先週の事。 義母の車を移動しようとエンジンをかけ、ゆっくり走り出した時、エンジン音が妙な事に気が付いた。 私は義母に「エンジンの音オカシイで。気が付いてた?」と聞いたが、義母は「知らん」と言った。 義母は運転中、常に窓を開け煙草を吸いながら運転する。 窓を開けていれば尚更の事、音に絶対に気が付いたはずである。 私は夫に話し、翌日にエンジニアのいる修理工場へ義母の車を持って行った。 案の定、エンジンの不具合で部品を交換する必要があった事が判明。 80歳を過ぎたエンジニアの工場長が「だいぶ変な音してたはずやけどな~。気が付かんかったて?」と私に聞いた。 私は「知らんと言ってました」と答えた。 工場長は「この音もそうやけど、走っている時に普通とは違う揺れがあったはず。義母さん、耳遠い?」と聞いた。 私が普通に話す声は十分聞こえている。 特にここ最近、耳が遠くなったとは感じはないが、私が嫁に来た時から義母のTVの音量は常に63~65である。 高齢者の運転が問題になっているが、私もその為に義母の家を探す際、家の前にバス停がある事にこだわった。 7秒でバス停に行ける家を見つけた。 病院にもスーパーにも町にもそこから1本で行ける。 なのにバスに乗らない。 あの私の必死の家探しは何だったのか・・・ 数年に一度行く日本の運転免許更新。 日本は高齢者の免許更新に際して認知症試験を受けさせているが、それでも高齢者の運転事故は増えていると聞く。 イギリスには免許更新制度が無いから、一度取得してしまえば、あとは自分の自覚で運転を辞める事になる。 義母のように焦げた匂いも分からない、エンジン音の異変にも気が付かないようであれば、本人の勇気でバスに乗り換えてはくれまいか・・とは思うが、義母の家族はそこまで思っていないようである。 以前、大阪のとある運転試験場に免許の更新に行った時の事。 視力検査の時、物凄い高齢だと分かるおじいちゃんが視力検査を私の前で受けていた。 検査員の方が「はい、これはどっち向いてる?」とおじいちゃんに聞いていたが、3問目になり検査員が「あれ?おじいちゃん、さっきから目見えてはれへんよね?自覚あるでしょ?全然ちがう方向言うてはるよ」と言った。 おじいちゃんは「いや、そんな事ない。わしは見えてる」と言った。 検査員は「ほな、指で後方示さんと、今度は口で言うてみて。はい、これどっち?右?左?下?上どっち?」と聞いた。 おじいちゃんは「ああ、そやな・・」と言った。 検査員は「そやな、て何?どっちか言うてよ」と言う。 おじいちゃんは「そやから・・」と口ごもった。 検査員は「はい、おじいちゃん、ちょっとこっち来てね~。見えてはれへんから、こっちで話し合いましょう」と言ったとたん、おじいちゃんは「わしはトラック乗らなあかんのやー!!」と言い出した。 周囲の検査員の方々がおじいちゃんの脇をかかえて歩かせようとするも、おじいちゃんはつま先を床に着けて歩かない。 そのまま横の部屋に連れて行かれた。 運転人生の最期を見た気がした。 自分の運転に自信が持てなくなり運転を辞める人と、その自覚なく運転し続ける人はどちらが多いのだろうか・・。 イギリスのように更新が無ければ100歳を超えたって運転は可能であるし、私は日頃から前後左右に老人の運転する車があるか常に見ながら走り、そうであれば距離を置くか追い抜くようにしている。 義母の凄い運転を日頃見ているからこそ、警戒心も強くなっているのかも知れない。 義母がもし運転を辞めれば、夫と私の負担は今まで以上になるであろう。 タクシーを嫌う義母を送り迎えせねばならない事が確実に増える。 1人暮らしの老人で田舎暮らしならば車は必須である。 それが厄介な問題である。 人気ブログランキングへ