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三島由紀夫観了

2020年03月22日 | 映画日誌
サロンシネマではいつも
最後列の御座敷席に座ります。
今日は「畳11番」の席にコーヒーを持ち込み
ノンビリと鑑賞することに。
テーブルのメッセージは
“考えるな、感じろ!”です。






公開初日のサロンシネマには50名ほどの観客で
その多くは60代以上の紳士の皆さまでした。
内容が内容だけにごく限られた層の関心に
依拠する作品かも知れませんが
ウイルス騒動の今だからこそ
多くの方に観られるべき作品だと感じました。
それはつまり国家とは何かを一人ひとりが
真剣に考えてみる時節でもあり、そのヒントが
この作品の底流になっているからです。


とりわけ「天皇」を頂いていることが
当時の全共闘にとって壁であり
乗り越えられなかった一番の理由でもある。
天皇が権力者として君臨していれば
学生が発端となった『革命』も
容易く成し遂げられたと三島はいいます。


そもそも60年安保などの国民運動の目的は
反米愛国
であって暴力的な闘争における
正義の旗印でした。
それは三島としても歩み寄れるところであって
非合法でありながらも結局のところ手段として
暴力は否定しないという立場です。
しかし、三島が学生たちに訴えたかった要諦は
天皇は民衆にのし掛かる権力ではない
という一点でした。
上部構造の排除が目的の偏ったイデオロギーに
洗脳されるのではなく
天皇を頂いている国民としての
伝統と生き方を考えた上で
愛国とは何かを考えてほしいと訴えます。
このことは
現代を生きる私たちにも関わる問題であり
日本文化そのものの在り方や価値について
今一度考えてみるべきでしょう。



昭和45年11月の
市ヶ谷での自死は日本の文化や伝統に則り
情勢に見合った法律に変えていくための行動を
自衛隊に訴えた最期の瞬間でした。
日本は好む好まぬ、知る知らぬに関わらず
犯すことのできない天皇を立てることで
長い歴史を積み上げできました。
日本は先の敗戦で
価値観の転換を余儀なくされましたが
敗北が歴史のすべてを
否定したわけではありません。
むしろ改めてその敗戦から何を学ぶのか。
天皇とは何か。
敗戦の原因は天皇制にあったのか。
今一度、冷静に考える時期かも知れません。


▲ 映画『三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実』公式サイト


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