思いがけない偶然が重なって、対象の新しい心の扉が一気に開く… そんな、セラピストにとって至高のともいえるセッションを、私はこれまでに何度か経験してきました。
そのたびに、夜も眠れないほどの興奮を覚え、また、その体験が一度や二度ではなかったからこそ、この仕事への強い想いを支えてきた、と言っても過言ではありません。
以来、このテーマ、「
音楽療法における共時性の追求 」は、私の生涯テーマにもなりました。
「共時性」とは、いうまでもなく、スイスのカール・グスタフ・ユング(1875~1961)が半世紀以上も前に発表した、「意味のある偶然の一致」という理論です。
そんなセッションが、最近またありました。
私の音楽療法では、こうしたことが起こることはそれほど稀ではありませんが、中でも感動の大きなエピソード、というのはあります。
今日も、それはひろちゃんのお話です
。
この日は、運動会準備期間のせいか、ひろちゃんはちょっと神経質になっているらしかったのですが、「だいじょうぶ?」と訊けば、お母さんの顔をチラ見して苦笑する事ができました。
小学校最後の運動会になるので、組体操の事を訊いてみたところ、ちょうど、その週末開催予定の運動会の組体操が、今のひろちゃんの興味の中心になっていたようだったのですが、
その中の4つの「一人技」、
片手バランス、肩倒立、V字バランス、ブリッジ のうち、
ブリッジ ができないこどもたちは、両手を頭上で返して床につけるのではなく、
「
亀 」と言って、肩の下で両手を返さずに床につけて、背中と腰を上げる姿勢を取るのだそうで、ひろちゃんも、ブリッジだともう一息頭を持ち上げられないため、
亀 を選んだらしいのでした。
これが、「
亀 」というキーワードがもたらした、
第一の偶然 でした。
亀の肩倒立 さて、セッションに入ります。
メロディーを作れるようになって来たので、そのセンスを生かして、ひろちゃんから即興モチーフを先行してもらうようになって以来、リコーダーの即興も目に見えて質が上がり、掛け合いに入る私と、カノンやTuttiがぴたりと合致したりする事が増えていました。
そう、今にしてみると、この事が、今回のようなセッションを導きだす鍵を握っていたのです。 もっと小さい頃から、ひろちゃんは
語呂合わせ遊び が好きで、いつも取り入れている
「今日は何の日」 をきっかけにしたメロディー作りの活動では、語呂合わせのいいのがない日には、ひろちゃんが
「今日はなんの日」の語呂合わせ を創作してくれます。
この日も創作しようとしたのですが、5月23日では上手いのを思いつかなそうだったので、ネットで調べておいた
「世界亀の日」 を提案すると、すんなり受け入れてくれたのでした。
亀の片手バランス これが、「
亀 」という素材がもたらした
第二の偶然 でした。
第一の「
亀 」は、もうすぐ開催されるひろちゃんの小学校最後の運動会の話題から偶然出ました。
そして、第二の「
亀 」は、今日のセッションのために私が計画したプログラムの中に偶然登場しました。第二の「
亀 」は、セッションが昨日でも明日でも登場しなかったのです。
テーマが決まると、いつも私がその場で簡単な歌詞を創作します。
この時は、ひろちゃんから組体操の一人技種目だけ聞いて、次のような歌詞を作りました。
亀 のブリッジ亀 はブリッジ ムリムリー ブリッジできなきゃ カメカメー 肩倒立に 片手バランス V字が決まれば 亀 じゃなーい!
それから、ひろちゃんにメロディーを作ってもらうに当たって、
「
亀 には甲羅があるからV字はムリだよね」、と話しながら、
計画には特になかったことでしたが、音楽室にある割りとリアルな
亀 のハンド・パペットを出して来て、
亀 にブリッジやV字バランスは本当にできないのかどうか、一緒にシミュレーションを始めたのでした。
亀のV字バランス これが、「
亀 」がもたらした、
第三の偶然 でした。
もしも組体操の「
亀 」の話がなければ、仮に
亀 のハンド・パペットは出してきたとしても、お人形の
亀 にV字バランスをさせてみたりはしなかったでしょう。
パペットにはいろいろあって、出したついでに
亀 の他にひろちゃんが注目したのは、「
はらぺこあおむし 」のパペットでした。
私も
おぜ も、意外とこの
あおむし 、可愛いというより気持ち悪い、と感じていたので、ひろちゃんにその気持ちを伝えてみると、どうやら、ひろちゃんの男の子らしい遊び心に初めて火がついたらしかったのです。
亀のやだやだ おぜ を
亀 にして、
あおむし で「気持ち悪い攻撃」を開始するひろちゃん。
手指を
亀 パペットに入れ、首を横に振らせて「やだやだ」と言ってみせる
おぜ の様子が気に入って、もっと「やだやだ」を言わせようと、何度も
あおむし を
亀 に乗っけてみせました。
そこで今度は、プログラムにはなかったのですが、
あおむし を浦島太郎に見立てて、あの昔の童謡、「浦島太郎」を歌って聞かせて、物語を教えてみました。
♪ むっかしーむっかしーうーらしーまはーー
助けた
亀 に連れられて 竜宮城へ行ってみれば
絵にも描けない美しさ…
亀に連れられて…あおむし そしてさらに次は、プログラム通り、♪恋してうみ
がめ というNHKのこども歌を、二人の「やだやだ」物語のBGMとして弾き語りしていたところ、なんと、ひろちゃんは、泣き出したのでした。
♪恋してうみがめ という歌は、
うみがめ の産卵シーンを題材にした歌で、痛い思いをして一生懸命卵を産み落とす
うみがめ の、“卵”への恋が、ちょっぴり切なく、静かに、抒情的に歌われます。
その歌を聞きながら、声を出して泣くのではなく、溢れ出る涙をハンカチでぬぐいながら、それでもパペットで遊ぶのを止めないひろちゃんの姿がそこにありました。
これまでは、情緒的な歌に涙してしまうひろちゃんが可哀想になって、慰めたり、演奏を中止したりすることが多かったのですが、この時は、あおむしに扮するのを止めようとしないひろちゃんの方に気を取られ、はじめは泣き出したのに気づかなかったもので、結果的に初めて、彼の涙を見て見ぬ振りをすることになりました。
すると、
おぜ によれば曲中、二度に渡って涙を流しながら、ひろちゃんはついにそこから逃げ出す事なく遊び続け、ナーヴァスにもならずに、いわば、
涙を放置 することに成功したのでした。
曲が終わった後も、涙を拭いながら、遊びの続きをしたがるひろちゃん、いつも終了間際に行う、バイエルを弾くプログラムをどうするかと思ったら、そこはひろちゃん、さっと切り替えてこなしてくれましたが、
「じゃ、後でお話(セラピストとお母さんとの懇談)の時、また続きしよう」
と
おぜ に申し込んでいました。
ひろちゃんは、単なる質疑応答的な情報交換はしっかりとできるようになっていましたが、遊びなど、創造性が必要なこうしたやりとりの場面で相互性のあるコミュニケーションを取れるのは、これまで、音楽している時だけでした。
リコーダーで即興で掛け合いをする時には、だいぶ、私のしそうなことを読んでくれている演奏ができるようになっていましたし、
作曲活動では、作ってみて、私に再現してもらってみて、明らかにつながりがダサいような時には、「ちょっと待って、違う!」と修正することができるようになっていたのです。
でも、あとで
らあも がこの話を聞いて「え
ひろちゃんが
」と驚いたくらい、ひろちゃんが、
ぬいぐるみなどを使って「
ごっこ遊び 」をする、というのは、想像しにくいことだったのです。
さらに、ひろちゃんは、
おぜ が、何か相談しようとするように、
「ねえねえひろちゃん」
と話しかけるのが気に入って、自分でもこのセリフを繰り返してはクスッと笑っていました。
もっと言って、と催促するかのように。
おぜ と遊ぶのが本当に楽しかったのですね。
そういえば、半年ほど前から、音楽室にある、ひろちゃんと同じくらい大きなスヌーピー
にラリアットしたりはしていました。でも、これは特にセリフもなしのセッション後の一人遊びで、…それでも、おうち
ではしない遊びではあったそうなんです。
互いに対等なやりとりが必要なレベルの「
ごっこ遊び 」は、一人遊びの「
見立て遊び 」と違って、相手との間に、物事の前提となるべきいくつもの「
暗黙の了解 」がないと成立しません。
それは、たとえば、
亀 だからどうか、ということ…人間ではない、とか、、
亀 ならどうする、とか…、
亀 ならしないことをいま、してるんだよ、とか。
それから、遊びの手法は鬼ごっこなのか、かくれんぼなのか、
どっちが強くてどっちが弱いのか、
「いい者」はどっちで「悪者」はどっちか、など、
いわば遊びのルールのようなものですが、こうしたものが、
相手にも自分にも解る ものでなくてはならないわけです。
しかも、勝負が絡むゲームでなく、ごっこ遊びをするこどもたちの場合、そうしたルールを、遊び出す前に言語化して確認してから、というようなことはほとんどしません。
いつも突然遊びだし、突然ルールが成立するから「
ごっこ遊び 」なわけで、そのルールは遊びながらどんどん変化していくような曖昧で信頼性のないものなのに、それでも楽しいと思える、という、より強い「
暗黙の了解 」が必要になるはずです。
一方、自閉症スペクトラムのこどもたちは、「
見立て遊び 」は、割と早くからできるようになる子がかなりいるのですが、何に見立てているのかがこちらにも分かるレベルの
見立て遊び になると、誰か相手をする大人がきっかけを作らないと始められない事が多い割りに、一人遊びに終始してしまいがちで、ひろちゃんのように、
相手の反応を楽しみ、これを何度も引き出そうとするような相互性の高い遊び方 にはなかなかならないことが多いと思います。
つまり、
彼らが頭の中で展開する空想世界が、 自分勝手で
他者とは共有しづらい内容であるために、セラピストが入り込んで一緒に遊ぼうとすると、邪魔になってしまう のです。
ただし、これもまた、非常に重要な段階です。こどもたちは、そうした自分だけの世界に入り込んだ「
見立て遊び 」の中で、実はいろいろな
ネガティブなエネルギーを発散 しているものだからです。
また、幼稚園児くらいだと、通常発達のこどもたちなどは、お友達とのごっこ遊びにも、こうしたそれぞれがひとりよがりな自分の世界を勝手に持ち込んで、非常に攻撃的・あるいは破壊的なエネルギーをその中に注ぎ込んでいます。
それが、自閉症スペクトラムのこどもたちになると、なかなか相手あっての遊びの中では、そうした発散ができないのです。そうするには、あまりにも心が繊細なのです。
でも、
相手と世界を共有することができる 「
ごっこ遊び 」は、コミュニケーションというスキルが、相手あっての相互的なものに成長していくためには、きっと必ず通らなくてはならない、自閉性のあるこどもたちにとっての重要な関門ではないかと思うのです。
ひろちゃんの場合、分数もできる、複雑でなければ楽譜も読めるなど、学習理解力が高いにも関わらず、これまでまったくこうした
ごっこ遊び が見られませんでした。
そして、初めて相互に成立した「
ごっこ遊び 」が、このように高い相互共有性、共感性を発揮したのです。
一方、情動性の強い楽曲の演奏が始まると、泣いてしまったり、とても不快そうな表情で怒ったように乱暴な音を出したりして嫌そうにするので、流行りのJ-POPのちょっとイイ曲などを共有することも、これまでできませんでした。
つまり、繊細な心の持ち主でもあり、相手がいることを無視できないだけの理性が育っているひろちゃんには、相手あっての「
ごっこ遊び 」なら、これくらい相互に世界を交え、平等にその遊び心を享受できるような
プラットフォーム が成立しないと、楽しめなかったのかもしれないのです。
もちろん、まだそうした楽曲を聞いてストレートに共感し合う、というところまで来たとまでは思いませんが、少なくとも、思いがけなく心を揺り動かされることを、受け入れることができた日でもあったのではないか、という期待が湧きました。
お母さんと、これらの出来事を、驚きを隠せない、という思いで喜び合いながら、これまでの長い年月に、ゆっくりと彼の心の開放を願って行ってきた
「音楽する力を育てる」ことの意味 が、いま、ひとつの、
誰にでも解る 結果を出してくれたのではないか、と信じることができたのでした。
亀のブリッジ 組体操の亀 「世界亀 の日」亀 のパペット
という、計画段階では決して想定されていなかった
3つの偶然 が、ひろちゃんの心の壁を、涙とともに、ついに真に一気に開かせた瞬間だったのではないか、と思うと…まだそうと確実に決まったわけではなかったのですが…、
その夜、私は一人祝杯を上げました
。
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