2020年06月24日

誤)アマエビ|正)アマビエ

武漢ウィルスが世界中に蔓延し、今なお猛威を奮っています。
今年4月初旬に東京などに対して発出された ”緊急事態宣言” は、程なく日本全国が対象となりました。
人との接触を極力減らすように注意喚起され、多くの国民がそれに従って生活した結果感染者数は減少し、やがて東京などを除く多くの県がまず ”緊急事態宣言” の解除対象となり、遅れて近畿地区の府県、そして北海道と東京都その近郊の県も解除となりました。
それでも尚感染拡大を防ぐために、県境を越えての移動を極力しないように呼びかけられていましたが、それも漸く解除となりました。

・・・・が、緊急事態宣言が解除されると、再び感染者数が増加をしだしています。
東京の感染者数は急増し、いわゆる ”第二波” は確実に忍び寄ってきていると思われます。


こんなウィルス禍の中、急遽注目を浴びて有名になった存在があります。
現在の熊本県で江戸時代に目撃されたという妖怪 アマビエ です。
半人半漁のこの妖怪は、光る海から現れて豊作と疫病が流行ることを予言し、自らの姿を絵に描き多くの人に見せるように述べて海中に帰っていったというのです。
アマビエを描いた絵を見ると疫病に罹らないのかそういう言い伝えはありませんが、なんとなく文脈上そのように受け取れることから、またアマビエの容姿が ”キモかわいい” ということから、一躍SNSなどで広まっていったようです。

アマビエ ワッフルクッキー

実はアマビエという妖怪は、妖怪好きの間ではそれなりに知られていた存在のようです。
妖怪漫画で著名な水木しげる氏は昭和50年代に出版された書籍の中に アマビエ を描いていますし、代表作である 「ゲゲゲの鬼太郎」 のTVアニメ(平成19~21年)にも登場しているそうです。

しかし知る人ぞ知る存在であったアマビエが一躍著名となったのは、武漢ウィルスが日本にも蔓延しだした今年2月に、妖怪掛け軸専門店の 「大蛇堂」 が Twitter に アマビエの解説とイラスト作品を投稿したのがきっかけだそうです。
投稿には「疫病退散にご利益があるというアマビエの力を借りよう」 「コロナウィルス対策としてアマビエのイラストをみんなで描こう」 とし、それに賛同した人たちが Twitter などにハッシュタグをつけて自らのアマビエをアレンジした作品をツィートしだし、またそれらがリツィートされるという繰り返しで広まったようです。
あるサイトの分析では「アマビエ」を含むツィート数が、2月中は日に10件程度だったものが、3月1日は162件、3日は4,737件、7日には38,646件という増え方をしていたと言います。

当初 「アマビエ」 と 「アマエビ」 を読み間違える人もいたと思いますが、今となっては間違える人はいないくらい著名になりましたね。

ちなみに、アマビエとよく似た名のアマビコ(天彦、尼彦などとも)という妖怪もいます。
アマビエと同様に疫病や豊作を予言し、自らの姿を見たものは疫病から助かると述べたり、海からやってきたりとアマビエと共通する部分が多い妖怪です。
ちなみにアマビエの目撃例は現在の熊本県に1例あるだけですが、アマビコは現在の熊本県で数度の他、現在の新潟県や宮崎県などでも目撃例があり、アマビエはアマビコの聞き間違い、書き間違いではないかと言う人もいるようです。


ところで、アマビエと同様に予言をする妖怪がいるのはご存知ですか??



アマビエが注目され始めてしばらくすると、山梨県立博物館が 「ヨゲンノトリ」 という妖怪を紹介します。
この鳥は頭が2つある鳥で、幕末にコレラが流行するのを予言したと伝えられています。

「暴瀉病流行(ぼうしゃびょうりゅうこう)日記」には
来年の8月・9月のころ、世の中の人が9割方死ぬという難が起こる。それについて、我らの姿を朝夕に仰ぎ、信心するものは必ずその難を逃れることができるであろう」

と記されているそうです。
https://www.asahi.com/articles/ASN5602J7N4JUZOB00V.html

残念ながら(?)ヨゲンノトリはアマビエほど各方面に取り上げられることはありませんでした。


今回のウィルス禍では全く話題になっていませんが、予言をすることで知られる妖怪は、私の知る限りもう1体います。
クダンと呼ばれる、半人半牛の妖怪です。
半人半牛というと西洋のミノタウルスを連想する人もいるかもしれませんが、あちらは牛頭人身の怪物。
クダンは人頭牛身の妖怪です。

この妖怪(当初はクダベと呼ばれたらしい)は最初、現在の富山県で目撃されたというのが最古の例のようです。
そして、アマビエ・アマビコやヨゲンノトリと同様に、疫病を予言する一方、自分の姿を描いてその絵を見れば難を逃れると言ったというのです。

クダンは江戸時代に何度か目撃例があり、現在の京都府日本海側や現在の島根県、五島列島など様々なところで発見されています。
しかも明治から昭和初期にかけてはクダンの剥製が見世物小屋で公開されたりもしたとか。
日露戦争や大東亜戦争中の空襲などを予言したという話も各地に伝わっているようです。


実は、アマビエ・アマビコ、ヨゲンノトリ、クダンの、現存する目撃情報を時系列に並べるとこうなります。

文政10年(1827年) 越中国・立山で クダベ が発見される。疫病を予言し、自らの姿を描いた絵を見れば難を逃れると言い残す
天保 7年(1836年) 丹後国・倉橋山で クダン が発見される。報ずる瓦版には宝永2年(1705年)にもクダンが出没し、豊作を予言。
         クダンの絵を貼っておけば家内繁昌し疫病から逃れ、一切の災からも逃れられ大豊作となると記す。
天保15年(1844年) 越後国に3本足のアマビコが出現し「今年、日本の7割の人が死ぬ。しかし我の姿を見たものは死から逃れられる」
弘化 3年(1846年) 肥後国にアマビエと名乗るものが現れ、6年間豊作が続くが、同時に疫病が流行る。
         自らの姿を描き写して人々に見せよと予言し、海へ帰っていった。
安政 5年(1858年) 旧市川村(現山梨市)に記された『暴瀉病流行日記』にヨゲンノトリが記されており
         「来年の8月9月ころに世の中の人が9割死ぬという難が起こる。我らの姿を仰ぎ信心するものは難を逃れる」
慶應 3年(1867年) 出雲の田舎でクダンが生まれ「今年から大豊作になるが秋から悪疫が流行る」と予言し3日後に死んだ。
明治42年(1909年) 10年前に五島列島で人の顔を持つ牛が産まれ、日本はロシアと戦争をすると予言して死んだ。
         10年前が正しければ明治32年頃なので、日露戦争開戦前。(日露戦争は明治37~38年)

興味深いのは、クダン、アマビエ・アマビコ、ヨゲンノトリは比較的近い頃(といっても20年位の期間がありますが)に発見されているということですかね。

ちなみに、現代社会において(少なくとも昭和の頃までは)、圧倒的に クダン が著名であっただろうということです。
(戦時中などの話は記載を割愛。クダンを題材とした小説や漫画は多数あり)

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Posted by 木霊 at 18:43│Comments(0)
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