ショッピングモールの駄菓子売り場へ立ち寄りました。
その一角は板塀っぽい木目がプリントされたパネルで装飾され、
昔の“ザ・駄菓子屋”をイメージした作りになっています。
こまごまとした駄菓子もわざと乱雑に置かれ、
そのなかから馴染みの菓子や見たことのないものを見つける楽しさがあります。

他の売り場とは違う“演出”は、誰のためのものなのでしょうか。
菓子にはそれぞれ小さなポップが付いています。
たとえば目の前に或る一口ヨウカンには、「一口で食べない。これが大人」。
ポップが「これが大人だよ」と表わしているように、
菓子そのものは明らかに子どもに向けて作られたものです。

駄菓子の本質とは、“大人の模倣”にあると考えます。
ココアシガレットなどは、
タバコが大人のアイコンであったころの“大人への憧れ”が顕著に表れています。
駄菓子屋はリアルな大人を介在させず、
子どもたちが大人になった気分で買い物する空間であり、
これも一種の模倣でしょう。

ところが周辺を見渡すと、駄菓子売り場に子どもの姿は少なく、
僕と同じように物欲しそうな顔をしたおじさんや、
甘いものが好きそうなおばさんばかりでした。
つまり駄菓子売り場の“演出”は、
郷愁を媒介した“子どもの模倣”をしたい大人へ向けられたものだったのです。

昔好きだったモロッコヨーグルを見つけ、手に取ろうとしたのですが、
ためらいが生まれました。
ヨーグルを食べる木のヘラ型スプーンが
裸のまま包装せずにまとめて輪ゴムで止められていたからです。
昔ならまったく気にしなかったはずなのに、
(このご時世でどうだろう?)と手が止まってしまったのです。


本当に大人になってしまったのだ、と少し悲しくなってしまいました。