うちの子供が通う小学校に、レズビアンカップルの両親を持つ女の子が通っている。
お母さんは今2人目を妊娠中であるが、上に6歳の女の子がいる。
昨日、うちの娘が私に「ミリーのお母さんは2人いんねんて。お父さんじゃなく、お母さんやねんて。だからどっちもお母さんやねんで」と言って来た。

それを聞いていた息子が「何で2人のお母さんが同じ家にいてんの?」と聞いた。
娘は「お母さん同士が愛し合ってるからやん」と答えた。
息子は「お父さんは嫌われたん?」と言った。
娘は「そうじゃなくて、最初からお父さんを愛さなかってん」と説明していた。

私は同性愛について説明できるチャンスだと思い、紙と鉛筆を持ち出し、図にしながら2人に話した。
「この世には男と女しかいてへんから、男同士か女同士、男と女の3パターンの組み合わせが出来る事になるねん。だから、男の子と女の子が必ずしも結婚するとは限らないから、お母さんが2人の場合もあるし、今は学校にいてへんけど、お父さんが2人のお家もあるはず。うちはたまたま男と女で結婚したからこういう形態になってるけど、それだけの事」と説明した。
子供は「そうやな」と答え後は気にする様子もなかった。

カーライルに住んでいると滅多に同性カップルに出会う事がない。
ロンドンなど都会に行けば普通に見かける光景も、田舎の閉鎖的なカーライルではまだまだ珍しい扱いになるのかも知れない。

私は大阪市内で生まれ育ち、10代の頃から遊び場がミナミや梅田だった事もあり、同性愛者に出会ったのは早かった。
バイト先にもいたし、多くは無かったが仲間として普通に過ごしていた。
それでも深く知る事はなく、偏見は持ったことは無かったが、毛嫌いする人がいたのも事実であった。

オーストラリアに住んでいた時、私は2人のレズビアン(カップル同士ではない)と男性、そして私の4人で一軒家に暮らしていた。
ボランティアをさせてもらっていた学校の教員で私が一番仲良くしていた先生もレズビアンカップルであった。
相手の人は優秀な弁護士さんであったが、何とも気さくでよく高級中華を御馳走になったものである。
ある時、そこのホームパーティで日本人男性に会った。
シドニーに暮らすその人もゲイで、弁護士さんの弟と結婚していた事で、たまたまそのパーティーに来ていた。
日本での経歴を聞いて驚いた。
ここには書けないが、凄い家柄の人である。

シドニーに来た理由、それは代々引き継がれた家を守るため、自分は全うすべき人生が決められていたのであるが、とうとう自分が同性愛者である事を父親にも親族にも打ち明ける事が許されず、日本にいる事が生家への迷惑をかける事だと考え、海外に来たのだと教えてくれた。
今から18年前の事であるから、今はもう日本も少しはそれへの理解は広まったと思うが、それでも欧米に比べると理解度は低いと思う。

今回、子供から私に聞いてくれて良かったと思う。
早い段階からそれは普通の事で違和感すら持つ事でもない事、そんな風に理解させていれば、偏見は持たない。
以前うちの娘の弁当事件もそうであるが、こうでないといけない、同じでないといけない、弁当はサンドイッチでないとオカシイ、おにぎりが入っていたらオカシイのだと思い込んでいるから偏見と非難が言葉になるが、別の形もあんねん、それも普通やねんと知ってさえいれば、何てことなく行けると思う。
少なくとも、うちの子供達には弁当に米が入っていても、唐揚げがはいっていても弁当だという事、家にお母さんが2人いても私ら家族と何ら変わりない家族なんだという事を教えておかねばと思うのである。
子供はちゃんと理解する。
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