勝手に“祝・鉄復帰10周年企画”2010年撮影分からです
◆そもそも、鉄道写真を撮るようになったきっかけは
もう、45年も前の事。
まだ私が 赤ちゃんだった頃、
祖父が毎日のように総持寺踏切へ電車を見せに通っていた。
どんなに 愚図っていても ここへ来ればご機嫌だったらしい。
そんな祖父、足が悪くなり外出が困難になったのが
私が小学6年生の頃。
そんな祖父が、
「たくさん 電車の写真を撮ってきてくれ」とカメラを買ってくれた。
ブルートレインブームの後押しもあって、
これが鉄道写真を撮るきっかけに。
でも、中学生になって、部活と両立出来なかったり、
社会人になって仕事とも両立出来なかったりで、
その後35年間も“非鉄時代”でしたが、
「とあるきっかけ」で“鉄復帰”したのが2010年。
◆前置きが長くなりましたが 今年で“鉄復帰10周年”。
この10年間を1年毎にまとめていきます。
■横浜線 205系
まずは停まっている電車から練習。
2両目に「6枚扉」車が 連結されていたんですね。
■185系 臨時特急「はまかいじ」
「地元の線区を特急列車が走ってる!」と知ったのが
「とあるきっかけ」でした。
でも、この頃はコンデジで撮影。
ご覧の通りの「出来」でした(・_・;)
◆そして小学6年生の頃に撮っていた撮影地へ再び出撃してみる事に。
■総持寺踏切
2010年当時は
日中は封鎖・夜間は通行可だった。
■鶴見線 205系 「鶴見線開業80周年ヘッドマーク」付き
という事は 今年2020年は 開業90周年か。
◇昭和50年 撮影 鶴見駅
■EF210 東海道貨物線
跨線橋の踊り場から撮ってますね。
鉄復帰して初めて撮った機関車は やはりEF210だった。
◇昭和50年 撮影
■横浜羽沢駅
自宅から ほど近い貨物駅へも行ってみた。
■DE10 入換機
子どもの頃に新鶴見操車場で見ていた機関車がまだ現役だった。
◇昭和50年 撮影
■EF66 28号機 3461レ
「えっ?! EF66ってまだ走ってるの?!」
この再会には かなりビックリした記憶があります。
なぜなら、35年前も撮っていた機関車ですからね。
■スーパーレールカーゴ
この頃から 既に早朝から撮るようになってます。
コンデジでは 暗い中での撮影が困難でした。
この惨敗振りから デジタル一眼レフカメラ購入を決断します。
背景に写る倉庫、今は相鉄・JR直通線 羽沢横浜国大駅になってます。
■寝台特急「あけぼの」 上野駅13番線
子どもの頃に通った“聖地”上野駅も再訪問。
その変貌振りに かなり戸惑った。
◇昭和50年 撮影 上野駅13番線
■新鶴見機関区
見た事の無い機関車たちの中に見慣れた1機。
EF65 1000番台。
いつの間にか「PF型」なんて呼ばれるように変わったんですね。
◇昭和50年 撮影 新鶴見操車場
■EF66 54号機 東海道貨物線 花月園前踏切
この踏切も 子どもの頃から通っていた。
ただ、競輪開催時は
「絶対に行ってはダメだ!」と祖父に強く言われていた。
このEF66。
貨物機としてのデビューを子どもの頃に見ていた。
そんな機関車がまだ 本当に走っているんだなぁ、と再びビックリ。
◇昭和50年 撮影 花月園前踏切
■EF64 1045号機 高島貨物線 根岸タンカー 鶴見川橋梁
子どもの頃の鶴見川橋梁ではフェンスがなく、
ブルートレインなどが撮り放題だったが、
鉄復帰してフェンスに囲まれている事を知る。
ただ、この新鶴見方面からの下り線は撮れるんですね。
一安心でした。
この根岸タンカーは コンデジで撮影した渾身の1枚(笑)
ブレずに撮れてよかった(*^^)v
◇昭和50年 撮影 鶴見川橋梁
この頃は現在の横須賀線の線路が東海道貨物線。
◆35年振りに カメラを持ち出した2010年の撮影。
今振り返っても 現在の撮影スタイルの基礎が出てきてますよね。
しかも35年前と 同じ様な場所で撮ってるし(´艸`*)
2011年編へ続きます(^_-)-☆