多武峰内藤神社【東京都新宿区内藤町】※追記有 | サロン・ド・吉田荘通信

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新宿御苑の東側に位置する、多武峰内藤神社(とおのみねないとうじんじゃ)。

 

上の写真の由来記によれば、江戸初期に初代内藤清成氏が屋敷内の地(現在の新宿御苑)に家祖である藤原鎌足公を祀り、内藤神社を草創したことに始まり、また藤原氏の氏神である奈良の春日大社より、経津主神、武甕槌神、天兒屋根神、姫神の分霊を勧請合祀し、明治十九年(1886年)に新宿御苑の地より現在地へ移設、遷座され今日に至っているとのことであり、当初は武州多武峯神社と称していましたが、昭和四十二年五月に多武峯内藤神社に改称されたのだそうです。

 

多武峰(とおのみね)は藤原鎌足が祀られる談山神社が鎮座する地であり、談山神社から藤原鎌足の御分霊を勧請したともいわれているようです。

談山神社には一度参拝しましたが、また参拝してみたい神社の一つです。

 

 

 

 

正面が社殿、社殿に向かって左側が境内末社の稲荷神社。

主祭神は倉稲魂神、相殿神として八幡神、大国主神、市杵嶋姫神が祀られているとのことです。

そして、社殿に向かって右側が駿馬舎です。

 

 

上の写真に駿馬塚(内藤清成の駿馬の伝説にかかわる石碑)の解説が記載されています。

徳川家康が江戸入府後、家臣の内藤清成を呼び、現在の新宿御苑一帯を示し「馬でひと息に回れるだけの土地を与える」と語り、清成の乗った駿馬は、南は千駄ヶ谷、北は大久保、西は代々木、東は四谷を走り、疲れ果て死んでしまったので、大樫の下に埋めたと伝えられるのだとか。後に内藤家の森林の管理役となった中家休昌と木下正敷が、文化十三年(一八一六)八月に樫の古木の跡に塚を造り、駿馬塚の碑を建てたとのこと。

駿馬塚と白馬舎の写真はこちらです。

 


 

境内は決して広くはありませんが、新宿区の保護樹木に指定されている立派な大木が何本もあり、豊かな緑に心が洗われます。

境内の木々と、参拝時に出会った猫さんについて、次の記事に書きたいと思います。

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