ShortStory.468 人生のまとめ | 小説のへや(※新世界航海中)

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 1話完結の短編小説を書いています。ぜひご一読ください!
  コメントいただけると嬉しいです。無断転載はご遠慮ください。

 

 まとめるにはまだ早く、まとめるにはもう遅い。

 

↓以下本文

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 自分の本を作ろう。そう思ってつくり始めた。

 他人は終活の一環かと言うかもしれないが、

 私がただ作りたくなったから作るのだ。

 長い年月を振り返ってみたくなった。

 長い旅路ほど、思い出すことも多いだろう。

 青春、出会い、苦難、成功。人生をまとめて一冊の本を拵えてみる。

 通ってきた道を、もう一度歩いてみるのだ――

 

 

 

人生まとめ

 

 

 

 こうしてパソコンに向かっていると、

 まさしく昔にタイムスリップしたようだった。

 書き始めは大いに悩んでいたものの、

 今は留まることなく指がキーボードを叩いている。

 書斎というタイムマシンの中、椅子にゆったりと背を預け、

 人生を振り返っていく。今はまだディスプレイ上に

 並んでいるだけの文字も、すべて書き終えれば印刷して書面になる。

 いったいどんな本に仕上がるのか、

 自分ですべて作っているというのに、どこか

 待ち遠しいような、そんな気持ちになっていた。

 

 

 ここまでのページ数になるとは。

 人生を記した本なのだ、ある程度の量になることは

 予想していたが、それでも多く感じた。

 今まで仕事でもこんなに多くの文章を書いたことはない。

 退職後の余暇の過ごし方としては申し分なかった。

 80歳。今までの人生を書き連ねてきた。

 背もたれに沈み込み、目を閉じてみる。

 自分に都合の良い文章になってはいないか、

 勢いに任せて書いてきたので、唐突に不安に襲われた。

 推敲というものをした方が良いのではないか。

 練り上げた文章にこそ、自分の姿が真に映るような気がする。

 

 そう言えば、今日は久しぶりに息子たちが訪れてきた。

 仕事に疲れているのか、表情はあまりよくなかったが、

 何やら私に熱心に話をしていった。子どもの時から

 そうだったが、要領の良くない話し方で、内容も今ひとつ

 よくわからなかった。まあ、社会にくらいついて生きている様子が

 見られただけでもよしとしよう。

 彼らは私のしていることにも興味があるようだった。

 しかし、完成するまでは、立派な本になるまでは中身は見せまい。

 彼らにとって、いい内容も、悪い内容も、私の人生の

 すべてが書き記されているのだから。

 

 

 完成したと言ってもいいだろう。

 事実を示し、道筋も正しく、よくまとめられている。

 自分で評価するのも恥ずかしい話ではあるが、

 わかりやすく、簡潔な文章になっていると思う。

 背もたれに沈み込み、目を閉じてみる。

 あまりにも簡素過ぎる表現になってはいないか、

 曖昧な表現を避けてきたので、唐突に不安に襲われた。

 人間の歴史なのだ。豊かな表現があってもいいのではないか。

 言葉の使い方次第で、同じ内容でも色彩豊かな作品になるのだ。

 

 書斎のドアがノックされた。

 返事をすると、家内が盆に食事を乗せて入ってきた。

 さっき昼食をとったばかりだというのに、もう夕飯だという。

 作業に没頭していたらしい。何と時のたつことの早いことか。

 私の人生もまたあっという間に過ぎ、今に至るわけだ。

 私は自分の人生に没頭していたのだろう。

 そう考えると、過去の出来事もまた、実に感慨深いものだ。

 

 

 事実を並べ立てる人生の報告書ではなく、

 単なる感想文ではなく、読み物としても通用する、

 そんな作品に近づいたと自負する。

 ある時は季節を、ある時は感情を、他の物にたとえ、

 様々な言葉を使って表現した。読む人にとっては、

 自分の人生との接点や違いを感じ、書物の世界に

 誘われることだろう。妻や子供たちも知らない私の姿が、

 ここには表現豊かに、そして事実に即して書き記されている。

 まさしく、今までのすべてが物語になってまとめられている。

 

 唐突に書斎のドアがノックされた。

 大方家内が食事を持ってきたのだろう。

 最近やたらと私に食事をとらせたがるのだ。

 まあいい、しばらく黙っていれば

 そのままリビングへと戻っていくだろう。

 

 さて、いよいよこのすべてを印刷し、

 紙のかたち、本のかたちにしてみようではないか。

 

 

 本の装丁はどのようにしようか。

 そんな事を考えながら書斎に入り、椅子に座る。

 机の上に置かれた紙の束は、辞書のように分厚い。

 満足感を覚えながら、その上に手を乗せる。

 人生に思いをはせながら、目を閉じた。

 紙束を手に持つとその重さに思わず、笑みがこぼれた。

 何事も完成が近づくことは嬉しいものだ。

 ぱらぱらと紙をめくると、違和感を覚えた。

 何かが違う。昨日なかった箇所に折り目がある。

 誰かが見た形跡があった。誰かと考えるまでもない。

 そんな事、犬や猫に出来るわけはないのだ。

 今の今まで、この本を誰かに見せたことはなかった。

 パソコンのデータの状態でさえ、そうなのだ。それを見られたのだ。

 

 唐突にドアが叩かれた。

 家内か、息子たちか。そのうちの誰かが、

 もしくは全員がこの本の内容を知っているのだ。

 自分たちに都合の悪い内容が書かれていないか。

 そんな浅はかな推測をもって、部屋に忍び込み

 この原稿を読み漁ったに違いない。

 

 私は原稿の束とパソコンを胸に抱いた。

 持って逃げる力はないが、奪われぬように

 守ることはできるだろう。いや、死守して見せる。

 私の人生。その事実を書き記したものだ。

 当然、いい事も悪いこともあった。善行も悪行も

 分け隔てなく記した。過去に対して誠実な文章こそ、

 人生の物語にふさわしい。

 たとえその事実が、他の誰かの感情を揺さぶろうが、

 損得に影響を与えようが、そんな事は知ったことではない。

 真実は誰にも変えられない。私は自分の人生に、

 責任をもって接しているだけだ。

 家族であれ、それを遮ることはできない。

 

 書斎に鍵は無かった。

 しばらくノックが続いた後、思った通り、

 家内と息子たちが入ってきた。

 皆鬼のような形相でこちらを睨んでいる。

 私の書いたどの文章が、どの内容が、どの事実が

 彼女たちをそのようにしているのか。

 わからないわけではない。しかし、だからといって

 この人生の記録を書き換えたり、

 奪われたりすることは許されない。

 

 家内のもつ盆の上には料理があった。私に毒を盛ろうと言うのか。

 真実を白日の下に晒されるくらいならば、

 私と共に事実を葬ろうと言うのか。

 息子たちは何か言いながら近づいてくる。

 書斎の小さな窓からは逃げることもままならない。

 私は椅子の上、原稿束とパソコンを再び強く抱きかかえた。

 

 私の人生だ。これは私の人生そのもの、その総まとめなのだ。

 家族であろうと、邪魔をさせてなるものか――

 

 

「あなた……」

 

 きみ子は夫の姿に呆然としていた。

 持ってきた食事も、その手に持ったままである。

 久しぶりに実家に戻ってきた息子たちは、

 父親の変わり様に驚くと同時に、

 互いに顔を見合わせ、今後のことを思い浮かべた。

 

「なあ、ずっと、こんな感じなのか?」

「最近はとくに、ねえ……会話も、噛み合わないのよ。

 食事を出してもほとんど口にしないし」

「限界だよ。家で面倒みるのは、もう……」

「兄貴。親父は俺たちが見てるからさ、早く連絡を……」

 

 疲れた様子のきみ子から、息子の一人がお盆を受け取る。

 冷めた食事からは、もちろん湯気などあがっていない。

 元の食材がわからないほどにすり潰されたそれは、

 何の料理だったのかもわからなかった。

 

 かつて小説書きだった男――富次は、

 椅子の上にうずくまるようにして、

 分厚い紙束とパソコンを抱きしめている。

 床に落ちた数枚の紙は、何も書かれておらず、

 ただただくしゃくしゃに折れ曲っているだけだった。

 

 パソコンにもコードひとつつながっておらず、

 ディスプレイは真っ黒のまま、何も映し出してはいなかった――

 

―――――――――――――――――――――――――――――
<完>