母親や自分が死ぬなんて、知りもしなかった幼児の頃。


小さく温かな手に、それよりもっと小さかった手が縋り付いていた。


早く大人になりたいと願ってた十代。

素直な心はいつしか汚れて、自我を剥き出しに荒れていった。

恋にも悩み、自分が自分であることに苦しみもがいていた。


階段を登る。

扉が開き、青空がどこまでも続いていると信じていた二十代。

愛する人を守り続ける使命を感じてた。

けれども、若さの仮面を外せはしなかった。


結婚に反対され、バイト先で借りた軽トラに荷物を積んで飛び出した。

二人で貧しいアパート暮らしのトラック乗り。

それでも希望に溢れ、幸せに酔いしれていた二十代最後の年。

愛を知る川、リバーサイドで家族という城を持ち、見えない明日に目を凝らしながら、妻の微笑み太陽に照らされる中、生まれたばかりの娘を抱きしめていた。


ようやく和解し認められたのか、それとも暮らしに疲れて逃げ戻ったのか、どちらとも言えずに店に、実家に戻った。

「帰ってきたお兄ちゃん」と昔からのお客さんに茶化され、苦笑いしていた。

3年近く席を外していた店を盛り上げ、大きくしようと必死に息巻いていた三十代。

だけど、やがてどうでもいいことや遊びに溺れ、幸せを見失いかけていた。




そして病に倒れた四十代。

生まれて初めて入院した病院の窓から、夢を見るには静かすぎ、考え込むには明るすぎた病室にでも、やっと救いの光が差し込み始めた。

それまでの人生を振り返り、虎視眈々にチャンスを伺った。


いざ五十代の坂を登ろうとする間近に、生命を人生を、こんな悪戯な時間という制約を学び抜きたいと命の底から込み上げてくるものに奮い立った。


目覚めて二階から降りる階段の途中で聴こえてきた。

陽だまりの朝、リビングで妻と母親が笑いあっていた。

やっと我が家に本物の幸せが訪れた。

そう思えた矢先に、まさか信じられない突然の母親の死。

子供に戻ったように泣きじゃくった53歳の誕生日直前。


外にあると思っていた幸福を内面に取り入れるように、面影は心の奥に飾ってある。

生も死も、生きとし生けるもの、死にとし死せるものも、この己心に存在すると悟ったつもりの今。


まだまだ謎は解けぬ。


人生の秘密。


命のゆくえ。


本当の自分。


草木は眠り、我は起きてる丑満時。


このままで、ありのままで、今を生きている。