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禅の映画

2019年12月14日 | 映画日誌

▲YouTube「マザーウォーター」予告編1:32



“禅”というと仏教の一宗派
「禅宗」が行っている坐禅の様子を
思い浮かべます。
しかしもともと坐禅は
本当の自分に出会うための修行であって
仏教の教義ではありません。
作務衣をきて頭を丸めた人だけが
独占的に行う修行ではなく
いつでも、だれでも、どこででも
行うことができる
極めてナチュラルな行為です。


見性体験とはどんなものなのか。
どのような環境で発現するのか。
聴いた人なりの解釈が
いろいろな装飾を施した上に
それぞれの正しさを主張することで
宗派として今日の姿があります。
最近の日本では
仏教は葬儀のための宗教に
なってしまった感があります。


そもそも
仏教というのはその名のごとく
「仏の教え」であり
つまりブッダの見性体験を
その後の弟子たちがまとめたものが
教えとして広まったものです。
今風に言うと自己実現法やパラダイムシフト
と呼ばれるもので
所謂、宗教とは似て非なるイメージです。


禅という字を分解すると
「単」に「示」すとなります。
ただ、今目の前にあるココが
すべてであって
坐禅はそのことに気付くためにただ坐る
ということです。
そして
その気付きは自分の気付きではなく
すべての気付きであるということ。
このあたりのことは
思考レベルを超越するようで
その体験のない者には
理解しようがありません。


なので
とにかく何もせずただ坐ってみる。
坐る時間がない時も
目の前の今ココの動作をじっくりと
味わってみることも禅の教えのひとつです。
生活すなわち禅
仏道は自己なり

と言われる所以はここにあります。



たとえば
茶道の立居振る舞いなどは
決められたひとつひとつを
丁寧に味わうことから始まります。
一見マンネリのように見える
決まりきった動作の中に
見性のすべてが詰まっている。
これが茶道のみならず
『道』
の真髄です。



さて
先日の「食と農の映画祭」において
リクエスト上映された『マザーウォーター』
2010年公開のこの作品は
公開当時も劇場で観ましたが
スローライフを謳った作品かと思いきや
改めてみると実は禅がテーマの
映画だと気付きました。



水割りをつくる音
コーヒーを淹れる音
食事をひとくち一口味わう音
公園にそよぐ風の音


ひとつひとつ動作はそれぞれに
生活音を奏でます。
まさに今ココの出来事だけを
切り取ってみると
唯々そのことがあるのみなのです。
そして
あすもあります
明日も今ココの連続の中にある。



▲「マザーウォーター」のワンシーン


監督は松本佳奈さんで
この作品が初監督となったようですが
「東京オアシス」(2011年)
「パンとスープとネコ日和」(2013年)
でも監督を務められました。



ちなみに
同姓同名のアーチストの楽曲が
YouTubeにアップされていました。
こちらの映像もなかなか良いのです。
偶然とはいえ何かのメッセージかも
知れません。


▲YouTube松本佳奈「パラダイムシフト」4:59



ちょっと疲れているなあ
とか
どうすれば良いかなあ
と迷ったときに
この映画は良いクスリになります。


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