小説部屋の仮説

創設小説を並べたブログだったもの。
今は怠惰に明け暮れる若者の脳みそプレパラートです。

<十字を背負う者達> 第1話  青い騎士

2011年06月12日 | 小説
神の志を持つ修道院、テンプル騎士団。されど彼らは平和のための武器を取り、
侵犯する異端者や異教徒あれば端麗な白刃を振りかざし、純真な御心を持って聖地に
赴く者が危機にさらされるのであれば盤石の盾をもって、野蛮な刃を退けるであろう。

………………………

金色の城壁は斜陽の太陽に照らしだされ、その堅牢な面持ちと同時に優雅さの一面を
見せていた。しかし、城壁の周りは幾つかの井戸付近に耕された畑と民家を除いて、少し
の木々が散発的にあるだけの荒野だ。イェルサレム城壁内には諸侯や騎士、貴族達が住み、
彼らに追従してきた一部の従士などを除いた農民などは城壁外に点在してるいくつかの
水の出る場所を中心に生活を営んでいる。
城壁内と城壁外をわかつ壁は、華麗で繊細な教会群の街並みと広がる荒野の剛健を
二分化しているせいか、二つの特性を合わせたかのように見える。

イェルサレムの城壁の周りを、1匹の若馬とそれにまたがう1人の若い男が土煙りを後ろに
纏い、駆け抜けていた。馬も男もまだ若い。馬は近年フランク王国にて戦いのために採用
された栗色の毛並みが輝く美しいアハルテケの雄馬。長く細い、だが戦いの馬に相応しい強く
しなやかなたてがみは風になびき、乗り手を心地よくさせる。

なびくたてがみに手を当て、いつくしむように愛を持った視線を風を切る馬に注ぐ乗り手。
彼は美しく短い金髪を風の中で躍らして、丁寧な手つきで軽やかに手綱をとっていた。
顔立ちは若いがその顔には既に大人びた面持ちが微かにある。少年時代の心を残し、
体に苦しみと経験をつぎこんだアンバランスさ。それが筋肉質な体や少し痩せ
こけた頬、鋭い目つきに表れていた。結果的にそれは凛々しい顔立ちとなっているが、
本人がそれを自覚することはなかった。

彼は馬のたてがみから手をそっと離し、走りながら首を上下にさせる馬の美しく、そして
たくましい筋肉が張る首筋に置く。少々力をいれて栗色の毛並みを掻くと、馬は気持ち
よさそうに身ぶるいし、ブルルンと鳴き声をあげて足を動かす速度をゆっくりにした。
主人に掻かれて、さぞ癒されて嬉しかったのだろう。
パカリパカリ、気持ちよい蹄の音が城壁の外側に跳ね返る。それは千里を越えてジプシー達
がこぞって唄にするのではないかというほどに、締まった音を奏でた。音は荒野を枕にする
石達をにぎわせる。駆け抜ける風に身を委ねる草葉すらも踊る。城壁の中では味わえない、
自然のクラシックを、馬と乗り手のただの一組が優雅に奏でていた。

「いい子だぞ、ウォーチャント、いい子だ」
彼はそう馬に向かって、微笑みながら語りかける。大人びた若者の歯が少し覗く。そして
その呼びかけに答えるかのように、馬のウォーチャントも短くいなないた。そのいななきは
短くとも強い響きをもって、走る馬上から翼を持って飛び立つ。
彼の手には馬をしつけるための鞭は握られておらず、常時その持つべき左手はウォーチャント
の首筋や背中に当てられていた。それは彼と馬との信頼を意味している。言葉と鳴き声、
手触りと脚の動き、眼と眼。全てが意思疎通してからこそ、それは出来ることだった。

1人と1匹はゆっくりとした歩きで城壁の周囲を回っていると、目の前から背中を丸めた
お年寄りの麻布を深くかぶった農民が歩いていた。彼と農民の距離が縮まり始めると、
彼はその農民が自領の農民と知って馬から降りる。着地するときび色の砂煙がむぁと上がり、
彼は感謝の意を表して馬のこうべをゆっくりとなでた。すると馬は喜んだかのように、
鼻を気持ちよく鳴らした。馬の手綱を引きながら彼は微笑をたたえ、そして目の前を歩く
麻布で後頭部を覆う農民の元へ駆け寄る。

「やぁ」突然のあいさつに驚きながらも、農民ははっとした顔で地面に膝をつき、麻布を
とって薄くなった白髪を少々小意地っ張りに主張しながら。
「これはこれはシルヴェストル・ド・パイアン卿!ご機嫌麗しゅう」しゃがれた声で讃えた。

「よ、よしてくれオ、オドランッ。それはからかっているのかい?君は父からずっと
 仕えてきてくれたじゃないか、シルヴェストルとか、そんなんでいいよ」
「いいえいいえ、滅相もございません。あなたの勇敢な亡き父ユーク・ド・パイアン卿の
 面影が浮かんできてくれて、私は心底よろこんでいるのですよ、シルヴェストル卿。
 あなたも立派な騎士になって、今や神に仕える守護者テンプル騎士団の一員。
 これもそれも、ギャストン殿のお陰ですな。」
「ああ、それは百も承知さ。本当に彼には感謝している。けどね、僕はまだ父のように
 立派にはなれてないよ。彼の背中がどんな広いか、あなたもよく知っていたはずだ。
 僕が今とうてい使いこなせないような甲冑、重いがしなやかな剣、堅牢な盾。
 全てそれらを背負いつつ、僕達全員をここまでしょってくれた……僕には出来ないよ。
 それらを……君もよく知っているだろう?」
「いえいえ、その御心があれば十分ですよ、シルヴェストル卿。」

シルヴェストは少々顔を赤くしながら俯き、その一瞬の陰影に少年のあどけなさが出る。
その瞬間を老人は見逃すことはなかった。

おだてられるのは慣れていない。心の中でシルヴェストルはつくづくと、出すことのない
ため息交じりに思った。ため息を出すことは悪魔に乗っ取られる事を、今まで何年もの間に
騎士として、師のギャストン卿、同時に父としての彼に強くいい聞かされてきたことだ。
それ以外にも数々の掟をキリストに遣う騎士として護らされていた。決して死者に対して
冒涜の行為を行うな、武器を持たぬ者に剣先を向けるな、女子供に暴力を働くな、神から
背く異教徒と異端者を決して許すな……。様々な掟をこの身に幼少期から叩き込まれたのだ。

決して褒められることも多くはなかった。そういう人生を歩む事を決められていたのだった。
亡き父に代わって、全て彼、ギャストンの行いだった。

シルヴェストルの父、ユーク・ド・パイアン。彼は第一回遠征で活躍したフランク王国の騎士
で、直接的にテンプル騎士団創立に携わってメンバーだった。彼は7年前に行軍中に異教徒
との戦いで命を落とした、という。立派な人物だったのだ。それをずっと聞かされていて、
自身もよく分かっていた。
周囲の諸侯たちの信頼も厚く、従者や農民達もみな一様に信頼を置いているほど、精神肉体
ともに素晴らしい人物だった。そんな誰からも好かれた彼が7年前に哀悼に包まれて死んで
から、父親同然の愛情と厳しさ、そして掟を教えてくれたのが亡き父の盟友、今も
テンプル騎士団で戦場に立ち異教徒と戦うギャストン・ド・ドレクール卿なのだった。

シルヴェストルは武芸にも精神にも卓越したモノをもつ父を誇りに思って、今まで過ごしてきた。
だが、それは同時に常に比較をされ続け、常に目指せ、と言われ続けていたのだった。
劣等感、そう呼ばれるものが彼の中には少しあった。尊敬の木の葉に隠れて埋まる
劣等という名の木の根は奥深く、心という地面の表面下に入り込んでいた。だからこそ、
彼は常に自分を無意識に尊敬する父に比べる事はなかった。

「ふふふ、何処までも謙虚なお方だ…ふふふ、やはり、先代にそっくりですな」
老人はまだくすくすと笑う事を止めなかった。何かがつぼにはまったのだろうか。
シルヴェストルも少し顔を紅潮し始めている、それは少しわき上がる怒りだった。だが、
怒る直前で話を切り返すのはこの老人の人生経験から成る話術だろうか。

「おや、噂をすれば……あの黒い馬、ギャストン卿じゃないですかな?」
彼が遠くから荒野の砂煙をもうもうとまきあげて城壁の方からやってくる、ものを指差して
言う。それは数百メートルは離れており、シルヴェストルは彼の視力に半ば驚きつつ、老人の
差した方向へ眼を凝らす。それはどんどんと距離を詰めているかのようにみえた。遠くで太い
いななきと地を蹴る力強い地響きは、その馬の貫録とそれに乗る猛者を簡単に想起させること
が容易に出来る。力強い蹄は土煙りを勇敢に舞いあがらせ、見る者すべてを遠方からでも圧倒した。
風の音すら変貌させるその迫力は、この荒涼とした大地に慄きをもたせたのである。

黒馬はどんどんどんどん迫り、蹄の音が耳元まで迫力と威厳をもって轟く。それがぴたりと
やむ頃に目の前に迫立っていたのは、長身のシルヴェストルをも優に見下ろす巨大な黒馬と、
股がう馬と同じように筋骨隆々の体格をもつ大男だった。

「シルヴェス、何処へ消えたか……探したぞ!」重低音の声が轟然と響いた。
大男は黒馬から飛び降りて、地にその筋肉質のどしっとした足を下ろした。黒馬によく似た
短髪は黒曜石のように黒くて鋭く、それは短くとも鎧のように頭を覆い、口の周りを威厳さと
獰猛さを兼ね備える髭は百獣の王のようだ。
長身かつ全身が鍛え抜かれたのような筋肉を纏う彼は、どしんどしんという効果音が聞こえそうな
勢いで歩み寄り、シルヴェストルの肩にバシっと大きな固い手を置いた。普通の人間だったらそれ
だけでも吹き飛んでしまいそうな勢いだったが、長年付き合っている彼は少々バランスを
崩しそうになっただけで、それどころか余裕を持って置かれた手をぽんぽんと挨拶代わりに
軽く叩いた。その光景を見ていた老人はまたもや噂好きそうな商人の妻のようにくすくすと笑う。

「ウォーチャントの様子はすこぶる良好ですよ、師匠。」彼はそう言いながら馬の毛並みを
ゆっくりと撫でる。ウォーチャントが嬉しそうに艶の良く、気持ちいいほど美しい筋肉の頬を
彼の体に摺り寄せた。その光景を見て、ギャストンはさぞ満足げにうなずく。
「それは何よりだ。エマニュエルにも、そして私にもその若さはほしいな。老体は堪える様だ。
 明日には万全の態勢でなければならん。」
ギャストンもエマニュエルという名の黒馬にゆっくりと大きな手で触れた。黒馬は頬をすりよせる
代わりに、太く、艶のあるドッシリとした蹄を地になんども下ろしてその喜びを表現した。
エマニュエルはウォーチャントと違い、瞠目せざるを得ない巨大な体をもつ老馬であった。
しかし、それでもその肉体に陰りを見せる事はなく、むしろ凛とした艶やかな筋肉は美しさを
見せて、それに股がうギャストンも老齢ながら勇ましい肉体はまるで瓜二つのようにも
思えた。

「もしかして、ギャストン卿……」老人が恐る恐るとした口調でたずねる。
「なんだ?」
「明日の戦に……シルヴェストル様をお連れになるんですか?異教徒との戦争に……」
「当たり前だ」

そのギャストンの言葉で、愛馬を撫でるシルヴェストルの手が止まる。地に足が付かない感覚が
一瞬、現れた。地が消えて、代わりに目の前に映ったのは足につく血。幻覚と知りながらも
自分の足でその痕をかき消すように。だが踵で踏みこむが消えたのは幻覚だけで心の内にある
否定しえない現実はかき消されない。

ギャストンは続ける。
「これは騎士として叙任を受けたかの年より、決まったいわば定めだ。それが出来なければ、
 この血で始まり、血で浄化したこの地で十字を背負い、血をはぐくむ事は出来まい」

彼は抑揚がなく、だが重い口調で地平を見つめながら言い放つ。
シルヴェストルには時刻はまだ昼時にも関わらず、その陽の色は不自然にも赤く見えた。斜陽
しているのは彼の心とでも、地平は言っているようだ。荒れた大地に転がる岩々、点々と生える
低身長の木々。心の斜陽はそれらに幻の影を生み出し、イェルサレムの大地に小さな影がすぅっと
入り込んでいく。

老人は不安そうな面持ちでギャストンからゆっくりとシルヴェストルに移した。シルヴェストルは
その視線を感じ、ゆっくりと顔を向けて、そして微笑んだ。
「……僕は……していますよ、勿論。
 その世界がやってくる事を、勿論」
その悲しい微笑みは全てを受け入れる事に、まだ心の内を許してはいないように見えた。彼は
決して厳しい師の顔を今だけは見ないように、視線を下げる。目の前にあるのは老人の顔と
その奥に広がる無限とも見える荒涼なきび色の大地だった。地平線は陽炎のように遠くで
激しく揺れる。天と地の境界があやふやになるほど、それは激しく波打っていた。
父さんも、このように向かったのかな……。なんとなく、彼はそう思い始めた。

脳裏に亡き父の最期の背中が浮かぶ。鉄(くろがね)の鎖帷子に羽織られた真っ白な
クルズィート(鎧の上に着る軍衣)。それに刺しゅうされた赤い鮮やかな十字。テンプル
騎士団の正式な格好であった。さらには腰に携われた美しい外装だが、派手すぎない精巧な剣。
小脇には鉄の真四角な兜を抱え、重い樫の扉を開けて曙光に包まれる彼の背中をじいっと、
幼きシルヴェストルは見ていた。

お父上は何処へいくの?幼いシルヴェストルはすぐそばの修道士に訪ねた。
悪い人達を剣で倒しに行くのですよ。修道士は優しい表情で答える。
なんでお父上は悪い人を倒すの?
それは神様が言ったからですよ。
じゃあ、それは絶対なんだね!シルヴェストルは無邪気にそういった。その時の従士の笑みを、
彼は思い出すことが出来ない。幼き彼は何も考えずに向き直り、勇ましい父親の姿を見上げた。

父の体は震える事はなく、何人もの武装した従士達を従えるその凛とした雄姿は幼き彼には憧れ
以外、何ものも抱かせる事はなかった。体の奥から沸き上がるこのわくわくとした感情は、
いまにも体が前に向かってしまいそうな躍動感を生む。足の裏から、足首から、膝まで、
そして全身へ。体全身がばねのような感覚がやってきていた。足の裏がむずむずする、居ても
たってもいられないような。

早く、父上のようになりたいっ。幼き頃の彼は元気な声でそういった。頭を誰かが撫でる感覚
がする。微笑ましい笑みを浮かべる者もいた。その時、父はこちらの方を一瞬向いて、そして
何かを言った。何を言ったか、シルヴェストルは未だに思い出すことが出来なかった。たとえ
その晩に、血にまみれた彼の剣だけがギャストンの憂いの表情と共に戻ってこようとも。その
時の父の言葉と表情を思い出す事は出来なかった。



「さぁ戻るぞ、シルヴェス。」
師の言葉でシルヴェストルは我にかえった。不安げな面持ちの老人に軽く、一礼をして彼は
ウォーチャントに素早く飛び乗り、後ろを向かず、ただ頑なな表情を崩さないギャストンと共に
イェルサレムの城壁内へ向かう。

馬の蹴りあげる砂粒一つ一つが太陽の光で煌びやかに輝く。太陽と共にある聖地の風景は、
言いようもできない美しさを誇り、見る者全てを虜にし、遠景にうつる蜃気楼すら旅人を誘う。
しかし、そんな世界にも重苦しいほど厚い灰色の雲が足をしのばせていた。遠くで降る雨、
雷鳴が轟き稲光が姿を現している。はかなくひどく不安定で弱々しい世界は、神の居ない、
無慈悲な世界となりつつあるのだろうか。

老人は2匹の馬の走り去った後を鬱々とした表情で見つめていた。不穏な風は大地をからかう
ように撫で、遠くからは血と金属のキツイ香りが運んでいる。荒涼とした大地に生える一本の
草が、ふっと揺らいで地面に小さな躍動を与えていた。その小さな躍動はどんなにこの地に
生える草木が全て起こしていても、大地に動きを与える事は出来ない。それどころかこの聖地
から僅かな活力をじょじょに、少しずつ、非力に蝕むだけであった。蝕みは加算され、大地は
渇きを渇望するが人は生命の水の代わりに、生命から力によって抽出した水を赤々とぶちまける。

老人は悲しみに明け暮れた表情をして、その場をゆっくりと立ち去った。時期にここも戦いの
余波が及ぶ事を、彼は知っていたのだった。若き領主が古き蛮勇の領主に似る事を喜んでいて
よいのだろうか、戦がまた生まれるだけ、聖地をとりもどそうと、全て聖地のために。
彼はイェルサレムを覆う城壁にふと視線を向ける。きび色の大地を見つめているはずの瞳は
何故か色を帯びてはいなかった。


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