kanekoの陸上日記

毎日更新予定の陸上日記です。陸上競技の指導で感じたことやkanekoが考えていることなどをひたすら書きます。

選択をする権利

2020-04-06 | 陸上競技

思うことを。このことに関しては非常にデリケートな話だと思っています。それがどのような「結果」をもたらすのか。正直分かりません。「価値観」であたったり「指導観」であったり。感覚の差があるのは確かだと思っています。私の考え方が間違っている可能性も十分あります。

 

金曜日、土曜日の「陸連主催の大会を6月末まで実施しない」という通達。これは本当に大きな意味があります。都大会は実施せず、南関東大会は実施せず。そうなると間違いなく「インターハイ」は実施できないということになります。南関東代表を参加させずにインターハイを行うということができるかどうか。そして他のブロックは「代表」を選ぶための大会を実施できるかどうか。可能性としては限りなく低いと思っています。

 

その中で「最後まで必死に練習をしよう」と提案できるのか。「目標」が明確ではない中でどれだけのことができるのか。インターハイ路線がなくなったとしても「県総体」だけはできるのかもしれない。もちろんできない可能性もある。ここに対して「一番近くで見ている者」がどのように話すのか。

 

「部活動はそこまで大事ではない」と考える人も多くいると思います。それは「真」だと思います。しかし、その過程から学ぶものは多い。「勉強」ももちろん大切。そこの部分だけではない。このご時世に「練習をする」ことが本当に必要なのか。被害者にもなる、加害者にもなるという状況の中で「練習をする」というリスクは大きい。さらに「あるかどうかも分からない大会」に向けて「これまで通り練習を必死にやる」ことをこちらが求めるというのはどうなのか。そんな葛藤がありました。

 

なぜそのように考えるか。これはこの冬の取り組みを見てきたからです。これまで以上に「必死」になって取り組んでいる者が多くいました。新3年生を中心に半年前とは別人のような動きができるようになってきている。そのために多くのことを犠牲にしてきたと思います。遊びに行く時間を削り、自分の身体のケアのために時間を作る。この状況を半年間ずっと続けてきました。我慢することも多かったでしょう。

 

それも全て「速く走りたい」という大きな目標があったから。記録会や支部大会、県総体の中で「今までの自分を越える」ことを目指してやってきた。陸上競技の練習自体は派手ではありません。うちの練習も同様。それなりに楽しみながらできるようにはしていますが「笑顔でやり続ける」というものではない。練習で記録を計ることはできますがそれが「単純な結果」として受け入れられるのは難しいかなと。

 

この半年間本当に必死にやっていました。だからこそ「これ以上目標が曖昧の中で競技を続けることの意味」を自分の中で考えていました。「県総体の実施ができるかどうか分からないけどひとまず身体を動かす」というのも一つの方法だと思います。中止が確定したわけではない。「ひょっとしたらできるかもしれない」という可能性に一縷の望みを託して。しかし、そこに向かうためには「覚悟」と「想いの強さ」が求められます。「とりあえずやっておくか」という感覚でこの半年間を過ごしたわけではない。だからこそ「本当にこのまま続けることができるのか」という部分がありました。

 

批判を受けるかもしれません。それでも「今の現状」を選手たちには伝えておく必要があると思っていました。なんとなく誤魔化しながら県総体の時期を迎えて「やっぱりなかったわ。ごめん。」という話で済ますわけにはいかないなと。真剣に競技に向き合ってきた選手に対してこちらも「今の自分たちの状況」を伝える義務があると思っていました。

 

長距離とも整合性を取りながら。全体に対して話をしました。「陸連からの通達」「他地区の状況」「県総体の位置づけ」なども。そこで「選択する権利」を選手に与えました。今の状況で「必死にやりなさい」と求めることができるのかどうか。これまでやってきたことを続けるというのは簡単ではない。「記録を狙う」という意味ではその「場」がなくなるかもしれない。「そこまでできない」と思うのであれば「引退」という選択肢もある。そういう話をしました。「続ける」「引退する」という選択肢。突然のことだと思いますが頭に入れておかなければいけない部分だと思います。

 

これは「身体を動かす程度の練習」を冬季練習でやってきた選手であれば言いません。なんとなく「県総体がない」というのが分かって「それでは辞めようかな」と簡単に割り切れのであればそれでいいと思います。今目の前にいる選手は「必死にやっている」者が大半。同じようなことを求めるのは違うのかなと。

 

かなり話をしました。「県総体があると信じて必死に練習をする」ことができるか。気持ちが切れてしまってできないという状況になっても仕方ないと思っています。「あるか分からないけど必死にやるように」と私から強制することはできないと思います。ここは本人たちの「意思」かなと。本人たちが望まないのであれば「練習をする必要性はない」と思っています。無責任でしょうか?しかし、何もないかもしれない可能性がある中で「最後までやり続けろ」といえるのか。いや、「最後まで」の「最後」とはいつなのか。「県総体はやらない」と決まった日が「最後」なのか。

 

この子たちの取り組みをみてきたからこそ。そう思っています。「7月まで我慢したらレースができる」という保証があるのであれば「今は我慢だ」という話ができます。それさえも曖昧な状況で「今は我慢だ」ということは無責任だと思っています。それでも「可能性」を考えて続けるというのは「自分の選択」でなければいけない。もちろん途中で心が折れることがあるかもしれない。それでも「今」どのように考えるか。

 

涙を流している者もいました。この状況をどのように受け入れるか。「現状を知る」というのは必要不可欠だと思っています。今日練習できないと思えば帰ってもいいと伝えました。そこに対してどう感じてどう動くのか。見守ることにしました。

 

続きはまた別に書きます・・・。


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