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必ずコメントに参ります by iina

仲見世

2020年07月09日 | 東京エリア
雷門から宝蔵門まで長さ約250mまでつづく浅草寺の参道を「仲見世通りなかみせ   」という。
         お店が並び、買い物や食べ歩きをして楽しめ毎日がお祭り気分の町。

浅草寺は、参拝者の増加にともない付近の住民に境内の清掃を賦役として課すかわりに、南谷の支院の軒先に床店(小屋掛けの店)を出す許可を与えた。貞享2年(1685)頃のことで、これが仲見世の発祥といわれている。

「仲見世」という名は、浅草広小路(現在の雷門通り)あたりに並ぶ店と浅草寺観音堂前に並ぶ店との中間、つまり「中店なかみせ」ということからこの名で呼ばれるようになったという。ブログに浅草を長く採り上げつづけたのに知らなかった。(^_^;)
あるいは、いまのような店舗になってない前は、露天商が持ち込んだ箱で売っていた。その箱の「中を見せなか みせ  」るからともいう。

江戸は関東ローム層上にあるため、雨が降ると地面がぬかるみ庶民は難儀した。浅草寺の参道も同様だったが、文化14年(1817)に地元の「浅草寺観世音信心連中」という講が、雷門から本堂までの道づくりと敷石の奉納を行なった。こうして仲見世は雨天でも快適な商店街となった。
             
「雷門」は、942年に浅草寺を再建した平公雅タイラノキンマサによって造られた【浅草寺の創建は西暦645年】 駒形橋のたもとにある駒形堂
雷門も、いまの位置ではなく駒形堂付近に建っていた。いまの雷門から250mほど南になる。 (いまは本堂と駒形堂の中間に雷門が建つ)

駒形堂の本尊は馬頭観音立像(秘仏)。
浅草寺の観音様が出現したゆかりの場所に当たり、天慶5年(942)浅草寺本堂再建時に造られた。
かつて船で来訪する参詣者はここで下船し、駒形堂に参詣してから観音堂へ向かったという。
右を撮影した2005年06月には、東京スカイツリーはまだなかった。

 > 浅草寺ほりおこし つづく >> 
 【 浅草寺境内 】

   

コメント (9)    この記事についてブログを書く
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9 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
(荒川三歩) さん へ (iina)
2020-07-11 10:51:35
仲見世を で走っては、ダメ駄目 

でも、コロナ騒動下に空いた仲見世を走りたい気持ちは理解できます。

仲見世は当たり前すぎて疑問を感じなかったですが、名のいわれをご存知ですか ❔
その昔は、露天商が運んで来た箱で売っていて、その箱の「中を見せ」るからと、お店の方がつい先日にインタビューで答えていました。

   (荒川三歩)さんの当該ブログ記事のアドレスをコメント上(iina)に置きました。

サンデーたかひろ さん へ (iina)
2020-07-12 10:26:28
町田にも仲見世があるのでしたか。
そうすると日本全国に銀座商店街があるように、たくさんな仲見世商店街がありそうです。

豆腐屋の老夫婦の絵は、味わいのある頬笑ましい画風です。^^

コロナ騒動で、町田に呑みに行けません。(^_^;)

* サンデーたかひろさんの当該ブログ記事のアドレスをコメント上(iina)に置きました。

hanesan101 さん へ (iina)
2020-07-12 10:30:31
兵庫から浅草へオコシくださり嬉しiina~
    浅草の者ではありませんが、7年ほど勤めてましたら詳しくなりました。^^

浅草は観音さまがご出現された18日に諸行事が多いです。年間行事は次のとおりです。
写真をクリックするとお祭り先に跳びます。
https://blog.goo.ne.jp/iinna/e/5407097e93a14969309e2bd295bba985

当方が知らぬことを掘りオコシました。

* hanesan101さんの当該ブログ記事のアドレスをコメント上(iina)に置きました。

(azumino) さん へ (iina)
2020-07-12 10:39:50
浅草でライブ観覧とはシャレてます。
いまはコロナ騒動で、ややこしい時代です。
本格的な生演奏なら浅草のHUBがおすすめです。調べると、8月から再開らしいです。
https://blog.goo.ne.jp/iinna/e/8cee9bb37ce44a2debb3e7a7838de5a2

外人に注目されて再び浅草にスポットが当たって久しいですが、古くて新しくにぎやかな街です。

*  (azumino)さんの当該ブログ記事のアドレスをコメント上(iina)に置いています。

リチャードさん へ (iina)
2020-07-18 10:02:53
正月のころは、まだコロナ騒動前ですから、浅草寺を心おきなく楽しめてよかったです。^^
仲見世のお正月飾りがうれしいですね。

「仲見世」というのは、テキヤ(的屋)のように持ち込んだ箱で売っていて、その箱の「中を見せ」るからだとも申します。
浅草に7年ほど勤めていたのに、知らなかったです。(^_^;)

そんな浅草寺を掘り起こして5篇にしました。寺域に水辺らしい風景は見当たりませんが、あるのです。^^

リチャードさんは、まさか「逃亡者」リチャード・キンブルをもじったのでは・・・❔
https://blog.goo.ne.jp/iinna/e/238e77d635a032c9a120c4472b8e6bb2

*  (リチャード)さんの当該ブログ記事のアドレスをコメント上(iina)に置いています。

(kazuko) さん へ (iina)
2020-07-18 10:07:49
浅草寺の夜景を、巧く撮り上げています。ナイス!
        雷門の風神雷神の全身が、ライトアップすると見事に撮れましたね。^^

勤めていた時は、たまに飲み終えて仲見世を歩いて駅に向かいました。

浅草寺はテナント料で稼いで資産寺です。早目に締めることからもまわりのお店の閉店も早仕舞いだそうです。

*  (kazuko)さんの当該ブログ記事のアドレスをコメント上(iina)に置きました。

(荒川三歩) さん へ (iina)
2020-07-18 10:16:05
コロナ禍下の仲見世では、宝蔵門までを ひと気がなく 見通せます。^^

そんな仲見世を走ってみたくなります。

浅草寺境内に水辺の風景は見られないですが、伝法院の庭を特別公開した時に池を見物できます。

*  (荒川三歩)さんの当該ブログ記事のアドレスをコメント上(iina)に置いています。

仲見世の由来 (ウォーク更家)
2020-07-21 16:59:38
仲見世の名の由来は、浅草広小路に並ぶ店と、浅草寺観音堂前に並ぶ店との中間に並ぶ店でしたか。

なるほどね、地名の由来は面白いですね。

当時の人は、位置関係からピンとくる地名だったんでしょうね。

そうでしたか、雷門から本堂までの敷石は、地元の人々の奉納だったんですね。
(ウォーク更家) さん へ (iina)
2020-07-22 09:24:30
> 甲州街道は、江戸城落城のときの将軍の逃走路の位置づけだったため、参勤交代の際も、親藩・譜代大名にしか使用させませんでした。
疑い深い徳川幕府らしい用心深さです。

お江戸日本橋から富士山が見えていたのですね。
天下の日本橋に三越がたいそう繁盛したとは、商売のやり方に先見の明があったのですね。
https://blog.goo.ne.jp/iinna/e/faec25afb54f6206a0a14e4ba8f942fd

浅草に「仲見世」は当たり前すぎてイワレまで調べなかったのをテレビ番組で識りました。



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