつ女の子のスカートの中の写真を撮ってるぞ

と叫んだら、私の後ろにいた男性も一緒に飛びかかってくれて押さえつけようとしたのだが、下りのエスカレーターの上まで引きずられてしまった。
ステップの下を覗き込んだら、このまま転がり落ちたらこちらが大怪我をしそうだと一瞬怯んだところで、振り切られ、脱兎の如く逃げていった。

ホーム上で押さえつけたら良かったのかもしれないが、残念ながら私には格闘技の心得はなく、取り逃してしまった。
役立たずといえばそれまで。
駅前の交番に、女性とその友人とで行って状況を説明した。
盗撮犯と揉み合った時に左手の薬指を捻挫してしまい、今日は朝から猛烈に痛い。

ああいうのは見逃してしまったほうが身のためだったろうか。
もしかしたら逆襲されてナイフででも刺されていたかもしれない。
そもそも私はなぜとっさに捕まえようとしたのだろうか。

妻にことの顛末を話したとき、私が

 あんな短いスカートじゃあ(そういうことをされても仕方ないよね)

と同意を求めて言ったら、

 そんなことないわよ、あれはオシャレなんだから(何も悪くないわ)

と返され、続けて、

 そもそも欲情してそんなことをする男の方が悪いのよ

とピシャリと言われた。
そうか、オシャレと考えたらそのことに罪はない。
まだまだ私は男性視点で社会を見ているのだと反省した。

偶然見えてしまうことはあっても、それを写真やビデオに撮ったら盗撮という犯罪だし、混雑した場所で体の一部が偶然相手の女性の胸や尻に当たることはあるが、それを無理にやったら痴漢だ。

李下に冠を正さず、君子危うきに近寄らず。

おかしなことにならないように気をつけることは、女性に対するマナーだ。
薬指の捻挫のおかげでそのことが分かったような気がする。
根本的に間違っている

ブログランキング・にほんブログ村へ

応援よろしく

 PVアクセスランキング にほんブログ村
コメントお願いします!

桜に囲まれた平和な日本の入学式

2024年04月08日 | 日々思うこと、考えること
曇りの朝だったが、出勤の頃には雲は取れ、満開の桜を眺めながら出てきた。
今日は入学式だそうで、新入生は桜に囲まれての門出となる。
私の頃は、多少遅れていたとしてもこんなものだと思っていたが、50年もしたら地球の気候が変わってもそれはおかしなことではない。

スギからヒノキに変わった花粉症か、それとも週末で歩いたせいによる風邪だかわからないが、昨晩から鼻水と咳が出ている。
だるくて熱っぽく感じるが、発熱はないので様子見としよう。

イスラエルによるガザ地区への攻撃を少し緩めるということだが、パレスチナの人はこれまでに3万人以上亡くなっている。
ハマスを壊滅させるといっても、今のハマスがなくなっても、第2第3のハマスが生まれるに違いなく、最終的に武力行使は意味がなく、もっと頭を使うことはできないのだろうか。
いっそのことAIに落とし所を見つけてもらったらいいのにとも思う。
その結果は文末に添付しておいたが、至極当たり前のことだ。
こういうものを”普遍正義”といって馬鹿にする人もいるが、世の中その普遍的な価値観こそが最終的な拠り所であって、人間の暗黒面を覗かせることで、これを否定してはいけない。

春の交通安全運動週間が始まった。
私もハンドルを握る身、安全運転に気を配りながら過ごしたい。
門出の思い出を大切に

ブログランキング・にほんブログ村へ

応援よろしく

 PVアクセスランキング にほんブログ村
コメントお願いします!

私からの質問;
イスラエルとハマスの紛争を終わらせるために最も有効な方法は何?
ChatGPTの回答;
イスラエルとハマスの紛争を終わらせるためには、複雑な歴史的・政治的・地域的要因が絡み合っており、一つの解決策がすべての問題を解決することは難しいですが、以下のような方法が有効なアプローチとされています:
1. **対話と交渉:** 関係者同士が対話し、平和的な解決策を見つけることが重要です。中立的な第三者の仲介や国際社会の支援を受けながら、交渉テーブルに着くことで、双方の立場を尊重し合意形成を目指します。
2. **停戦合意の締結:** 即時の停戦合意を締結し、暴力行為を終結させることが重要です。停戦合意は暫定的な措置であり、その後の交渉や対話を通じて長期的な解決策を模索します。
3. **経済的・人道支援の提供:** 紛争地域の経済的・人道的な支援を行い、人々の生活水準を向上させることで、紛争の根源的な要因に対処します。貧困や不満が暴力行為を引き起こす可能性があるため、経済的安定と福祉の向上が重要です。
4. **地域の信頼構築:** イスラエルとパレスチナの両者が地域の安全保障と安定を共に追求するための信頼関係を構築することが重要です。地域の安全保障協力や経済的・文化的な交流など、共同の利益を追求する取り組みを促進します。
5. **国際社会の支援:** 国際社会の積極的な支援と関与が紛争の解決に不可欠です。国際機関や関連国がイスラエルとパレスチナに対し、平和プロセスの促進や安全保障の強化、経済支援などを行うことで、和平の実現に向けた努力を支援します。
これらの方法を組み合わせることで、イスラエルとハマスの紛争の終結に向けた道筋を模索し、平和と安定を築くための努力を行うことが重要です。

日本の桜は平和の証し

2024年04月07日 | 日々思うこと、考えること
桜が満開。

都内の娘の家の前の桜が満開になったというので、花見がてら妻と行くことにした。
鎌倉にも早朝から多くの人出。
その前に千鳥ヶ淵の桜を見ようと行ってみたら、武道館で明治大学の入学式をやっていて、ただでさえ花見客で混んでいるのに余計にごった返していた。

せっかくなので、ボートに乗ろうと思ったのだが整理券をもらうだけで長蛇の列、30分ほど並んだが、ほんの50メートルほどしか進まなかったので、あきらめた。
それにしてもやっぱり圧巻でした。
その後、電車を乗り換えるついでにちょっとだけ上野公園に。
不忍の池の周りも美しかった。

娘の家の近くのお寺の桜。
娘たちと別れてからもあちこち歩き回り最後は御茶ノ水の駅の横も通った。
1日都内を歩きまわって疲れた。
鎌倉に戻ってきたら、相変わらずの人出。
それにしても、桜を見ている人はみんな幸せそうな顔をしている。
桜を見ると幸せを感じる、日本はつくづく平和な国だ。
観光客も安全で、安心して上を見上げていた。
ちょっと風邪気味

ブログランキング・にほんブログ村へ

応援よろしく

 PVアクセスランキング にほんブログ村
コメントお願いします!


SNSにあらがわなくては

2024年04月06日 | 読書、映画、音楽、美術
花曇だったが、まあまあの気温。
段葛は朝から結構な人出だった。
所用で山梨の方に行ったが、そちらもどこも桜が美しく咲いていた。
桜というのがソメイヨシノだけではないということがよくわかった。

どこの学会もそうだが、広報活動にSNSを利用しようという動きが(もうずっと前から)活発で、先日の病理学会総会でもその様なテーマのセッションが組まれていて、日本を代表するツイッタラー病理医が司会をして盛り上がっていた。
私もそれに触発されて、病理学会総会に参加したことを久しぶりにXに投稿した。
数人からリアクションがあったのに気をよくして、フェイスブックにも学会参加関連のこと、続けて鎌倉の桜のことも投稿した。

どちらも数日前のことだから、あっという間に忘れ去られてリアクションはほとんどないのだけど、なんとなく開いていてなんとなく他の人の投稿を読んでいるうちに、インスタとかスレッズを開いて読んでしまった。
SNSというもの、それぞれどれも悪くはない。
それどころかどれもそれなりに味のある文章やら写真なのだが、どうもこれらを読んだり見たりしていると頭を使っていない様な気がしてしまう。
やはり本を読まなくてはこのままボケてしまうのではないかと心配になる。
だが、本というもの一旦読み始めると今度はそこから逃れられないのが心配になってなかなか手をつけられない。
それでも読まなくてはいけないと、積読になりかけているガルシア=マルケスをリュックに入れることにした。
本は頭を使うトレーニング

ブログランキング・にほんブログ村へ

応援よろしく

 PVアクセスランキング にほんブログ村
コメントお願いします!



政治家になる資格とはなんなのか?

2024年04月05日 | 日本のこと、世界のこと
花曇り。
今年のお花見は散々なことになりそうで、とても残念。
それでも20時過ぎでも多くの人が夜桜を楽しんでいた。
おととい、静岡県の川勝知事という人が辞意を表明して、6月に辞めるそうだ。
辞める理由はリニアの着工を遅らせることに成功したからのようだが、それよりも県民(のみならず国民)が怒っているのは、職業差別発言だ。
誰かを持ち上げるために誰かを貶める、という話し方が悪いとは悪いとは言えないが、それは個人的な会話のレベルであって、その身分肩書きで話すことはオフレコでも許されない。
それどころか職場でそんなんことを口にしただけで、パワハラセクハラとして訴えられる。
ああいう、舌禍を過去にも引き起こしたことのある人に県知事という重責を与えた静岡県民というのはいったいどういう人たちなのだろうか。
それとも、他にまともな人が立候補していなかったのだろうか。
結果を見ると単なる派閥間の権力闘争にしか見えないし、そもそもこの人たちのやったことは脱税でもあって、こんな数百〜数千万を懐に入れていたことについて、国税は一体何をやっているのだろうかとも思う。
この人たちのほとんどは次の選挙でまた当選してしまうのだろうが、それでいいのか、この人たちに政治家としての資格はあるのだろうか。
選ぶ方も選ぶ方だが、仮に私の応援している政治家がこの中に含まれていたら、出直してくれと願って次も投票するだろうか。
政治家にも政治家になる資格というのがあるはずだ。
その資格の一つが清廉潔白さであることは言うまでもないのだが、それがたとえ政治不信に繋がっているとしても、彼らにとってそんなことは全く意味のないことなのだろう。
私たちにだって彼らを政治家にした、そして続けさせた責任がある。
稼げるうちに稼ぐ

ブログランキング・にほんブログ村へ

応援よろしく

 PVアクセスランキング にほんブログ村
コメントお願いします!