元敦賀市長の本音暴言! ←---クリック(こちらのリンクから転載させていただきましたm(_ _ )m

 

----------<引用開始>----------

原発は金だ!

放射能汚染で生まれる子供達が、

5 0年後に障害者でもかまわない!

元敦賀市長の本音暴言/

原発ムラの基本理念!!



東電・清水元社長

福井の原発事故で汚染なら【琵琶湖代替水源なし】近畿地方の住民の四分の三の飲み水が、国家的危機!


みんなが知るべき情報

ブログランキング・にほんブ ログ村へ



原発は金だ。

放射能汚染で生まれる子供達が

、障害者でもかまわない!

原発ムラの基本理念!!


阿修羅
http://www.asyura2.com/12/genpatu24/msg/757.html

原発は、たなぼた式の金だ。

放射能の汚染で5 0年、100年後に

生まれる子供がみんな障害者でもかまわない。

==1983年に、この信じ難い暴言を発したのが==

◆当時の全国原子力発電所所在市町村協議会会長 ・高木孝一です。

(高木毅現衆院議員が、その息子です)

……原発ムラの人間の基本理念です。。

……今も変わらない、鬼畜の如きです。。

……大飯原発再稼働前の阿修羅ブログより

……福島原発事故を予想、反原発の旗手、広瀬隆氏の

……記事を、再び。。

西川一誠・福井県知事、河瀬一治・敦賀市長、

高木毅(つよし)衆院議員の三人は、その代表者です。

金のことだけなら、目をつぶっても構いません。







河瀬一治・敦賀市長


阿修羅
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

【広瀬隆さんより】大飯再稼動が決定に際して

多くに拡まって欲しい広瀬隆さんよりのメール
http://hibi-zakkan.sblo.jp/article/56524419.html
2012年06月17日 日々雑感

色々な方とのご縁があって、

日々雑感管理人は広瀬さんと

少々御縁を持たせて頂いております。

広瀬さんに許可いただき、頂いたメールを、

要拡散の為、転載公開させていただきます。

ツイッター、ブログでの転載全て自由の許可も頂いておりますので、

多くの方の目に留まればと 思います。

添付のPDFも転載ご自由に

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

東京の広瀬隆です。

大飯原発の再稼働について、

福井県の西川一誠(いっせい)知事が

自ら「安全論」を語りだしました。

ご承知のことと思いますが、私は、

西川知事がどのような人格であるかを知りながら、

昨年の福島原発事故のあと先月までは、

彼の言動が「原発再稼働を直ちに容認せず」であることから、

批判を控えてきました。むしろ、賞讃することによって、

引っ込みがつかなるように西川 発言を引用して、褒めてきました。

しかしここに来て、その正体を現わした以上、

黙っているこ とはできません。

福井県内の自治体首長たちにまつわる

原発業界からの利権は、すさまじいものであります。

一昨年2010年3月7日の朝日新聞の報道にあるように、

西川一誠・福井県知事、河瀬一治・敦賀市長、

高木毅(つよし)衆院議員の三人は、その代表者です。

金のことだけなら、目をつぶっても構いません。

しかし、長い間にわたって原発利権によって危険性が隠蔽される

事実を目にし てきた、私たちは、

彼らがトンデモナイことを考えてきた人脈であることを、

現在の日本国民に伝 える義務があると感じます。

「原発は電源三法交付金や

原発企業からの協力金があり、たなぼた式の金だ。

放射能の汚染で5 0年、100年後に

生まれる子供がみんな障害者でも心配する時代でない」

1983年に、この信じ難い暴言を発したのが、

当時の全国原子力発電所所在市町村協議会会長 ・高木孝一です。

この発言は、毎日新聞の報道にあるような、

なまやさしい表現ではなく、

ここ に全文の引用を憚るほどの恥ずべき言葉でした。

この協議会が、全国の原発立地自治体の総本山として、

54基の原発を建設させてきたのです。

そして昨年、朝日新聞に報道された高木毅衆院議員が、その息子なのです。

福島原発事故の前に報道されていた通り、

西川一誠は原発立地県の最高責任者として、住民の 生活を生命を守るにふさわしくない人間です。

そのような人物が、大飯原発の再稼働を容認する ことは、報道界にとって、取り上げて深く論証すべき、

重大な問題ある事実でありましょう。

これからも私たち日本人は、こうした人間集団に命を預けるのか。

子供たちの命を、西川一誠らの福井県内自治体に預けるのか。

このまま、原発が動き出してもいいのか。

2012年6月16日 広瀬隆

 

----------<引用終了>----------

 

50年後、100年後に生まれた子どもが片輪になるかもしれない」が「原発は金になる」 ←---クリック(こちらのリンクから転載させていただきましたm(_ _ )m

 

----------<引用開始>----------

 

「50年後、100年後に生まれた子どもが片輪になるかもしれない」が「原発は金になる」――原発推進講演会での高木大臣の父の発言

 もう一つ、ツイッターで繰り返しリツートされている話題がある

 高木毅大臣の父親、全国原子力発電所所在市町村協議会長を務めていた福井県敦賀市の高木孝一市長が、北陸電力の原発建設候補地になっていた石川県羽咋郡志賀町で開催された原発推進講演会で発した問題発言だ。

 「50年後、100年後に生まれた子どもが片輪になるかもしれないが」――

 「原発は金になる」――

 この講演会は、原発推進派の羽咋(はくい)広域商工会が1983年1月26日、町民約150人を集めて開催された。

▲原発銀座とも呼ばれる若狭湾に隣接する原発

 福井県南西部の若狭湾沿岸は原発銀座とも呼ばれる原発の集中する地域だ。敦賀市市街の北西に15km突き出した敦賀半島には、日本原子力発電の敦賀発電所の1~2号機、関西電力・美浜発電所の1~3号機、原子力機構の高速増殖炉原型炉の「もんじゅ」と6基の原発が狭い地域に隣接している。原発立地のうま味を覚えてしまった自治体が、原発依存から抜け出せない実情が垣間見られる。

 多くの問題を抱えた高速増殖炉「もんじゅ」の試運転を認めたのも当時の高木孝一市長である。

(※)高木孝一氏の講演内容は録音データを文字起こしして、経済評論家である内橋克人の著書『原発への警鐘』(講談社文庫)で紹介されている。下記のサイトに転載され、その全文を読むことができる。
http://www.labornetjp.org/news/2015/1444315859492zad25714

1983年2月5日発刊の毎日新聞

▲1983年2月5日発刊の毎日新聞より

 講演会では、敦賀発電所一号機の一般排水溝から放射性物質コバルト60が漏れた1981年4月の事故に触れ、「新聞報道、マスコミは騒ぐけれど、コバルト60がホンダワラ(海藻の一種)に付いたといって、私は何か(なぜ騒ぐのか)、さっぱりもうわからない。そのホンダワラを1年食ったって、規制量の量(放射線被曝のこと)にはならない」と語り、マスコミが騒いでいるだけで、健康になんら影響はなどない、などと持論を展開している。

(*)敦賀発電所(日本原子力発電株式会社)の放射能漏れ事故

 1981年4月、福井県の調査で、海藻から異常に高い放射能が検出された。調査の結果、敦賀発電所一号機の一般排水溝から放射性物質が漏洩したことが分かった。漏れた放射性物質はコバルト60であり、平常時の約10倍の量が検出された。さらに調査を進めたところ、一般排水路の出口に積もった土砂からも高濃度のコバルト60とマンガン54が検出された。放射性物質が検出された原因は、原子力安全委員会の調査によると放射性廃棄物処理旧建屋の設計・施工管理上の問題に、運転上のミスが重なったからとされた。

 しかし、上記の放射能が検出された原因は、この漏出が判明する前月に大量の放射性廃液がタンクからあふれるという事故が起きていたからであり、敦賀発電所はその事実を隠蔽していた。この「事故隠し」によって、これ以降の日本での原子力発電に対する不信感が大きく芽生えるきっかけになったと考えられている。

 「敦賀は日本全国の食用の昆布の7~8割を作っておるんです。が、その昆布までですね、敦賀にある昆布なら、いうようなことで全く売れなくなってしまった。ちょうど4月でございますので、ワカメの最中であったのですが、ワカメも全く売れなかった。」

 「そこで私は、まあ魚屋さんでも、あるいは民宿でも100円損したと思うものは150円貰いなさいというのが、いわゆる私の趣旨であったんです。100円損して200円貰うことはならんぞ、と。本当にワカメが売れなくて、100円損したんなら、精神的慰謝料50円を含んで150円貰いなさい、正々堂々と貰いなさいと言った」

 「一昨年の事故で大きな損をしたとか、事故が起きて困ったとかいう人は全く一人もおりません。まあ言うなれば、率直に言うなれば、一年一回ぐらいは、あんなことがあればいいがなあ、そういうふうなのが敦賀の町の現状なんです。笑い話のようですが、もうそんなんでホクホクなんですよ」

 また、原発を設置すれば電源三法交付金が貰えるとして、「敦賀の場合、敦賀2号機のカネが7年間で42億入ってくる。三法のカネが7年間でそれだけ入ってくる。それに『もんじゅ』がございますと、出力は低いですが、その危険性……、うん、いやまあ、建設費はかかりますので、建設費と比較検討しますと入ってくるカネが60数億円になろうかと思っておるわけでございます…(会場感嘆の声と溜息がもれる)」

 さらに、敦賀の金ケ崎宮という神社の修復費に6千万円、北陸一の宮の修繕に6億円を日本原子力発電と動燃(原子力機構)から出させたと語り、「まあそんな訳で短大は建つわ、高校はできるわ、50億円で運動公園はできるわね」「そりゃあもうまったくタナボタ式の街づくりができるんじゃなかろうか、と、そういうことで私は皆さんに(原発を)お薦めしたい。これは(私は)信念を持っとる、信念!」

 原発推進派の人々に囲まれ、悦に入ったのだろうか。最後は、悪乗りだとしても決して許されない、信じられない言葉で締めくっている。

 「その代わりに100年経って片輪が生まれてくるやら、50年後に生まれた子どもが全部片輪になるやら、それはわかりませんよ。わかりませんけど、今の段階では(原発を)おやりになった方がよいのではなかろうか…。こういうふうに思っております。どうもありがとうございました。(会場、大拍手)」

 この講演から5年後の1988年8月、会場となった志賀に北陸電力による原子炉の設置が許可され、1993年7月には志賀原発1号機が営業運転を開始している。

 

 

----------<引用終了>----------