まだまだ先のことと思っているうちに、もう目の前、7月24日金曜日から2週間と少し、8月9日日曜日まで開催される東京オリンピック。

これまでいくつもの国でいくつものオリンピックが行われるたびに、様々な感動を分け与えてもらったが、私にとって最も印象に残っているのは、1972年の札幌オリンピックである。

中でも注目のスキージャンプでは、日の丸飛行隊と愛称された笠谷選手や金野選手、青地選手の70m級での表彰台独占の大活躍に少年の心は躍った。

ところがつづく90m級では不振に終わり、ただ1人、1本目に奇跡的とでも言えるくらいの飛距離である111.0メートルを飛んだポーランドの新鋭フォルトゥナ(19歳)に続いて2位に付けた笠谷選手は、2本目に横からの突風にあおられて7位に失速した。





この時に初めて、自然や偶然、時の運など、自分たちの力だけではどうしょうもない目に見えない影たちが、この世界に働いていることを暗に教えられた気がする。

今でははっきりと言える。
人生に起きることにはすべて意味がある。
しかも、私たちの運命は、私たちが思うよりずっと、偶然に支配されているように見せつつ、必然であるところに最終的には帰着する。
大切なのは、どんな境遇になろうとも、それを私たちがどう捉えるかの主体的な問題なのだ。
つまり、偶然に左右されるのではなくして、それらの事象をどう意味付けるかということ。
結論付けると、良いことも悪いことも、あらゆる出来事をポジティブに、自己の成長へのプロセス、あるいは要因、または結果へと置き換えられるかどうか、そこに幸不幸の分かれ目があると思えるのである。

もちろん病や死など、自分や周囲のネガティブな現象の渦中に置かれて、そう思うことは容易ではない。
宇宙には何らかの目的があるとでもいうのか?
そのために、この苦しみもあの悲しみもあるのだろうか? 

真実はわからない。
わかったところでどうしようもないし、わからないからこそ生きてもいけるのだ。
また、人類史的な進化もするのだろう。

ここでやはり、人の感性こそが何かがサゼスチョンしてくれるのを感知するのだと思う。
宇宙や自身の内面の深いところにある小宇宙に繋がった感覚のする、あの瞬間。

鳥肌が立つほどの感動を人生最初に覚えたのは、私の記憶の限り、10歳の頃、学校で音楽の時間、先生がかけてくれた、確かレコード盤のトワエモアの曲を聴かされた時だった。

前例の札幌オリンピックのテーマソングである。

先生がレコードプレーヤーで再生しようとドーナツ版に針を落とした瞬間、爽やかな前奏がひんやりとした音楽室全体の空気を震わせた。

そしてサビの部分で盛り上がると、少年だった私の感性はみるみるボルテージを上げていった。
何に感動したのか?
今でもその時の感覚が残っている。
何やら夢や希望が歌の盛り上がり、高音へと上り詰めて行く過程で、パッと無限の彼方へと共に心が拡がりゆくイメージ、そう表現する歌詞やメロディーに心が打ち震えていたのだ。

ーーーー------------------



虹と雪のバラード 歌詞
歌:トワ・エ・モア
作詞:河邨 文一郎
作曲:村井邦彦

虹の地平を 歩み出て
影たちが近づく 手をとりあって
町ができる 美しい町が
あふれる旗 叫び そして唄

ぼくらは呼ぶ あふれる夢に
あの星たちの あいだに

眠っている 北の空に
きみの名を呼ぶ オリンピックと

雪の炎に ゆらめいて
影たちが飛び去る ナイフのように
空がのこる まっ青な空が
あれは夢? 力? それとも恋

ぼくらは書く いのちのかぎり
いま太陽の 真下に

生まれかわる サッポロの地に
きみの名を書く オリンピックと

生まれかわる サッポロの地に
きみの名を書く オリンピックと

----------------------

当時、確かに札幌の町にビルが建ち、地下鉄が走るようになった。
でも、本当に必要だったのは、そんな人生に対して夢見ることや社会的な未来への希望、つまりは心のキャパシティを拡げることだったに違いない。

したがって、今も心の最大級のジャンプ競技は続いているのだろう。
どこかの国の愚かな指導者が自身の欲望のために悲観するな、楽観しろとほざく、温暖化、環境問題も直視し、雪のない北の国に、もう1度自然の白雪を降らせ、そこに人類の確かな足取りを残せるように。