日々史跡めぐり

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新居町の散策(4)神宮寺

2020-05-05 | 仏閣

新居町の神宮寺は、応永二年(1395)仲翁和尚による開山と伝えられる寺です。

江戸時代後期までは代々の住職がありましたが、嘉永元年(1848)から東福寺が兼務するようになったそうです。(湖西市観光振興協議会HPより)

 

子安観音の子安殿


宗派  臨済宗 方広寺派 白翁山 神宮禅寺
本尊  阿弥陀如来 地蔵菩薩
創建  応永2年(1395)

開山  悦翁大園真覚禅師
    聖鑑国師(無文元選禅師・後醍醐天皇の皇子)の法を直伝。


 寺紋は十六菊、伊勢神宮信仰に関係があったと思われる。創建時は、日ケ崎にあったが宝永4年(1707)の大地震後、新居宿のまちづくりと共に、現在地に再建された。  明治になって要津寺と光珠庵が当寺に合寺した。
 境内には、子安観音(安産と子育て)、関所稲荷(忠臣蔵にでてくる土屋主税が建立)東海道の旅人の安全を見守っていた鯖弘法大師等が祀られている。(駒札より)


土屋 逵直(つちや みちなお、万治2年(1659年) - 享保15年8月3日(1730年9月14日))は、江戸時代前期の旗本寄合。通称は主税、一般には土屋 主税(つちや ちから)として知られる。上総久留里藩主土屋直樹の嫡男。妻は甲斐庄正親の女。子に亮直、好直、友直、伊奈忠正室。 

藩主世子としてゆくゆくは家督を継ぐことが期待されたが、父・直樹は逵直が20歳になっても将軍に御目見させず、他にも諸々の奇行や不行跡が重なり、延宝7年(1679年)8月に狂気を理由に改易された。それでも嫡男の逵直には、父祖の功績により、遠江周智郡で3千石が与えられ、以後土屋家宗家は旗本寄合席として幕末まで存続する。 
この年の10月、逵直ははじめて登城して4代将軍家綱に拝謁。天和3年8月 (1683年)には御徒頭を拝命、同年12月には布衣を許された。元禄6年 (1693年)に御徒頭を辞した後は無役で、俳諧の宝井其角に師事して時折本所松阪町の自邸で連句の会を催す、風流旗本に徹した。元禄14年(1701年)8月、土屋邸の隣に先に殿中で浅野長矩に刃傷に及ばれた前高家肝煎・吉良義央が越してきた。元禄15年12月14日 (旧暦) (1703年(1702年ではない)1月30日)、赤穂事件が起こり、吉良邸は幕府預かりとされた。 
正徳4年(1715年)12月、家督を嫡男の亮直に譲って隠居する。享保15年(1730年)に死去した。享年71。墓所は東京都豊島区駒込の大林寺にある。(Wikipediaより)  

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