春風ヒロの短編小説劇場

春風ヒロの短編小説劇場

春風ヒロが執筆した短編小説を掲載しています。

昨年秋から「小説家になろう」で公開していた長編作品『お父さん、魔法少女になる』がこのほど、無事に完結しました。

 

そして本日、新作『兜山第二小学校の七不思議 少年祓魔師奮闘記』の連載をスタートしました。

まったく書き溜めができていないので、完全な見切り発車です。

ただし、プロットはある程度できあがっているので、連載途中で打ち切りになることはないと思います。

不定期更新になりますので、よろしければ以下のページから読者登録をしてお楽しみください。

 

https://ncode.syosetu.com/n5638ii/

 

長らく更新を怠っていて、申し訳ありません。

現在、長編小説を3作、同時進行で執筆しています。

できれば年内には、1作だけでも皆さまにご覧いただければと思いつつ、鋭意制作中です。

今しばらくお待ちください。

 

そして、小説とは別に、もう一つお知らせです。

「FIND/47」という、日本の美しさを再発見し、広めていくことを目的とするフォトアーカイブサイトがあります。

私はそのサイトに数点の写真を投稿しているのですが、そのうちの1点が四半期に一度の優秀作を決める「2021年第2期 Quarter Award」に選ばれました。

下のリンクから拙作をご覧いただけます。

 

 

https://app.find47.jp/ja/u/Vufzx

 

今後とも応援のほどよろしくお願いいたします。

 あら、お父さん、目が覚めたんですか?
 お水ですね。ええ、ちょっと待ってくださいな。
 はい、どうぞ。急に飲んだらむせますから、慌てず、ゆっくり飲むんですよ。

 どうですか? 落ち着きましたか。
 じゃあ、おやすみなさい。
 ……え? 目が冴えてしまった?
 そうですか。うーん、じゃあ、ちょっとお話でもしましょうか。

 今日は、4月1日ですね。
 そう、エイプリルフール。1年に1日だけ、大っぴらに嘘をついても許される、という日です。
 だから、今日は私、お父さんにちょっと嘘をつきますね。

 まず、最初に、「ミコ」って名前、覚えてますか?
 もう70年も前のことだから、覚えてらっしゃらないかしら?
 あら、覚えてらしたの。
 そう、お父さんが子供のころに、とってもかわいがってたメスの子猫のミコ。
 生まれてすぐにお父さんの家へやってきて、3年ほど一緒に暮らしてましたね。最初はほんの小さな赤ちゃん猫でしたけど、3年でそれなりに成長して、人間でいえばすっかり大人になりました。
 だけど、事故に遭って死んでしまった。
 あのころのミコはとてもとてもヤンチャで、家の中でじっとしていることなんてできなくて、よく窓から外へ遊びに出かけていましたね。あの日も、いつものように外へ遊びに行って、道路を歩いていたところで、通りかかったご近所さんの車にはねられてしまったんですよね。

 ねえ、お父さん。「猫に九生あり」っていう言葉、ご存じかしら。
 猫には九つの魂があって、人生、あら、猫生と言ったほうがいいかしら。とにかく、九回生まれかわることができるんです。
 新しい毛皮をかぶって、また猫として生まれかわる子もいれば、違う生き物に生まれかわる子もいる。
 ミコは、ヒトに生まれかわることを選びました。
 生まれかわって、大好きだったお父さんと、また一緒に暮らしたかった。
 ほんの3年しか一緒にいられなかったから。ヒトに生まれかわって、もっともっと長い時間、一緒に過ごしたかったから。

 ヒトとして生まれかわったミコは、何年も何年もかけて、お父さんを探しました。
 お父さんを見つけてからも、大変だったんですよ。猫なら、恋の季節が来れば簡単にパートナーとして成立しますけど、人間は、そういうわけにいきませんもの。
 知り合いの知り合いの、そのまた知り合いの……と伝手をたどって、ようやくお父さんの勤める会社の人につながりを作って、お見合いの席を設けてもらえるようにこぎつけて。
 今の若い人だったら、あんなことをする女なんて「ストーカー」って言われちゃうかもしれませんね。

 二人で行った大阪万博。覚えてらっしゃいますか?
 ものすごい人出で、パビリオンを見るどころか、会場に入るのも大変なぐらいでしたね。
 2時間も並んでようやく見ることができた、サンヨー館の「人間洗濯機」。未来のお風呂場っぽくて私はワクワクしましたけど、お父さんは、「こんなんじゃ、ゆっくり湯船に浸かれないじゃないか」って言ってましたね。
 そうそう、アメリカ館の「月の石」は、並んでいる人が多すぎて、諦めちゃったんですよね。
 最後に観覧車に乗ったときは、二人ともすっかりヘトヘトでしたっけ……。

「23:59」
 あら、いけない。もうすぐ日付が変わってしまいますね。
 エイプリルフールが終わっちゃう。じゃあ、ちゃんと嘘をつかないと。
 ユミコっていう私の名前ですけどね、ミコと似てるでしょう?
 うふふ、ただの偶然ですよ。猫が人間に生まれかわって会いに来るなんて、ひ孫たちに聞かせるおとぎ話じゃないんですから、あるわけないでしょう?
 そう、全部、作り話ですよ。
 最初に言ったでしょう、「嘘をつきますね」って。

「0:00」
 はい、エイプリルフールが終わりましたね。そろそろ寝なおしましょう。
 大丈夫、私はどこにも行きませんよ。
 また生まれかわっても、お父さんを探し出してみせますから。

 おやすみなさい。


本作は知人からのリクエストによって執筆したものです。
本作のお題は「0:00」 「4月1日」 「観覧車」でした。

 私は、冬が嫌いだ。

 冬は、言うまでもなく寒い。
 寒いと、朝、起きるのがおっくうになるし、外出するのも嫌になる。
 厚着をすれば少しはマシだと分かってるけど、うら若き乙女としては、オシャレを楽しみたい。ブクブクと着ぶくれた姿で外出するのは、やっぱり恥ずかしい。
 ヒートテックの上からカイロを貼るのは、寒さ対策としては上出来だ。でも、限られたお小遣いの中でやりくりしている身では、毎日何個もカイロを消費するわけにいかない。結局、外出しようと思ったら、寒いのをガマンするか、着ぶくれするしかないワケ。

 空気が乾燥するから、肌荒れしやすいっていうのも嫌だ。まだ10代なんだからそこまでスキンケアに気を使わなくても大丈夫とはいえ、油断すると、頬がカサカサしちゃう。そうそう、手や足の指が霜焼けしちゃうのも困りものだ。
 冬は風邪や、インフルエンザが流行するのも嫌だ。最近は熱中症で倒れる人も増えてるみたいだけど、それでも夏の暑さで死ぬ人と、冬の寒さで死ぬ人を比べたら、圧倒的に冬のほうが多いだろうと思う。

 冬は一日が短いのも嫌だ。日が沈むのが早いから、夕方になったと思ったら、あっという間に真っ暗になる。学校が終わって、ほんのちょっと寄り道してカラオケしたり、ファミレスでジュースを飲んだりしてただけで、気がつけばすっかり深夜のような雰囲気になる。
 天気の悪い日が多いのも憂鬱。さすがに雪かきが必要なほどの大雪が降ることはないけど、それでも曇りの日が続いて、ピューピュー冷たい北風が吹いていると、気持ちまでドンヨリと暗く、濁って、冷えきってしまうように思う。

「不快指数」って言葉がある。主に、夏の蒸し暑さを数値化するために使われてる。
 夏、不快指数が高くて、「あっついなー、もう!」とイライラする人は多い。
 だけど、冬、「さっみーなチクショー!」と怒ってる人には、会ったことがない。
 むしろ、寒いと人は泣きたくなるんじゃないだろうか。
 寒さには、身を縮こまらせて「寒いよう、寒いよう」とメソメソするイメージのほうが似合っている気がする。

 まあ、そんなわけで、私は冬が嫌いだ。
 ううん、正確に言うと、冬が嫌いだった。

 私は最近、少しだけ冬が好きになった。
 あなたと付き合い始めたから。
 二人で、手をつないで歩くことが当たり前になったから。
「手が冷たいから」という理由で、あなたと思う存分くっついて歩けるから。
 寒いのは相変わらず苦手だけど、二人で一緒にいるときは、ほんの少しだけ寒さを忘れていられる。
 こんなに温かくて幸せな日々が自分にも来るなんて、思いもしなかった。
 二人なら、どんなに寒い冬でも乗り越えていける、と思う。

 鏡の向こうで、見慣れた顔がニヘラ、と笑う。
 カレのことを考えると、つい頬が緩んでだらしない顔になってしまう。
 いかんいかん、と顔を引き締め、もう一度、前髪チェック。うん、準備オッケー。
 さあ、そろそろ出かけよう。
 カレを待たせないために、ね。

「ムケーレ・モベンベ」
 夕食中、向かいの席に座った夫がいきなり言った。
「……は?」
 私は沢庵をつまみ上げたまま手を止め、心の中で(ああ、また始まったよ)とつぶやく。
 夫はしばらく中空を見上げていたが、やがて軽く首を振ると、里芋の煮物とご飯を交互に口へ運ぶ作業を再開した。

 時折、夫が意味不明の単語をつぶやくのは、いまに始まったことではなかった。
 食事中だったり、風呂の中だったり、車の運転中だったり……。だいたい、何かをしている最中に、ふと、何の脈絡もないことをつぶやくのだ。
「超ひも理論」
「フィアンマ」
「ムニマユ」
「2千年前の蓮の実が花を咲かせたことがあるじゃないか」
 いや、夫曰く、厳密には、まったく完全に脈絡がないというわけではないらしい。何らかのきっかけがあって脳内のキーが起動し、インスピレーションと情報が結びつく。ところが、そのきっかけというのが、あまりにも突拍子もないものなので、私には脈絡がないとしか思うことができないのだ。
 加えて、何かのきっかけで浮かんできた断片的な情報が、あまりにも細かすぎて、自分でもそれが何なのか思い出すことができない。結果として、意味不明の独り言をいきなりつぶやくという、日常的奇行が繰り返されてしまうのである。

 たとえば、冒頭の「ムケーレ・モベンベ」。正確には「モケーレ・ムベンベ」である。中央アフリカの湖に住む未確認生命体(UMA)で、現地の言葉で「川の流れをせき止めるもの」という意味があるらしい。
 夫が毎日チェックしている食べ歩き・飲み歩き系のブログで、なぜかこの「モケーレ・ムベンベ」の話題が出ていて(そもそも、飲み屋紹介のブログでどうしてアフリカのUMAが出てくるんだ!)、夕飯を食べながら、ふとその単語が脳内に浮かんできたらしい。
 ただ、その「モケーレ・ムベンベ」がうろ覚えだったために「ムケーレ・モベンベ」となり、具体的にそれが何を意味する言葉だったのか思い出せないために、(ムケーレ・モベンベって何だったかな……?)という思いが、不意のつぶやきとして表出したようだった。
 ちなみに、「超ひも理論」は物理学の仮説の一つ。「フィアンマ」は『とある魔術の禁書目録』というライトノベルの登場人物。「ムニマユ」は「無二馬油」で、馬油を使った化粧品。「2千年前の蓮の実が~」というのは、円谷プロの特撮シリーズ『ウルトラQ』に出てくるセリフ、らしい。
 それもこれも、全部自分で調べたのだ。
 夫はつぶやいて、その後、何の説明もしないままほったらかしにしてしまうことがほとんどである。こちらとしては、頭の中に無数の?マークを溜め込んだまま、モヤモヤし続けるしかない。自分で調べるのは、せめてもの消化不良解消法だった。幸い、いまはスマホで検索すればすぐに答えを見つけることができるから、まだマシだ。スマホを持っていなかったころは、わざわざその単語を調べるためだけにパソコンを起動させて、検索しなくてはいけなかった。
 まったく、面倒な日常だった。

 ちなみにこの夫、普段の仕事はパンの移動販売である。
 スーパーの駐車場の片隅などを借りて、焼き立てメロンパンやプチクロワッサンを売っている。
 これが雑誌か何かの編集者だとか、大学の研究員だというのなら、自分の専門分野や関連分野に詳しいというのは理解できる。また、取材したり、情報収集のために本を読んだりして、知識を広げる機会もあるだろう。
 しかし、この夫は違う。メロンパンを焼きながら、ふと「ヒョギフ大統領の貴重な産卵シーン」などという、某お笑い芸人のネタに出てくる意味不明なセリフを一人でつぶやいているのだ。
 彼の脳内には、微妙にポンコツな検索エンジンが搭載されているのだろうと、私は思う。
 その検索エンジンがうまく働いているときはいい。
 たとえば、「国正って知ってる?」と聞けば、「地名のほう? それとも堀川国正(日本刀)?」と聞き返される。
「チャッキーって、最後はどうなったっけ?」と聞けば、「1(チャイルド・プレイの1作目)の最後では、火をつけられて、銃で撃たれて、さらにバラバラにされてたね。2では……」と、映画の解説が始まる。
「日蓮上人って、比叡山で修業して天台宗を修めたのに、どうして日蓮宗を立ち上げたの? 天台宗でも、法華経を唱えてるんでしょ?」
「それを考えるためには、当時の比叡山の状況や、社会情勢をまず踏まえないといかんね。そもそも当時の比叡山は――」
 この質問をした時のことは、いまでもよく覚えている。
 約90分にわたって日蓮の生い立ちや日蓮宗の成り立ち、教義、法華経の内容について延々とレクチャーされることになってしまい、(馬鹿なことを聞いてしまった……)と後悔したからだ。ちなみに、夫も夫の両親も、日蓮宗の信徒ではない。そのくせ、中途半端な信徒以上にやたらと詳しい解説ができるのは、夫曰く、「たまたま調べる機会があったから」らしい。移動パン屋が、いったいいつ、どこで、日蓮について「たまたま調べる機会があった」のかは、まったくもって理解に苦しむのだけれど。
 要は、彼の脳内検索エンジンが、ある日突然勝手に何らかの情報を検索して、そのままフリーズしてしまうらしいのだ。
 検索するだけしたくせに、答えが出てこない。
 その結果、(あれ、○○って何の略だったっけ……?)という漠然としたモヤモヤだけが残ってしまう。

 まあ、いいか。
 面倒な人ではあるけれど、きちんと仕事をして家族を養ってくれているのは間違いないのだし。
 たまに妙な独り言を口走るぐらい、どうってことない。
 そう、ほんのちょっとだけ、私がモヤモヤすればいいだけのことなんだから。
 たとえば、そう、ほんのちょっとあれが……。あれ……そういえば、あれって何だったっけ……?
 えーっと、あれよあれ、あの……あ、そうそう。
「――KOSPI、って……何だっけ?」


本作は某コミュニティサイト内で投稿されたお題に基づいて執筆したものです。
本作のお題は「日蓮上人、蓮、両親」でした。

 広い道場に、少年と初老の男性が二間を隔て、向き合って立っていた。
 二人とも剣道着に身を包み、少年のほうは赤銅色の木刀を携えている。
「……まずは無心。剣を正眼に構え、息吹を整えなさい。目指すのは明鏡止水です」
 明鏡止水。鏡のように明瞭で穢れがなく、澄み切り、さざめき一つない水のような状態。
 現代の剣道において、目指すべき境地とされている。
「はい、先生」
 師匠の言葉に少年は短く返事をすると、腰に携えた木刀を構えた。左手の小指を柄頭に巻き締め、薬指、中指の順に柄を握って木刀を支え、親指と人差し指は柄を軽く挟む程度に回す。右手は鍔元を柔らかく握り、剣先は正対する敵の喉元を狙うように真っ直ぐ突き出す。
「大切なのは気組です。動の気と、静の気のバランスを保ちなさい。敵は、こちらの恐怖を餌にします。どんな相手であっても、何があっても、決して呑まれることなく、心を平らかに保つこと。剣先で敵を圧するところから勝負は始まっているのです」
「はい」
「では、始めますよ」
 初老の男性は懐から三枚の紙札を取り出し、ふっと息を吹きかけると宙に投げ上げた。ひらひらと舞う紙札は、見る間に真っ白な蝶へと姿を変え、宙空を音もなく飛び始める。
 式鬼。特殊な儀式を施した紙札に、仮初めの命を吹き込んで使役する呪術である。
 少年は剣先を宙空に留めつつ、目を大きく見開いて飛び回る蝶の動きを捉えようとする。
「目だけに頼るのではなく、全身で動きを感じ取るのです」
 そうは言っても、目の前を飛ぶ蝶を捉えようと思えば、その動きに目が吸い寄せられるのは無理のないことだった。少年は一羽の蝶に向かってすり足で間合いを詰めつつ木刀を振り上げ、袈裟掛けに斬り下ろした。しかし蝶は剣先の巻き起こす風に乗ってフワリと舞い上がるだけで、依然として飛び続けている。
 体を切り返して向き直ろうとした瞬間、別の蝶が少年の背中に止まった。途端に「パァン!」と乾いた音が響き、少年は床に倒れ伏す。木刀か竹刀で背中を直に叩かれたような衝撃が走ったのだ。
「痛っ!」
 強烈な痛みのために涙がにじむ。それだけではない。背中を打たれた衝撃で肺の中の空気が絞り出されたため、息をすることすらままならなくなっていた。
「ブレス(息吹)! 気を整えなさい!」
 師匠の声が響く。頭上をひらひらと飛び回る蝶に触れないよう気をつけながら体を起こすと、少年は無理やり小刻みに息を吸い込み、吐き出すことを繰り返して呼吸を整えた。
「痛みに気を取られてはいけません。程度は加減してあります。妖の攻撃は、こんなものではありませんよ」
(……そんなこと、分かっている!)
 少年は激痛をこらえながら、再び蝶に向けて木刀を構え直した。
 痛いのは嫌だ。
 だけど、無力であるがために、自分の命が、自分の大切な人の命が、蹂躙されるのはもっと嫌だった。
 あの時のように、為す術もなく、恐怖におののきながら、ただ殺されるのを待つのはもっと嫌だった。
(あんな思いは、二度としたくない!)
 少年の脳裏に浮かんでいたのは、父親が、母親が、友人が、人ならざるモノたちの手によってボロギレのように引き裂かれ、食い千切られる映像だった。
 腹の底から込み上げてきた怒りで、痛みを抑え込む。
 しかし、怒りに囚われてはいけない。怒りは視野を狭め、剣気を散らしてしまう。
 木刀を握っているのではない。構えた腕の延長に、木刀があるのだ。全身を巡る気の流れを感じ取れ。
 自分に言い聞かせながら呼吸を鎮める。
 少年がいまイメージしているのは、波一つない水面だった。
 波一つない水面に小石を落とせば、波紋が同心円状に広がっていく。そして、水面に異物が浮かんでいれば、波紋が乱れ、返ってくる。同様に、いま自分が立っている空間に気を放ち、共鳴させることで、空気の揺らめきや温度の変化など、ごくわずかな変化が視える――あるいは、感じ取れるようになる。以前、そう教えられたことを、少年は思い出していた。
 肌に、さざ波のような気配が伝わってくる。自分の周囲を飛び回る式鬼の動きが、おぼろげながら視えてきたのか。
 ただやみくもに木刀を叩きつけても、式鬼は剣の風圧に流れてしまい、斬ることができない。
(だからこそ――)
 体内の気を木刀に集約させ、その力で式鬼の動きの根源となっている霊力を断つ。
 少年はすり足で前進すると、木刀を柔らかく振りかぶり、斬り下ろした。刃の軌道上に、一羽の蝶がいる。木刀が蝶に当たる瞬間、手の内を一気に締め込み刃先を加速させる。
 パシッと乾いた音が響き、蝶が叩き落とされた。次の瞬間、少年は身をひるがえし、体の正面に木刀を立てた。死角から接近していた別の蝶が木刀に当たり、弾き返される。そのまま木刀を八双に取り、袈裟掛けに斬り下ろし、すかさず逆袈裟に斬り上げる。乾いた音が立て続けに響き、二羽の蝶がまとめて道場の床に落ちた。
 少年はしばらく残心を取っていたが、肌に触れる式鬼の気配が途絶えていることを確認し、ゆっくりと木刀を腰に戻した。
「よくできました。短時間でよくここまで『水鏡』を発揮できましたね。その調子で技を練っていきましょう。いずれ蜻蛉、そして蝿へと段階を上げていきます。実戦に備えて、普段から練気の鍛錬を絶やさないように」
「はい、先生」
 少年は師匠に深々と頭を下げた。

「アキラの調子はどうでしたか」
 社務所の奥にある一室。この部屋の主であり、隠神神社の代表宮司でもある草壁晃治は尋ねた。

 壁一面に本棚が並び、神道や仏教諸宗派、修験道、陰陽道、古武術諸流派の古書籍などがぎっしりと収められている。知らない人が見れば、ここが宮司の執務室ではなく、大学教授の研究室のようにも見えたことだろう。
「『水鏡』の基礎をほぼ会得しつつあります。このままいけば、早晩にも蝶を済ませ、蜻蛉、蝿も了えることになりましょう」
 答えたのは、先ほどまで道場で少年を指導していた初老の男性だった。
 水鏡――自分の心を水鏡と為して敵の姿を映し出し、その動きに応じて技を繰り出す、隠神(おんがみ)流における奥義の一つである。通常であれば十数年の修行を経てようやくたどり着ける境地であって、入門して数年の少年が簡単に習得できるものではない。蝶、蜻蛉、蝿とは、鍛錬の際に用いる式鬼の形態であり、段階が進むにつれて動きも早く、複雑なものになる。まず一羽の蝶から始め、最大で十羽まで数を増やす。蜻蛉、蝿も同様だ。
 そうした鍛錬は、すべて人ならざるモノとの戦いを想定してのものだった。
「草壁先生……。アキラの上達度合いは、飛び抜けていると言わざるを得ません。まだ十二歳でここまでできるようになるのは、はっきり言って異常です。いくら『あの事件』の生き残りとはいえ……」
「だからですよ。あの子にとって、命ある限り『あの事件』は付きまとう。妖とも、穏(オヌ)とも向き合い続けなければならない。背負っているものが大きすぎるのです」
「……酷な話ですね」
「岸野さん。アキラを鍛えてやってください。あの子が背負っている重荷に負けない、強靭な芯を持てるように」
「分かっておりますとも。この岸野、持てる技も力も全て注ぎ込んでみせます」
 岸野は草壁に向かって両手を付き、深々と頭を下げた。
 そのとき、二人の耳に滑らかなピアノの旋律が聞こえてきた。
 アキラが弾いているのだ。
 この神社の建物は、広い境内地によって周辺の住宅から隔絶されている。時刻は既に深夜に近づいていたが、この音色を耳にするのは神社内にいる数名以外にいなかった。
 曲名はない。アキラにとって大切なのは、どのような演奏をするかではなく、自分の心の中にわだかまる形容しがたい感情を、鍵盤を叩くことで表現し、発散することだった。だから演奏する曲は常に即興であり、時にはモーツァルトのように甘美だったかと思うと、時にはベートーヴェンのように重厚な響きを、また時にはショパンのように華麗な音色を作りだした。
「毎日のことですが、まったくの独習でよくあれだけ弾けるものですね。きちんとした講師に学べば、ひとかどのピアニストとして生計を立てることも十分できたでしょうに……」
 岸野がため息交じりに言ったが、草壁は無言のまま、アキラのピアノに聴き入っていた。
 窓の外に広がる闇は、底無しに暗く淀んでいる。それがアキラの行く末を示しているように思えるのだった。


本作は某コミュニティサイト内で投稿されたお題に基づいて執筆したものです。
本作のお題は「先生、ブレス(息)、共鳴」でした。なお、本作は10年以上前から構想を練っていたものですが、作品は現在未公開です。本作に関する質問やお問い合わせには、お答えできかねる場合がありますので、悪しからずご了承ください。
なお、本作の関連作品は以下の通りです。

「オニの慟哭」:http://ameblo.jp/huebito/entry-11105663619.html

「妖狩 最終話」:https://ameblo.jp/huebito/entry-11111225626.html

 真っ暗な防波堤沿いの空きスペースに軽トラックを止めると、すぐに波音が耳を打った。
 ざぁん……ざぁん……ざぁん……。
 懐中電灯で足元を照らしながら、堤防に設えられたコンクリートの階段を下りる。一歩ごとに目の粗いコンクリートと砂が靴の下できしみ、その音が波音に重なる。
 街灯もなく、近くに民家もほとんどない。三重県の最南端、御浜町の中でも、そこは特に人気の少ない海岸だった。
 時折、光の輪の中をフナムシが横切る。昼間はあれほど俊敏に動くのが嘘のように、緩慢な動きだ。釣り人は、夜の間にこの虫を捕まえて生餌にするという。
 砂浜に降り立つと、私は背負っていたアウトドアマットを広げ、その上に腰を下ろした。
 空には星が広がっている。しかし、その光だけでは茫漠とした空と海の境界線までは判別できない。
 それでいい。
 天と海の間に自分の体を置き、地球の大きさを直肌に感じたかったのだから。
 そのために、旅の最初の目的地をこの場所に決めたのだから。
 上着のポケットからカップ入りの日本酒を取り出し、封を切る。まったりとした風味の酒を淡々と喉に流し込みながら、私ははるか遠い昔の記憶を手繰っていった。

 あれは、半世紀近く前。
 つまり、まだ私が高校生のころだった。
 当時は新大阪駅を22時45分に出て、翌朝5時10分に新宮へ到着するJRの夜行快速列車が毎日運行していた。
 青春18きっぷを使ってこれに乗れば、寝ている間に和歌山と三重の県境の町まで行くことができる。そこから北上すれば三重・熊野を経て名古屋へ。南下すれば本州最南端の地、串本町から南紀白浜を経て和歌山市へ。ただひたすら海岸線に沿ってゆっくりと走る電車の旅は、将来に悩み続けていた私にとって、自分自身を見つめる貴重な時間を約束してくれるものだった。長期休暇に入るたび、私はリュックにわずかな着替えとなけなしの現金、そして青春18きっぷを入れて旅に出た。
 あの景色を見たのは、初めて冬休みにこの路線を訪ねた時だ。
 新宮駅のホームに降り立つと、ピリピリと冷たい空気が頬を刺した。
 2月の朝5時といえば、まだ真夜中だ。駅構内は明々と照らされているが、少し離れた街並みに目をやれば、家々はまだ夜の闇に包まれて深い眠りに沈んでいる。
 新宮駅構内の立ち食い店で熱々の月見うどんを食べ、体を温めてから多気行きの普通列車に乗り込む。やがて、ディーゼル駆動車両特有のけたたましいエンジン音と共に列車が動きだす。
 窓の外に目をやると、海が広がっている。
 ついさっきまで漆黒の闇に溶け合っていた空と海が、1秒ごとに明るさを増し、その色合いを変えていく。
 黒から紺へ。紺から青へ。そこへ赤紫が交じり、赤、橙、黄金色とグラデーションしながら景色に輝度と明度を加えていく。そのグラデーションがピークを迎えた瞬間、水平線を割って、一筋の光の矢が差し込んでくるのだ。
 最初はたった一筋の髪の毛のように細かった光が、徐々にその太さを増し、水平線から海岸まで、輝く光の道を描き出す。海面は黄金を溶かしたようにうねり、不定形の波濤は世界中のダイヤモンドを集めて一面にまき散らしたように輝く。
 その彩りの鮮やかさは、一瞬ごとに姿を変えて私の網膜に焼き付いていった。

 それは、極言すればただの夜明けだった。
 誰に見られようと、誰も見ていなかろうと、太古の昔から幾億回、幾兆回と繰り返されてきた、大自然の中のごく当たり前の営みだった。
 しかし、知識としてそれを知っていることと、自分の目で、耳で、肌で、それを感じることは、まったくの別物だった。
 あの景色を見たから自分の人生が変わったなどと、大げさなことを言うつもりはない。
 しかし、あの景色が自分の中の感性を刺激したことは間違いない。記者、編集者、カメラマン、そして作家として、40年以上にわたり、創作・表現活動に携わってきた私の原風景の一つが、あの日見た夜明けだった。
 あれから半世紀近い時間が流れた。
 定年退職を迎え、私は、長年の夢だった幌つきの軽トラックを買った。
 必要最低限の生活雑貨と寝袋を荷台に積み、そこで寝泊まりしながら、これまで取材で訪れた土地や、行ってみたいと思っていた場所を片っ端から訪ね歩く。40代のころに思いつき、準備を進めてきた計画を、いよいよ実行に移す時が来た。
 その最初の目的地が、この海岸だった。
 長年、旅をしてきた自分にとって忘れ得ぬ風景。だからこそ、定年後の第二の人生の出発点としてふさわしいはずだと思った。
 この場所で夜明けを迎えたからといって、これからの旅が何か変わるわけではない。
 しかし、何かが見つかるはずだ。
 私は空になった酒のカップを砂浜に置くと、静かに海を眺め続けた。
 さあ、少しずつ空が青みを帯びてきた――。


本作は某コミュニティサイト内で募集したお題に基づいて執筆したものです。
本作のお題は「夜行列車、うどん、フナムシ」でした。

「ね、私にも飲み物取ってもらっていい?」
 ぐったりとベッドに横たわったまま、私は彼に声をかけた。
 まだ下腹部の奥に甘い快感の余韻が残っていて、体に力が入らない。熱くなった素肌に直に触れる、ヒンヤリとしたシーツの感触が心地よかった。
「水でいい? それとも何か注文する?」
「今は水ちょうだい。でも、後でビールも飲みたいな。注文しといてもらえる?」
「オッケー。はい、どうぞ」
 彼が差し出してくれたペットボトルの水を受け取って一気に飲む。水の冷たさが体の中にしみ込んで、ようやく私はひと息をついた。
「――サービスメニューのAセット二つと、生ビール二つ、お願いします」
 バスローブを着た彼が、ベッドサイドの電話でフロントに注文している。
 ホテルのバスローブって、どうしてこんなにダサいデザインなんだろう……。私は、そんなことを取りとめもなく考えながら彼の背中を見つめていた。
「普段、家ではお酒飲まないんだろ? 飲んで帰って、怪しまれない?」
「一杯ぐらいなら大丈夫よ。こんな時でもないと飲めないんだしね」
 そう言って私は肩をすくめた。もともと私は酒好きで、独身時代は毎週のように友達と飲みに行っていたし、自宅で一人、晩酌を楽しむことも多かった。
 しかし、酒を一滴も飲めない夫と結婚してからは、ほとんど飲まなくなった。夫は口では「飲んでいいよ」と言うものの、実際に私が一人で飲んでいると、露骨に嫌な顔をする。それどころか、「まだ起きてるの?」「こんな時間にそんなもの食べてたら太るよ」「ずいぶんたくさん飲んだんだね」とネチネチ文句を言ってくるのだ。
 普段、すれ違いばかりなんだから、酒のことだってすれ違ったまま、知らん顔してくれてたらいいのに……。
 そんなとげとげしい台詞をグッと飲み込んで、家には料理酒とみりん以外の酒を一切置かないようにしたのは、家の中に無駄な波風を立てたくないからだ。
 酒に限らず、食生活や家事一切を夫好みに仕立てあげ、表面上は「仲のいい夫婦」を演じておく。そうすれば、必要以上のストレスを味わわずに済む。
 それに――。
「さっきは、すごかったね。久々だったから、たくさん感じちゃった?」
 彼の言葉に反応して、再び体の奥が甘くうずく。
「うん……。まだ余韻が残ってるよ」
 そう言って私は笑う。
 表面上、「仲のいい夫婦」を演じていれば、こうして時々、彼とのデートを楽しむことだってできる。
「今日は友達とランチしてくる」と言えば、夫は「ああそう、行ってらっしゃい」のひと言で、それ以上追求してこない。私がどこで何をしていても、興味がないのだろう。
「友達とランチしてくる」というのは、実に便利な言葉だ。たとえ体の関係があっても、彼とは「恋人」と言えるような関係ではないし、「昼食を家の外で食べてくる」という点で言えば、「ランチ」だって事実なのだ。
「どんな友達と、どこで、何を食べてくるか」まで詳しく説明しようとすれば、ウソをつかなきゃいけなくなるけれど、「友達とランチしてくる」というひと言だけを見れば、何もウソはついていない。
 まったく、私は悪い女だ。いちおう、自覚はある。

 彼との付き合いは、もう二年になる。
 私のほうが年上だし、「付き合ってほしい」と彼から言われたときは、ドッキリか、何かの冗談だろうと思ったものだ。お茶や食事のお付き合い程度ならともかく、何度目かのデートでストレートに「抱きたい」と口説かれたときも、まだ半信半疑だった。
 二十代のころならともかく、四十にもなれば、体中、どこもハリやツヤとは縁遠くなってしまう。夫とも、数年前から完全に夜の生活はなくなっていた。
 ただひたすら母として、妻として家族のためだけに尽くす毎日。自分磨きの時間も取れず、「女」としての自分を置き去りにして送る日々。唯一の楽しみは酒の代わりに一人で食べるコンビニスイーツ。彼がこんな私の、こんな体のどこに魅力を感じたのか、まったく理解できなかった。
 しかし無下に断ることもできず、彼に手を引かれてホテルに入り、私は本来超えてはいけないはずの一線を超えた。
 そして、禁断の果実の味を知ってしまった。
 例えるならば、それはチョコレートガナッシュのように濃厚な甘さ。「こんなことをしてはいけない」という理性すらも絡め取り、むしろ、その背徳感自体が官能の歓びを一層濃厚なものにする。底なし沼へ沈んでいくと分かっていながらも抵抗できないまま、むしろ、この甘さに溺れてしまっても構わないと積極的に考えてしまうほどに、抗いがたい魅力をたたえていた。
 彼と、この時間を共有できるなら、私は「悪い女」になろう。
 そう思った「あの日」から、あっという間に二年が過ぎた。

「好きだよ」
 二人きりで過ごしているとき、彼は何度も、そう口にする。
 夫から、もう何年も言われていない言葉。それどころか、結婚前に付き合ってきた何人かの男たちからも、ほとんど言われたことのなかった言葉。そんな、たった四文字の言葉を掛けられるだけで、自分でも驚くほど幸福感が湧いてくる。女として求められることで、自分が満たされると感じる。
 彼が本心から言っているのか、口先だけで優しいウソをついているのか、私には分からない。
 分からなくていい、と私は思う。
 ブックカバーのように、本当の心を覆い隠し、ひと時の関係を飾り立て、つなぎとめるためだけの言葉だったとしても、それで私自身が満足しているのだから。それで十分なのだ。
「私も、好きだよ」
 そう返す。
 その言葉にウソはない。そう口にすることで、たとえひと時だけでも、私は彼の恋人でいられる。
 ブックカバーのかかった恋。そんなふうにつぶやいてみる。うん、なんだか詩的な響きで悪くない。
 アダムとイブは禁断の果実の味を知って、エデンを追放された。
 私も、後戻りはできない。もう、すっかり悪女になってしまったのだから。


本作は某コミュニティサイト内で募集したお題に基づいて執筆したものです。
本作のお題は「優しいウソ、ブックカバー、お酒」でした。

 冷たい雨の降る夜だった。
 天気予報では、この冬最強の寒波が襲来しており、県北部で大雪。中部でも山間部は雪が積もり、平野部でもこの雨は夜更けすぎから雪に変わるだろうと警戒を呼び掛けていた。
 店内に客の姿はない。平日。雨。寒さ。これだけの悪条件が揃えば、客足が振るわないのはやむを得なかった。伝説のバー「レモンハート」のように、雨が降っても雪が降っても店に足を運ぶ、松ちゃんやメガネさんみたいな常連客は、現実にはなかなかいるものではない。
 私の傍らには、小さな紫の花弁を開いたばかりのスミレの鉢植えがあった。春の雰囲気を出せればと思って、しばらく前に購入したものだ。購入時はまだつぼみのままだったが、暖房の利いた店内に数日置いたことで開花が促されたのだろう。天気のいい日など、日当たりのいい場所に出しておいてやれば、これから次々と花を咲かせてくれそうだった。
 ニオイスミレの名の通り、ほんの一輪、開花しただけだというのに、バニラのように甘い香りを、馥郁と漂わせていた。
 来客を告げるドアベルが静かに鳴る。来店したのは一人の若い女性だった。
「こんばんは。ずいぶん暇だったもんだから、店、任せて出てきちゃいました。マスターも暇してるんでしょう? よかったら少し雑談に付き合ってくれません?」
「いらっしゃいませ、葵さん。見ての通り、うちはいつでも閑古鳥のバーゲンセールですから、ご来店は大歓迎ですよ」
 葵はすぐ近くでカクテルバーを営んでいる。フレッシュフルーツを使ったカクテルが売りで、若い女性に人気の店だ。と言っても、普段は二人の従業員に店を任せており、オーナーである彼女自身が店に立つことはほとんどないという話だった。
「外、びっくりするほど寒いですよ。通りを歩いてる人なんてほとんどいないし、雪が本格的に降りだす前に、うちは早じまいしようかと思ってるところなんです」
 葵がそんなことを言いながら、コートを脱いでハンガーに掛ける。後ろを向いた瞬間、背中まで伸びた彼女の髪に、キラキラと輝く小さな結晶がいくつか貼りついているのが見えた。
「もしかして、雪、降り始めました?」
「ええ、まだそんなに強く降ってるわけじゃないけど、時間の問題でしょうね」
 寒さのせいか、元から白い葵の肌が一層白く見えた。
「そうですか……。じゃあ、自転車で帰宅するのはちょっと覚悟が必要かな。さて、今夜は何をお作りしましょう?」
 熱いおしぼりを差し出しながら尋ねる。葵はしばらく視線を彷徨わせていたが、やがて私の傍らに置いてあるスミレの鉢に目を止めた。
「ああ、いい香りがすると思ったら、ニオイスミレだったんですね」
「あ、これですか。ちょっと店に春めいた雰囲気が出るかと思って買ったんです。つい最近開花したんですよ」
「いいですね。やっぱり小さくても、お花が一つあるだけで店内の空気がパッと明るくなりますもんね。じゃあ、その子にちなんで、バイオレット・フィズをもらえますか?」
 ニオイスミレの英名は「Sweet Violet」。葵の注文は、それにちなんだものだ。
「かしこまりました」

 私は以前、葵から聞いた話を思い出しながら、パルフェ・タムールのボトルを手に取った。
「20歳の誕生日に、父が知人の経営するパブに連れて行ってくれたんですよ。『好きなものを頼んでいいぞ』って言われて、注文したのがバイオレット・フィズだったんです。きらめくグラスに満たされた透明な紫、甘くて、華やかな香り。不思議な味……。私が初めて大人の世界に飛び込んだ、思い出のカクテルなんですよ」
 だから彼女の店では、フレッシュフルーツを使ったカクテルと合わせて、バイオレット・フィズを売りにしているのだと、彼女は話していた。
 レモンをスクイーザーで絞り、メジャーカップで計量してから果汁をシェーカーに注ぐ。同じく、パルフェ・タムールをメジャーカップで計量し、シェーカーに注ぐ。砂糖を加えてシェイクし、コリンズグラスに注いだら、ソーダを加えて完成だ。
「お待たせしました。『お父様の思い出』です」
「ありがとう。覚えていてくれたんですね」
「もちろんですよ。音楽室の話など、とても印象的でしたからね」
「音楽室の話」というのは、彼女が子供のころに住んでいた家にあった部屋の話だった。彼女の父親は自宅の一室を改造てオーディオ専用の部屋を作り、そこを「音楽室」と呼んでいた。彼女もその部屋で、父親が収集したLPレコードをよく聴かせてもらっていたという。深々と雪が降り積もる日に二人でこたつに入り、何枚もレコードを聴き続けていたのだ――と。
「特に何か話したりはしなくて、ただ一緒に音楽を聴いてただけでしたよ」
 彼女はそう話していたが、父親と共有した時間そのものが大切な思い出になっているのだと、私には感じられた。

「マスターは『BANANA FISH』って作品、ご存じですか?」
 ゆっくりとグラスを傾けていた葵が、不意に尋ねた。
「詳しくは知りませんが、タイトルは知ってますよ。30年ぐらい前に連載されてた作品だったと記憶してますが……」
「つい最近、深夜アニメで放送されてたんですよ。『バナナフィッシュ』っていう薬物を巡って暗躍するマフィアと、それを追求する主人公たちの話なんです。主人公のアッシュはストリートギャング上がりのアウトロー。もう一人の主人公の英二は日本から来た純朴な大学生。二人は友情を育みながら陰謀を説き明かしていくんですけど――」
 葵はしばらく、『BANANA FISH』について熱弁を振るっていた。
 最後の場面はニューヨークの市立図書館。アメリカを発って日本へ帰る英二を、
「オレみたいな人間は、英二の人生に関わっちゃいけない」
 そう言ってアッシュはあえて見送らず、一人で過ごす。
 そこへ、英二の手紙が届けられる。
「君は一人じゃない、ぼくがそばにいる。ぼくの魂はいつも君とともにある」
 本来、交わるはずのなかった二人の人生。それが、「バナナフィッシュ」を巡る陰謀と戦いを経て、分かつことのできない、強い絆で結ばれた。
 どんなに遠く離れても、ぼくたちの絆が途切れることはない。死すらも、ぼくたちの友情を損なうことはできない。
 そんな英二のメッセージに感極まったアッシュは、図書館の外へ飛び出す。しかし、そこで生き残っていた敵の一人に見つかり、ナイフで刺されてしまう。自分が助からないと悟ったアッシュは館内に戻り、英二の手紙の続きを読みながら息絶える。とても穏やかで、満足げな笑みを浮かべながら――。
「ツイッターに、アッシュが座っていた座席から撮影した写真がアップされてたんですよ。これがアッシュの最期に見た景色だったんだなあとか、どんな気持ちだったんだろうって考えると、もう涙が止まらなくて……。放送が終わってからは、すっかり『バナナロス』になっちゃいました」
「そんなに感情移入できる作品に出合えたのは、素敵なことでしたね。そういえば京都で、いろんなアニメとコラボしたお酒を出している酒造業者がいましたっけ。『BANANA FISH』のイメージボトルも作っていたと思いますよ」
「へえ、そうなんですね。うーん、欲しいなあ。店に飾る分も合わせて、何本か買っちゃおうかな。経費で落とせると思いますか?」
「あはは、それは従業員さんたちと相談してみてください。ちなみに、『BANANA FISH』ボトルに入っているのは、日本酒じゃなくてスパークリングワインだそうですよ」
「え、でもそこって、日本酒の会社なんですよね? 自社でワインも造ってるのかな。外部委託してるのかなあ……」
「どうでしょう……。私には分かりませんが、いずれにせよ、いろんなことを考える業者がいるもんですね。みんな、生き残るためにいろんな必死なんでしょう。さて、グラスが空いてますけど、お代わりされますか?」
 私は片手でグラスを指し示した。空になったグラスの縁にごくわずかな滴が残り、キラキラと輝いている。
「いえ、今日はこれぐらいにしておきます。久しぶりにバイオレット・フィズを飲めて、うれしかったです。このお酒と雪のおかげで、父のこと、いろいろ思い出しちゃいました。『BANANA FISH』のことも思う存分語れたし、今夜は満足です」
「そうでしたか。喜んでもらえたら、何よりです」
「お互い、お客さんから『私にとってこの店は、この一杯のためにあった』って言ってもらえるような、そんなお酒を作っていきたいですね。じゃ、おやすみなさい」
「またのご来店をお待ちしてますね」

 葵が店を出た瞬間、ドアの隙間から予想以上に冷たい風と数片の雪が舞い込んできた。どうやら外は、本格的な吹雪になっているらしい。
 これはもう、帰宅をあきらめたほうがいいかもしれない。幸い、店のバックヤードには仮眠用のスペースもあるのだ。貴婦人たちが香水として身にまとったバイオレットの香りに包まれて眠るのも悪くない。
 ……花言葉「高尚」には、ほど遠い生活スタイルだけれど。


【バイオレット・フィズ】
クレーム・ド・バイオレット 45ml
レモン・ジュース 20ml
砂糖 1tsp
ソーダ 適量

ソーダ以外の材料をシェークしてコリンズ・グラスに注ぎ、氷を加える。ソーダで満たし、ステアする。