「夏が来れば思い出す

はるかな尾瀬 遠い空」

(民謡『夏の思い出』作詞:江間章子)




この歌を中学時代、音楽の時間に聴いてセンチメンタルな気分になったのを覚えている。


「みず芭蕉の花が 咲ていてる

夢見て咲いている 水のほとり」


とのサビでは、なにやら小学時代の友人たちとの様々な思い出がまざまざと蘇り、胸の奥、懐かしさに突き動かされた。





はるかな尾瀬は遠い憧れ。

青く、どこまでも青く透き通った空は、永遠の少年の心に拡がり、思いが張り付いたまま消えることなどない。


恐らく、純粋であろうとする限り。

ものごとをありのままに見ようと自然のままでいられればこそ。


ただ、いったいなにを夢見ていたのだろう?

いつか空は曇り始め、時折雷雨に見舞われ、やがて黄昏ていった。


心の空はそれでも朝日を待ちわびる。

太陽は東から西を照らし、最果ての旅路にへと人々を誘う。





「もし15のあの夏に戻って

そこからもう1度 やり直せたら

どんな人生 歩むだろう」

(『君と歩いた道』作詞:浜田省吾)


この歌を聴いた時には、わずか半年ほど在学した昼間の方の高校時代を思い出した。

夏休み。

ラグビー部の練習後だったろうか、同じ部員だったタムジンや佐竹と琵琶湖にへと流れる川沿いの熱気が立ち込めるアスファルトの道でチャリンコを転がしていた。


周囲は見渡す限りの田園地帯。

地獄のような猛特訓を終え、解放されたはずなのに、なにかに束縛されている気がした。

青春の燃え盛るエネルギーはそれでも発散しきれずに、照りつける夏の日差しを遮るようにして逃げ場所を探していたのだろう。


すれ違った少女の背中を追いかけることも出来ず、あてもなくペダルを踏んで次の曲がり角を折れた先に拡がるマザーレイクに無為に引き寄せられた。


あの光の粒がダイヤモンドや煌く星々のように大海原に散りばめられた情景を忘れない。


青空とそれを映した琵琶湖は一体だった。

あんなに綺麗な光は未だかつて見たことがない。

キラキラ輝く粒は互いに混じり合い触発されながら、さらに輝きを増していた。


まるで悶々とした日々を送っていた僕たちになにかを語りかけるように。





あれから幾星霜経ても、憧れは続いている。

この人生にやり直しができたとしても、やはり同じ道を歩むのだろう。

確かな人生だったかどうかは誰にもわからない。

変わることのない本当の自分が選んだ道なのだから、迷い道もきっと道しるべとなり、今のこの道を指し示していた。


輪廻転生は今世中にも起こっている。

繰り返し、繰り返す道程は己が本来希求するなにかなのだ。


いつか、たったひとりこの道に佇んだとしても、それに気づくことを遠い空はずっと見守っている、そんな気がした。