こんな気持ちでいられたら

還暦病理医の日々と生き方考え方

スマホと電池とノーベル賞

2019年12月15日 | 日々思うこと、考えること
名古屋で会議があり日帰り出張。新幹線の車内で仕事をしようと思って出てきたのだけど、電源コンセントを忘れた。往復足りるか少し心配だったがなんとかもった。
家から名古屋市内の会場まで2時間半、往復5時間は毎日の通勤とさほど変わらない。職場ではもちろん充電するが、うっかり忘れても無事に帰ってくることはできる。

ところで、電池がなんで必要かというと、仕事のことはあるが、ブログの更新やらSNSの閲覧とかに使うためで差し迫った必要は無いとも言える。あまりない。もちろん列車の事故や天変地異があったときには家族、知人との連絡のため必要だから、今日も携帯用の電源だけは持って出てくるべきだった。こういう時は、PCが充電池の役割を果たしている。
リチウム電池の開発はノーベル賞に値する、人間社会を一変させるものだ。でも、電車内で多くの人が覗き込んでいるスマホが、人間社会にどれほど必要だったのかと考えると疑問が湧いてくる。電池の小型化が携帯スマホを進化させたのか、それともその逆かはわからないが、なければないで世の中はそれなりに回っていたのではないだろうか。もちろん、携帯以外に用途は様々で、温暖化対策が期待されるわけで、携帯のためのノーベル賞ではない。

携帯に話を戻すと、情報化社会が進み過ぎたが故に、知らなくてもよかったことも知らされるようになり、いいのか悪いのかよくわからない。もちろん、悪事の類は世に知らしめ、糺す必要があるが、中には判断の難しい事項もある。文明の利器は、文明によって作られるのか、文明を作るのか、よくわからない。医学にしても、どこまで人の命を延ばしていけばいいのだろう。

進歩はどこまで必要か

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