新型コロナの影響で、同業者の方々はどんな思いで毎日を過ごしておられるのかと気にかかる。

思い切って店を閉めた人。
1ヶ月ほどの期限を決めて自粛をしている方。
それぞれあるだろう。

東京では飲食店に対し、強制ではないにしろ、午後8時までの営業を要請された。
それに追随する様に愛知県や京都府も独自の緊急事態宣言を出した。

私の店がある滋賀県内ではまだそうした自粛の要請はされていないが、そんな状況を受けて、どう動くか分からないし、私自身、どうしてもどこかうしろめたさを感じながらの営業になってしまう。
東京のように業種による休業や営業時間短縮など、自粛の度合いを明確化されてしまった方が分かりやすく、行動に移しやすいかも知れない。

ただ、最終的には判断するのは自分だし、上から、特に国家や県の権力で持って束縛されるのは何やら釈然としないものが残るだろう。

ここは自分で決意し、それぞれの人生観や仕事観を示すしかない。

長浜市 後鳥羽神社にて

手洗い場の消毒液や、お客さんが入れ替わるたびにテーブルやメニューなどの周辺備品の除菌をしたり、また、店内の換気は常時強力な上引式ダクトでの排出と、その分大量の外気の吸引はしてあっても、クラスター感染のリスクを完全には避けられないのが決断を鈍らし迷いを生じさせる。

半減はしたが、栄養、免疫力をつけるためにと当店の焼肉を求めて来店してくださる方も途絶えてはいない。

たしかに、コロナに限らず、健康管理は大切なこと。
今まで健康についてはまったく無頓着だった私もまた、最近診察に行き、結果に一喜一憂するようになった。

各数値が良かった診察後のご飯の美味しいこと。
きっと安心感からだろうが、心と体の密接な関係を思い知る。

一方、解剖学者で東大名誉教授、医学博士であるにもかかわらず、養老先生のように嘘か誠か禁煙は根拠がないとタバコは吸う、血圧は測らない、山谷川を走り回り、少年の頃からの趣味の昆虫採集や実験で80歳を超えてなお足腰が丈夫でお元気に活躍されている。
そして統計上、そんなふうな人の方が病気や死から逃れられているというご自身の発言もある。
あまり気にしすぎないことも大切なようだ。

病気もそうだし、コロナなど、この今の暗い世相に連動されてしまう我が心。

コロナ疲れ、コロナブルー、日々の暮らしでの窮屈感や閉塞感は尋常じゃない。

この心象風景である鉛色の重い空を打ち破って、パッと染み渡る青空を拡げるべく、明るく笑って暮らしたい。

様々な要因による不安感。
これから先の不透明感。

まず、コロナの終息が確定できない。
不要不急の外出や営業自粛などの対策が若者を中心にどこまでできるか、またその効果、特に収束に必要とされる1ヶ月ほどの間にどれほどの結果が得られるのかも定かでない。

完全に誰もが自宅に引きこもれば、きっとウイルスは行き場(この場合人から人への移動場)を失い、ウイルス自身も外に出歩くことなく、各個人の中、免疫の力によってほとんどは消滅せざるを得ない。

目には見えない未知の敵だからその動体が掴みにくいのは確か。

おそらくそれを作り出し、呼び出したのは、こちらも目には見えない、それ自身では律し仕切れない、人の心に違いない。




もうこうなったら、大きな危機や難関を乗り越えた後には、それに増す大安楽が来ると信じられる希望力を緊急発動するしかない。

今後想定外の何があってもできるだけ動じない平安な心でいられるよう、様々なことをシュミレーションして、物神両面に渡る準備もしておきたいものだ。