もしかして、自分でネタを作ってるのか? そうは思いたくないが、考えてみれば今まで、そんなことが少なくない。確かにこれをきっかけにこうして久々にペンを執り、改めて書く気になっているのは、やっぱりネタ作りなのかと思えてしまう……。

 *

 登壇を知らせるBGMが流れ始めた、いよいよだ。ふっと、小さく息を吐いてみる。
大丈夫だ、多少の緊張感はあるものの、それほどではない。自分に言い聞かせつつ、舞台へと踏み出す……。

 *

 思えば、昨年の今頃だ。企業相手の仕事から、個人客相手の仕事へと大きくシフトして半年、待つだけの営業に少しもどかしさを感じ、ちょっとしたビジネスモデルを考えて、手探りながら自治体や金融機関に相談をしていたところ紹介を受けたのが今回のビジネスコンテストだ。それまでは実業として仕事をしていたこともあって、そんなコンテストがあること自体に目を向けたことがなかったが、起業を考えている人たちにとっての登竜門になるというもので、調べてみると各所でいろいろと開催されている。大賞を手にすると百万円単位の賞金がいただけるほか、金融機関や先行企業の目に留まれば、いろんな支援なども期待できるというわけで、これからの時代を背負う若い人たちに交じって、小生もコンテスト前段のビジネススクールから参加させてもらうことになったのが始まりだ。

 それから半年、講義はもちろんのこと、スクールの中でそれぞれ異なるフィールドに身を置く人たちの思いとか、抱えている課題、考え方など窺い知ることができたことで、自身の考え方が整理され、少なくとも当初の考えからブラッシュアップしたことは間違いない。自分で言うのもなんだが、それなりにはまとまったモデルになったと思っていて、幸い一次の書類選考もパスできたから、一応一定の評価はしてもらえたんだろうと思う。

 かくして二次選考となった。ここをパスすれば、晴れてファイナリストとなり、2,000人収容の大ホールでのプレゼントなるが、まずは目の前だ。二次選考のプレゼンは300人収容の中規模ホールに審査員の方々と我々一次選考通過者のほか、主催者サイドの併せて50名ほど。コロナ禍ということもあってか半分以上は空席で、体験したことはないが、恐らく何かしらのオーディションもこんな感じなんだろう。

 小生、人前で話すことに対して特に苦手意識もなく、どちらかと言えば結構好きな方で過去にはビジネスショーなどでも話したこともあるが、今回のプレゼン時間は3分という短さだ。この3分間で審査員を始め、聴く人たちを納得させなければならない。ここは言いたいし、これも含めたい、ちょっとしたボケもかまして、この辺りは流れに任せて例など挙げて、と骨格だけ決めて雰囲気を見つつ適当にアドリブで行ってきた過去のプレゼンとはまったく勝手が違う。アドリブなど入れていたら、3分などあっという間だ。だから今回はシナリオを用意することにした。最初は淡々と、一旦止まって転調、ここで少し笑いでも取れたら、なおよろし。そこからは一気に盛り上げてと、短い中にも起承転結を込めて、出来上がった台本は案外悪くない。あとは、この台本通り演じられるかというところだが、なかなか難しい。練習を重ねて、ようやくそらで行けると思っても、少し詰まると3分を超えてしまう。詰まらずに行けるようになったと思って、スライドの操作を入れるとスライドの内容に目が行き、セリフが飛んでしまう。この辺り、目から入る情報というのは思った以上に多いのだ。特に見る気はなくても、そこにキレイな女性がいなくても、目を奪われてしまう。

(暇なとき……、ちゃうちゃう、お客さん来ないとき、やがな。読んだらあかんがな……)

 こうして、練習を重ねて迎えた二次選考、会場に向かう途中で台本を家に忘れてきたことに気が付いたが致し方ない。試しに頭の中で復唱してみると、一応セリフは出てくるから、ここは肚を決め、台本を忘れてきたこと自体を頭から振り払い、会場に向かう。会場到着後も頭の中でセリフをつぶやく。途中詰まっては最初に戻り、また初めからと復唱を繰り返す。隣の話し声が気になる……、また初めから復唱する。そういえば、最寄りの金融機関からも応援に来ていただけているはずだ、と思いながら、また初めから復唱する……。袖で出番を待つ間も復唱を続けながら、実は内心ワクワクもしていた。よし、うまくやればこの場の空気が変わるぞと。

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 BGMが鳴り止み、司会者より紹介を受ける。スポットが降り注ぐ。

「私、社会人になってから……」

 予定通り淡々と最初のフレーズを話し始めた。1フレーズが終わったところで一旦止まるが、こともあろうにここでスライドを見てしまった。文字通り、止まってしまった。言葉が出てこない。

(これはなんや? ん? あれ? 言葉が……)

 要するに、これが頭が真っ白になるということだろう。初めての体験だ。この時点で脳みそがパニックを起こし、何も頭に浮かばないという状況になってしまっていたということだろう。正にこの場の空気を変えてしまった瞬間だ。それも悪い方に……。そこから先は、何を話したのかも覚えていない、転調どころか、笑いどころか……。こんなことが起こるのだと自分で自分にビックリしつつも、恐らくは小生以上に会場の人たちには居心地の悪い3分間だったに違いなく、はなはだ申し訳ない状況を作ってしまったのだ。大失態を演じてしまったのだ。練習が足らなかった、台本をなんでちゃんと持ってこなかったのかと思ったところで今さら致し方もない。恥ずかしながら、この辺り後進の人たちには参考にしてもらえればと思うところだ。

 結果、当然ながらファイナルに進むことはなく、二次敗退となってしまった。もちろん、まともにプレゼンを終えていたとしても結果は同じだったかもしれないが、少なくとも選考結果が出るまでのドキドキ感を感じられたのではないかと思うと実に残念だ。ただ、ファイナルに行っていたなら、舞い上がってしまっていたかもしれず、今年の正月に引いたおみくじに書かれていた「慢心を去れ!」という言葉に従えば、まあ結局は縁がなかったのだろうと思う。もちろん、応援に来て下さった金融機関には後日、お礼とともに謝りに出向き、連れ合いを始め、コンテストに出ていたことをご存じの方には頭を掻き掻き失態を語りと、みそぎを済ませていたが、どうせならネタにしてやれとこうして書いているわけだ。

 いずれにしても、うまくいったこと、成功したことを語るのは自慢話にしかならないが、失敗はネタになる、新たな体験はネタになるというのを改めて思い出させてくれたと、まあプラスに考えている。ただ、ちょっと悔しいが……。
 

 巷ではどうぶつの森が、いや巷どころではない、全米のゲームランキングで1位になったらしい。皆がゆるい世界にハマっているということを思うと、少しホッとする。

 ふと足元を見てみれば、我々が今置かれているのは天気が良くても自由に外出することもままならず、自宅軟禁生活のような状態がいつまで続くのか、まるで見通しが立たない状況だ。今後の仕事がどうなるのか、ちゃんと生活できるのか、どこまで耐えられるのか……。ストレスばかりが溜まり、ネット上には愚痴や文句などネガティブなコメントも少なくなく、ともすれば何かに当たり散らしたくなる人たちも一定数いるに違いない。そんな中では、とにかく相手を倒す格闘系のゲームとか、何かしら打ちまくって、これまた相手を倒すようなゲームが流行ってもよさそうなものだが、それとはまったく逆の、とにかく日々平和な、のほほんとした世界の広がるどうぶつの森が支持されていることは、皆相当疲弊しているとも言えるのかもしれないが、それ以上に何かしら救いを感じる。皆が癒しを求めているということなんだろう。

 ちなみに小生、普段ほとんどゲームをすることはなく、また1位になった「あつまれどうぶつの森」自体をプレイしたことはないが、以前のどうぶつの森には、まだ娘が小学生のころに買い与えたニンテンドウDSにて、少しの間触れたことがあり、どうぶつの森の世界自体はそれなりに知っているつもりだ。と言っても、当時小生は週末のみ自宅に帰る生活をしていたため、草取り(ゲームを立ち上げないまま放っておくと草が生えてしまう)のために立ち上げるようなものだったが……。それはともかく、世界観がいい。変な争いもなく、妬みや嫉みもなく、とにかく平和な世界に身を置くような感じ。それでいて、こだわるところは徹底的にこだわっている。中でも小生お気に入りはシンガーソングライターのとたけけクン。土曜の夜に現れ、ライブをしてくれる。結構な数のレパートリーを持ち、リクエストにも応えてくれる。「アーバンけけ」など、ゲームの中の楽曲とは思えないほどカッコいい。ちなみに、ネットで「アーバンけけ」を検索してみたら、案の定カバーした動画が数多くヒットし、世界中にファンが見つかったから、それなりに同じ思いをする人がこの世の中にいたことにつながりを感じたものだ。久々にアーバンけけを聴いてみようかしらと思ったりする。

 それにしても、この事態はいつまで続くのか。早く明るい兆しが見えてこないかしらと、今年も帰ってきてくれたツバメさんたちに救いを求めつつ思う。

 前回の更新が1年以上前とは……。気が付けば、恐ろしく時間が経過してしまった。

考えてみれば、普段の思い付きとして書き始めたこの雑記、以前は週3回程度の間隔で更新していたのだから、当時はそれなりに余裕があったのかと思う。

【余裕】……あせらず、ゆったりしていること

まぁ、当時もそれなりには焦りもあり、ゆったりとできない場面も少なくはなかったとは思うが、当時は結構いろんなことに手を出しつつ仕事もしていたのだから、いい意味で手を抜きつつ、あれやこれやをこなしていたんだろう。20数年続けてきた仕事なら、集中しないといけない場面と多少手を抜ける場面が何となくというか経験的に判るものだ。

と思えば、この一年間は確かに余裕がなかった。

店を開け、店を閉め、仕入に走り、お客様に覚えてもらえるようにと努めて店に立ち、出前先を拡げるため、近隣市町村の会社の門を叩き、また給料や各種支払に気を配り、店休日には溜まった事務処理、とほぼ休みという休みもないまま一年が経ち、ようやく気持ち的に、あくまでも気持ち的な部分に余裕の兆しらしきものが見えてきたと思っていたのに、コロナ。いや、……思っていたのに、これだ。
思わず口をついて出てしまうほど、このコロナという言葉を聞かない日はない。昨年末辺りまでなら、コロナと言えば、ビールか車か石油ストーブか、といずれも特に悪いイメージを持つこともなかったが、それも一変してしまった。

未だ衰える兆しもなく、その勢力に立ち向かえる兆しもまだ見えてこない中、良くない影響だけがどんどん広がっている。経済など直接的な影響はもちろんのこと、愚痴や誰かの責任を問いたがる意見ばかりが目立ったり、あげく極端な考えの勢力とか、治安への不安とか、心を病む人たちの増加とか、これからさらに影響が広がるかもしれないと思うと悲しい状況だ。ちなみに、小生周辺でも元々予定していた娘の結婚式も延期せざるを得なくなり、その報せを受けてか病床にあった娘の相方の祖母が亡くなり、その葬式から帰った夜にはお店に泥棒に入られと、小生の周りは周りでいろいろとあり過ぎ、この1~2週間が個人的にも目まぐるし過ぎて、取り戻しかけていた余裕という奴がまた少し遠くに離れてしまったようだ。

とはいえ、愚痴を言ったところで、誰かのせいにしたところで、どうとなるわけでもなく、ましてや自分や周囲の気持ちが和やかになるわけもない。先方のお婆様が先方の親族との引き合わせをしてくれ、またお店に置いていた釣銭という現金によって店が荒らされずに済んだのかもしれない、と見えにくい中での光を少しでも見出しつつ、とりあえず自分にできることをできる範囲で、できれば周囲がプラスになるようなことを、粛々とこなしていくことが必要なんだろうと思う。

「ほな、お前にできることはなんやねん?」

と問われたら……、仕事は当然のこと、「そうやねぇ、何かしらホッとできるような和めるような雰囲気を醸し出せることかしら?」

というわけで、以前のように久々に文章に取り組みたいと思っているところであります。ボチボチではありますが。

 チコちゃん曰く、時の経つ速さとトキメキの間には相関関係があるそうだ。人生にトキメキが失われるにつれ、時の経つのが早くなる。逆にトキメキがあれば、子どもの頃のように、1年が1ヶ月が1日が長くなる。らしい。

 これが関係しているのだろうか、今年になってからのこの1ヶ月、例年に比べてすこぶる長い。確かに社会人になってから30年来ベースにしてきたITという業界から180度変わり、スーツを脱ぎ、拠点を自宅に戻し、土日祝休みが平日休みに変わった。おまけに相変わらずなかなか終わらない車検の影響で昨年末からの1ヶ月、車は小生には似つかわしくない代車のminiだ。新鮮と言えば新鮮。今さらかい! と言われればその通りのことに、いちいち心惹かれてしまう。

「おっ、銀行の窓口開いてるぞ」
「へぇ~、平日の自宅周辺って、こんな感じやったのね」
「すげぇ、これでエンジンかかるんや。ウインカー戻るし……」

 *

 1年と少し前、35年以上続く地元では有名なお好み焼き屋のご主人から相談を受けた。

「たまけみくん、うちのお店、やってみいひんか?」

 店の構えや厨房機器はもちろん、お客さんもそのまま、仕入先もそのまま、10名ほどの従業員さんもそのまま、お店の運営を小生にそっくり移すというものだった。それから1年、小生が元々持っていた仕事を少しずつ引き継ぎ、自宅に戻ったのが12月末だ。いつもなら1月は行く、2月は逃げる、3月は猿、いや去るという言葉がある通り、あっという間に過ぎてしまうところが、まだ1月。この1ヶ月は新しく学ぶことや、4月から引き継ぐための準備、前述の新たな発見など、この歳になって新鮮な気分を味わえている。さてさて4月まであと2ヶ月ほど。準備することはまだまだ多く。今の感じでチコちゃんの言う通り進むのなら、今年は逃げられず、また去られずに済むかもしれない。

 う~ん、それはともかく、平日休みというのは相変わらず罪悪感を感じてしまうものだ。長年の習性というか、何というか……。

 事あるごとに書いているが、小生の憧れは健さんだ。

「自分は……、自分です」

 あれ? これは渡哲也だったか……、もとい。

「自分、不器用ですから……」

 どちらかと言えば小生、恐らくは器用な方だとは思うが、それはこの際どうでもいい。言葉は少なく背中で語る。雰囲気を纏い存在感を出す。やはり男というもの、こうありたいと思う。そう、実は小生、常々そんなことを思ってはいるのだ。が、どうもうまく行かない。大体が沈黙に弱いタイプだから、場が静かになってしまうことに耐えられない。沈黙に包まれる兆しが見えると、途端に何とかしなければと使命感が湧いてしまう。加えて、元来の貧乏性が歳を重ねるにつれてより大きくなり、せっかくだから、縁だから、巡り合わせだからなどと適当な理由を並べては、たまたま居合わせた人、例えば新幹線で隣の席に座った人と話し込んでしまうこともあったりする。そんなタチだから、お酒が入ったり、古い仲間と一緒になったり、長年定期健診でお世話になった歯科医院も最後となると、より多弁に、平たく言えばおしゃべりになってしまう。

 12月に入り、大阪にいるのも残り1ヶ月を切った。歯科衛生士さんとは、お世話になりましたと切りだしたところから、気がつけば音楽の話で盛りあがってしまったり、またありがたいことに送別会だと、何年かぶりの友人が企画してくれて久しぶりのくだらない話で盛り上がったり、飲み会だと相変わらずの友人と最近の話で盛り上がったり、お店の女の子とは映画やら音楽やら、またまたくだらない話で盛り上がったり……、憧れは健さんだなど、どの口が言ってるんだと自分でツッコミたくなるが、それでもやっぱり思う。目標は健さんだ。

 そういえば健さん、確かこんなことも言っていたはずだ。

「泣いたり、笑ったり、憤ったり、感動したり、すべてが出会いから起きてますよね」

 そうそう、出会いだ。出会いなのよ。自分にとっても、そのときの相手にとっても、出会ってよかったと思えることが大事なのであって、その機会を逃してはならないと思うのだ。考えてみれば、歯科衛生士さんの仕事を止めてしまっていたとしても、くだらない話ばかりであったとしても、こちらがお客のはずがいつの間にか立場逆転していたかもしれないとしても、こんな風に応えてもらえる、そんな出会いがあったことがうれしいのだ。ですよね? 健さん。

「確かに……、ちょっと手は止まってたかもですけど。いえいえ、ありがとうございます、楽しかったです」
「いやぁ、久々に楽しかったわ~。喋り足らんわ」
「こんなに話す人がいるとは思わなくって……、楽しかったです」

 言葉少なくとはいかないが……。