第117回島根大学総合博物館アシカル講座「発見!古代の山陰道-出雲市杉沢遺跡の調査を中心に-」を開催しました。

 本日午後、第117回島根大学総合博物館アシカル講座「発見!古代の山陰道-出雲市杉沢遺跡の調査を中心に-」を開催しました。この講座は、令和元年度島根大学総合博物館アシカル講座第2ステージ「ここまでわかった!!『出雲国風土記』の世界」(まつえ市民大学連携講座)の第3弾になります。
 今回は、2018年2月に国史跡にも指定された出雲市斐川町杉沢遺跡古代・山陰道についてのお話でした。
 7世紀から奈良時代頃に古代律令国家が成立すると、中央政府は国の統治を円滑にするために、都からのびる官道を整備しました。現在の鳥取県・島根県は、都から各国の国府をつなぎながら、山陰道がのびていましたが、杉沢遺跡の発掘調査によってその具体的な様相が確かめられたわけです。
 この調査成果によれば、検出された道路は、以下の特徴をもっているようです。
・大規模な切土や盛土によって、丘陵尾根上に平坦面を造成し、直進性を志向した道路を敷設した。
・路面に、地盤改良の痕跡とみられる波板状凹凸面と呼ばれる遺構が検出された。
・道路(側溝間)の幅は約9m。
・残存する道路の推定延長距離は約1㎞。
・道路から、7世紀中ごろ~奈良時代前半の土器が出土。
幅が広く、直線的な古代のハイウェイともいえる、こうした官道の造成・整備は、古代としては大土木工事であったと思われます。古代国家の運営のうえで必要なインフラだったとともに、下々の者に威信を示す意味もあったようにも感じられました。

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