あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

熊谷市郊外・江南台地の里山や林間、田園などカントリーウオーク(埼玉)

2019-11-11 22:35:14 | カントリーウオーク
 2019年11月10日(日)

 前回の10月12日(土)は、関東甲信越や東北などに大きな被害をもたらした台風19
号の接近に伴い中止となり、2か月ぶりにカントリーウオークグループの例会に参加した。

 集合はJR高崎線熊谷駅。10時15分発県立循環器・呼吸器病センター行バスに乗り、
10時41分に終点に着いた。

 直前に東武東上線小川町駅からの逆行バスで着いた私と、その前に自家用車で来ていた
Tさんと合流し、10時50分に出発する。

== ゴルフ場の西側から北へ田園地帯や林間などを駒形公園へ ==

 快晴で風も無く、気温も20℃近くまで上がる予報で、絶好のウオーキング日和である。


 バスの通る県道130号を越えて北へ、畑の中に建築間もない立派な瓦屋根の民家があ
り、鶏小屋にはウコッケイが飼育されている。
    

 直線の道が右カーブし始めるところに「生みたてたまご 田中農場直売所」の看板の建
物があった。


    
 入ってみたら、ミシュランガイドでも評判の店のようで、東京からも美味しい卵を買い
に来るという。


 まだ歩き始めなので卵は買う訳には行かず、残っていた三つの「宝玉ぷりん」を私など
3人が求めた。

 ちなみに、田中農場のサイトはこちらをご覧下さい。

 右カーブした道は台地上の工業団地に突き当たり、金網の柵沿いに北北西へと進む。

 西側には谷地田(やちだ)が延び、ひこばえの伸びた緑の田んぼの先には、刈り入れ前
で粒の熟した田んぼが何枚か残っていた。





 その辺りからは北から西方の展望が広がり、冠雪した日光連山、長い裾野の赤城山↑、
かすかに雲のかかる浅間山、秩父の二子山などが確認できた。









 次第に右カーブして東方に向かうと、近くに白壁の立派な民家が、田んぼの向こうには
高岡集落の民家が望まれる。


 その先からは林間の道となり、まだ緑の広葉樹林の間を進んでV字状に折り返す。
     

 上ノ山集落の北側に、なぜか庭にライオン像のある民家があり、その先で台地と田んぼ
の間の道に下った。
         


 太平洋クラブゴルフ場の北側、流れに豊富な藻の茂るきれいなせせらぎに沿って東進す
る。流れにはホタルも生息するようで、その保護活動を記した看板が何か所か立っていた。
     


      
 流れの南側、斜面林下にキクの花が飾られた天保年間(1830~44)建立の馬頭観
音があった。
     


 田んぼが途切れて大林集落に入り、キクやヒャクニチソウ、バラなどの咲く畑や、小さ
な稲荷神社の横などを過ぎる。
         








 大きな刈込の植栽が目立つ民家や、色づいてきた幾つかのブルーベリー畑の横を通過し、
県道47号・深谷東松山線を横断する。


    


 カラスウリが実り皇帝ダリアの咲き出した民家の先が、昼食地の駒形公園。


 12時28分に着き、暖かすぎるくらいの日差しを避け、広場南側のベンチで昼食とし
た。





 公園の西側芝生地はターゲットバードゴルフ場。南側斜面林下には、旧江南町時代の
「彩の国ふれあいの里整備事業」による三本(みつもと)遊水路が走り、この公園の辺り
は親水エリアで、樹林を囲んで二つの池が静かな清流を見せていた。


 昼食後ミーティングをして、13時26分に公園を後にする。

 == 太平洋クラブ江南コースゴルフ場東側の里道を戻る ==

     
 往路を県道の西側まで少し戻り、大林集落東部から南下する。サザンカやバラが咲く民
家の先で平地林に入ると、10月の台風の強風による被害か、倒木が目につく。


 その先、杉林の中に「権現坂埴輪窯跡群(ごんげんざかはにわかまあと)」の説明板が
立っていた。

 江南台地北縁のこの地で、昭和37(1062)年に3基の窯跡が確認され、平成元
(1989)年からの調査では埴輪製作の工房跡と推測される古墳時代の竪穴住居や粘土
採掘坑が確認され、町の指定史跡に指定されたという。

 樹林下の周囲を見回したが、それらしいものは見つからなかった。

     

 北方集落の西側で右左折して再び太平洋クラブゴルフ場の東側の林間を進む。
    


 ゴルフ場のハゼ系の葉などが色づき、右手のゴルフ場の池の横からコースが望まれる。


 少し先でゴルフ場から離れ、東側の南方集落に入って普門寺へ。

 普門寺は、もとは薬師庵だったが、天和2(1682)年に舜佑和尚が建立、本尊は薬
師如来とか。

 当地は昔、千代村と呼ばれ、当寺は成田下総守(なりたしもうさのかみ)の家人の子孫
が開基といわれ、文政12(1929)年の火災で本堂や古記録などを焼失したが、天保
元(1830)年に再興されたという。


 本堂前などにシダレザクラが数本あり、本堂左手には、珍しい「標本は我が師なり」と
刻まれた小久保整形外科病院の手術切除標本塚の石碑が立っていた。
     


 境内で小休止して記念撮影する。その背後には「葉奈(はな)」と呼ぶ日本犬が長いひ
もにつながれていて、久しぶりの人間が嬉しいのか、はしゃぎ回って歓迎してくれた。



 東に出て、南側の柴集落に咲くキクやダリアなど見ながら集落西端の八幡神社へ。

 創立は後鳥羽天皇時代の建久年中(1190~9)といい、明治維新前までは西方300
mにあり、数百年の松や杉の老樹が生い茂っていたという。


 鳥居の横の柿の木に、たくさん実が熟していた。



 さらに西進して太平洋クラブゴルフ場の南側沿いへ。



 南側のため池を囲む木々が逆光に色づく。



 少し先から南西に向かい、北側の堤防のようなところに並ぶススキの穂列を眺め、たく
さんの実の付いた大豆畑↓の間を南下して、「おにっこハウス」と呼ぶ、田舎のカフェに
立ち寄る。




    
 あいにく今日は休日だったが、山羊が草を食む横のベンチで最後の小休止をした。

    
 バスの通る県道130号の南に回り、たくさんキウイが実る畑や樹木園、鬼ユズの実る
民家前などを西進する。
    

 時間調整でもう一度県道を横切り北へ、深谷ネギ畑の横などを回り少し先で折り返す。


 東京都心では天皇ご即位記念の祝賀パレードが赤坂御所に着く頃の15時30分、出発
地でゴールの県立循環器・呼吸器病センターに着いた。

 私は待っていた同時刻発の小川町駅行バスに急ぎ乗る。ほかの皆さんは15時55分発
バスで熊谷駅に向かい、Tさんは構内に駐車の愛車で帰路につく。

 今日の熊谷の最高気温は19.2℃、風も無く穏やかで快晴の日和。車に出会うことの
ない静かな里道や里山と田園地帯のみを歩き、高低差もほとんどないという、カントリー
ウオークには絶好の1日だった。

(参加 9人、天気 快晴、距離 10㎞、地図(1/2.5万)、三ヶ尻、歩行地
 熊谷市、深谷市、歩数 18,800)




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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
写真 (H.T)
2019-11-12 08:40:34
郊外の寺、花、景色の写真素晴らしい
楽しみました。
天気も良かったので (saikoroat)
2019-11-12 10:46:54
車を気にすること無く、周囲の里山や田園などをたっぷり楽しめる
まさにカントリウオークに最適のエリアでした。
快晴で気温も20℃近くの最適な陽気だったので、一層気持ち良く歩けました。

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