おはようございます。アドラー心理学に基づく勇気づけの研修(外研修も)とカウンセリングを行う ヒューマン・ギルド の岩井俊憲です。
今日(8月17日)は早起きしてしまい、 ジョセフ・ペルグリーノ博士(モントリオール個人心理学研究所理事長)のメンターの一人であるソフィア・デ・ブリエスのことを詳しく調べたくなり、インターネットで検索したら、「ソフィア・デ・ブリエスへの賛辞」という記事を発見しました。
Henry T. Stein, Ph,D., Director
Alfred Adler Institute of San Francisco
A Tribute to Sophia de Vries (1901-1999)
急につたない訳でも紹介したくなって予定外の投稿をしました。
一部意訳が入りますが、次のようでした。
アルフレッド・アドラーと直に接していた最後の人、ソフィア・デ・ブリエス(1901年2月2日にオランダのアーネムで生まれ)が1999年3月25日にカリフォルニア州ナパで亡くなりました(享年98歳)。
クラシカル・アドリアンの心理療法士でありトレーニング・アナリストでもある彼女は、米国でのアドラー・オリジナルの教えと治療スタイルの再生に火を灯しました。
彼女は、ほぼ20年間サンフランシスコのアルフレッド・アドラー研究所の指導者を務めていました。
アドラー派の実践に対する彼女の最大の貢献の1つは、ソクラテスの対話手法を心理療法に巧みに適用したことでした。
第二次世界大戦中、〔彼女が生まれ育った〕オランダではアドラーとフロイトの理論は禁止されていました。そうすることは危険でしたが、彼女はアドラー派の心理学を実践し続けました。
1948年、彼女は米国に移住、南カリフォルニアに定住し、リディア・ジッヒャーと密接に協力しました。
彼女は1952年に北カリフォルニアに移り、オークランドのリンカーン・チャイルド・センターのケースワーカーとして働き、心理学者として指導を続け、個人治療を発展させました。
長年にわたり、彼女は他のクラシカル・アドレリアン ― カート・アドラー、アンソニー・ブルック、エドワード・シュナイダー、ブランシュ・ウェイル ― と積極的に関与し続けていました。
アルフレッド・アドラーとアレクサンダー・ミューラーの著作のいくつかを翻訳した彼女の貢献は、未刊だったクラシカル・アドレリアンの作品と共に、「アルフレッド・アドラー著作集」の公刊に寄与したタスクフォースであるアドレリアン翻訳プロジェクトの基盤となるものでした。
彼女は「アドラーはまだ完全には理解されていない。そのルーツから根本から再発見されなければならない」というミューラーの評価を固く信じていました。
彼女は、2人の娘、6人の孫、数人のひ孫を残しています。
また、別の記事では、彼女が1922年にイタリアに旅行した際に、マリア・モンテッソーリに師事したことが書かれていました。
ところで、「クラシカル・アドレリアン」というのは、「アルフレッド・アドラーの教えに忠実であれ」という流派で、ルドルフ・ドライカースによって広められているアドラー心理学に批判的な勢力です。
ちなみに、ペルグリーノ博士は、北米地区に 伝わるアドラー心理学の「シカゴ学派」「ニューヨーク学派」「サン・フランシスコ学派(クラシカル・アドレリアン)」の全てを学んだ唯一の人です。
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<お休めコーナー>8月の花(11)
プラスしてアドラー心理学が日本に入ってきて日本の風土に合うように、どのようにアレンジされたかも興味深いです。
個人的には「ほめる」を敵視する書き方を目にすると「違うだろー」と心の中で叫んでいますw
久しぶりのコメントに感謝です。
確かに違いはありますが、ただ、全体の8割程度です。
1冊の本にするほどのものではないような気がします。