ShortStory.470 ジュバクレイ | 小説のへや(※新世界航海中)

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 1話完結の短編小説を書いています。ぜひご一読ください!
  コメントいただけると嬉しいです。無断転載はご遠慮ください。

 

 呪われるより、祝われたい(←当たり前)

 

↓以下本文

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「七村選手に質問です」

 

 記者の栗原(くりはら)は、いつものように相手にマイクを向けた。

 取材対象の彼は、今世間で注目されている若手の

 バスケットプレーヤーである。受け答えにも卒がなく、

 先ほどまでも他の記者の質問によどみなく答えていた。

 自分の質問にも相手の答えにも不安を覚えることなく

 そのまま今日の仕事を終えるはずだった。

 

「今回の大会には優勝しましたが、

 今後の“夢”があれば、ぜひ教えてください」

 

 疲れていたのか、質問の一語が変わってしまったが

 特に問題はないだろう。そんな風に思いながら、

 栗原は相手の返答を待った。周囲の記者たちも同じように

 レコーダーを寄せて、記事の材料集めに夢中である。

 無数にシャッターがきられる中、七村は口ごもった。

 

 そんなに難しい質問ではない。

 次の大会も頑張ります程度の返答でも

 構わないのである。もしくは、夢にはこだわりがあって

 軽々しく答えることは不本意ということだろうか。

 栗原をはじめ、他の記者たちもそう思い始めた矢先、

 ようやく七村の口が開かれた。

 

「夢はありません」

 

 悩んだ挙句の返答だったのか、それも記者たちには

 わからなかった。しかし、七村の表情は、先程までと変わらず

 清々しいまでに晴れやかなものであった。

 

 一瞬しんと静まり返った記者たちも、徐々に愛想笑いを

 浮かべ始めた。彼の返答を、エッジの効いたジョークか何か

 だと考えたのだろう。疲れているからだ、若いからだ、

 そう考えた者もいただろう。予想外の答えを素直に

 受け取ることもできず、皆戸惑っていた。

 思い出したかのように起こった疎らなシャッター音。

 そんな中、マイクを向けた栗原だけが満足そうに頷いていた――

 

 

 

 

 

 

 

 

 取材が行われた競技場会議室を出ると、

 栗原は会社に連絡した。連絡先は課長である。

 なかなか出ない相手に、思わずため息つきながら

 そういえば今日昼ごはん食べたっけ、などと考える。

 案の定、食事をとる暇もなかったわけだが、

 彼女の腹は不思議と満たされていた。

 取材の前、通路を歩いていた時に大きく腹の虫が

 鳴った事を思い出し、彼女は小さく首をかしげた。

 

「疲れてるのかな……」

 

 腹を擦りながら独り言をいっていると、相手が電話に出た。

 

「課長、おつかれさまです。取材部の栗原です。

 今、七村選手の取材が終わりました」

 

 課長の男は、煙草の吸い過ぎで掠れた声で

 記事になりそうなコメントはあったかと訊いてくる。

 栗原は他の記者たちが引きだした返答も含め

 先ほどの取材内容を思い出し、はいと答えを返した。

 

 そうかそうか。課長は社内でもよく使っている

 言葉で応じると、栗原に明日の予定を訊いてきた。

 無論、平日の明日は仕事が詰まっている筈だったが、

 彼の提示してきた朝の時間だけは空いていた。

 

「その時間は空いています。11時までなら大丈夫です」

 

 急きょ入った仕事とは、朝都内の幼稚園に行って、

 園児たちに将来の夢を訊いてくるというものだった。

 彼女の普段の仕事内容とは離れた分野であり、きっと、

 他の誰かが忘れていた取材を若手の彼女に回されているに

 違いなかった。だからといって断るわけにもいかず、

 彼女はスマホを耳に当てながら、表情と口調を

 巧みに使い分け、歯切りのいい承諾の返事をした。

 

 彼女は時計を見た。家に帰って4時間寝られれば良い方だろう。

 そんな風に考え、思わずため息が漏れそうになる。

 電話を切る間際に、彼女は課長に質問した。

 

「あの、課長の夢って何ですか」

 

 唐突な質問に、電話口から「は?」という声が聞こえた。

 彼女は腹を擦りながら返事を待つ。

 一瞬の間の後、そんなものねえよ、と返答があった。

 電話を切った後、彼女は不思議な感覚に襲われていた。

 自分が何故あんな質問をしたのかわからないのだ。

 先ほどの取材での七村の返答に疑問が湧いたわけでは

 なかった。確かなこととしては、課長の返答に

 ひどく満足している彼女がいたということである。

 

 競技場の通路には、もうほとんど人がいなかった。

 栗原も帰りを急ごうと、足早に歩いていく。

 

 歩きながら、彼女は明日朝に頼まれた仕事のことを考えた。

 子ども相手の取材など久しぶりだった。想像する。

 都内のこぎれいな幼稚園の中、目の前に集まる

 元気いっぱいの子どもたち。きっと大声を出して

 はしゃいでいるに違いない。そんな子どもたちに向かって

 マイクを向け、彼女は明るく問いかける。

 

『皆の“夢”を教えてください』

 

 いったいどんな答えが返ってくるだろうか。

 そんな風に考えた彼女の頭に、返事の想像は

 浮かんでこなかった。通常なら、スポーツ選手、

 電車の運転手、アイドル、お医者さん、ケーキ屋さんなど

 切りがないほど答えを上げるだろうことは、

 大人の彼女であれば容易に想像がつくはずなのに、

 今頭に浮かぶのはひとつの答えだけだった。

 

『ありません』

 

 その想像に、彼女は違和感憶え、

 肩に寒気さえ感じたが、寝不足で疲れているのだろうと

 結論付けて納得した。反射的に上げた手で口を拭う。

 涎が出ていた。腹もぐるぐると低い音を立てている。

 何かを期待するような体の反応に、彼女の目はうつろだった。

 

「そういえば」

 

 歩く彼女の背後に、黒い染みのようなものが浮かび上がっている。

 音もなく湧き上がる煤の塊はかたちをつくり、

 彼女の体にしがみついていた。

 その影は、獣――獏(ばく)のかたちをしていた。

 

「私の夢って――」

 

 独り言をつぶやく彼女の背後。

 先ほど2人目の夢を食って腹を満たしたその獏は、

 すでに次の獲物を求めていた。

 明日はきっと多くの夢を食えることだろう。

 

「まあいっか。そんな事」

 

 憑かれた栗原もまた獲物のひとりであり、

 その後、死ぬまでの間、夢や目標を抱くことはなかった――

 

―――――――――――――――――――――――――――――
<完>