鶏口なるも牛後となるなかれ…だろうか | ネグmamaと息子

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ネグレクトママから京大生が育った!
その京大生も巣立ってしまって
今は老夫婦2人生活。

大学の授業で

ことわざの勉強をしていて

「鶏口なるも牛後となるなかれ」が出てきました。

 

高校や大学受験のときに

先生が

「無理して上の学校に行って一番びりでいるより

下の学校で一番でいたほうがいいだろう」と

言われることがあります。

 

まさにこのこと。

 

でも

本当にそうでしょうか。

 

私は

そういう先生の言葉に従って(?)

ランクを落とした学校に行きましたが

結局

そこでぬるま湯に安穏と浸かっているうちに

鶏口にすらなれずに終わりました。

 

息子は

牛後で牛のどん尻にいましたが

それでも

牛の中にいたことで

牛の動きが当たり前で

自分がどん尻という意識もありましたから

牛の先頭がどんな風に動いているのかも見えていたように思えます。

 

 

牛に鶏が続いていれば
牛の先頭も見えるかもしれませんが
鶏だけの中にいたら
所詮鶏の先頭に満足するということになるのでは…
などと
ことわざや故事成語にいちゃもんを付けたくなる私です。
 
無理して
1つ上の学校に入っても
勉強次第で
その学校の中の上のほうにあがっていくこともあるでしょう。
特に
中高生は
伸び盛り。
勉強したらしただけ伸びますからね。
 
もちろん
子どもの性格によっては
無理して上の学校にいってつぶれたという子もいますから
全員が
「牛後なるも鶏口で満足することなかれ…」とは言えません。
 
息子の例は1つの例というだけ。
それでも
昨年転職した息子を見ると
「牛後なるも鶏口で満足することなかれ…」
が向いているのだなと思っています。
お山の大将でいるよりも
すごい人たちの中で
揉まれているほうが向いているようです。
 
日本人は「実力主義」というと
眉をひそめますが
これからますます2極化されていくことを考えれば
「実力主義」が消えることはないのだろうなと
思ったりもします。