ShortStory.474 脅威 | 小説のへや(※新世界航海中)

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 1話完結の短編小説を書いています。ぜひご一読ください!
  コメントいただけると嬉しいです。無断転載はご遠慮ください。

 

 脅威。それは、もうすぐ傍に。

 

↓以下本文

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 20XX年12月7日

 街を大地震が襲った――

 

 

 

 

 

 

 地震と同時に巻き起こった悲鳴は、まだ続いていた。

 ほとんどの建物が、倒壊しているか傾いているかのどちらかだった。

 道には割れたガラスや看板の破片が散乱し、車は大渋滞。

 クラクションを鳴らされようにも、前の車が進めない事は一目瞭然だった。

 通りを駆けていく者、狼狽えてその場から動けない者がいる。

 怪我人がそこかしこにいるのだが、しばらくしても救急車の音は

 聞こえてこなかった。街の上空には、幾筋もの煙が立ち上っていた。

 土埃、焼けるような臭い。寒さに感覚が鈍っている鼻でも

 容易に認識できる臭いだった。混乱に陥った街が再び揺れた。

 

 風間実(かざまみのる)は街を歩いていた。

 その手にスマートフォンを持ち、眺めながら――いわゆる歩きスマホという

 やつである――出張先から会社へと戻るための帰路についていた。

 先ほどの地震や街の現状を知っているのかいないのか、

 無表情のままスマホを眺め、歩いていく。器用にその画面を

 指先で叩いたり滑らせたりして操作しながら、悲鳴のおさまらない街の

 中を同じペースで進んでいく。スマホで会話をしているのか、

 ゲームをしているのかはわからない。しかし、その操作に夢中になり、

 周囲が見えていない事だけは確かだった。

 

 風間が歩いていると、がれきの中、誰かが叫んでいた。

 家族が建物のがれきの下に埋まってしまったらしい。

 そこには半身だけを覗かせ、弱々しい息をしている子どもが見えた。

 コンクリートの塊をどかすのに母親だけの力では足りない。

 彼女は周囲に一緒に手伝ってくださいと叫んでいるが、

 周りの人間たちもまた混乱し、怪我をし、その声に応えられる

 状況にないようだった。そんな母親の傍を、風間が歩いていく。

 もちろん、その目はスマホの画面だけに向けられ、その耳もまた

 他の声を拾うつもりはないようだった。

 

 助けの声を、無視をしているつもりはないようだった。

 気が付かないだけといった方が正しいだろう。しかし、本人には

 スマホに集中しているつもりも、没頭している自覚もなかった。

 それは極めて日常的で、自然な状態だった。何かを使っている。

 その認識さえ曖昧だった。なぜなら、そこにスマホがあれば、

 電源をつけ、操作する。彼にとってそれが当然の状態なのである。

 文字通り体の一部に他ならない。切っても切り離せない。

 そんな関係だった。そして、それは災害時にも変わらなかった。

 母親の叫ぶ前を、数人が通り過ぎる。悲痛な叫びも聞こえない。

 彼ら彼女らもまた、その手にスマホを持ち眺めていた。

 

 大地震によって崩れ果てた街の中、見る間に火の手が

 広がってきた。道路は人や車で埋め尽くされ、消防車も救急車も

 来ることはできない。家事の広がるこの街から逃げ出そうにも、

 車ではもう方法が無かった。煙の中、風間は狭くなった道を

 向かいから歩いてくる人とぶつかりながら進んでいた。

 肩がぶつかり、よろめきながらも、その目はスマホから離さない。

 いや、意思のないその行動は“離れない”と表現したほうが

 いいだろう。傾いた建物が燃え、煙を上げる中、彼はそのまま

 道を進んでいく。頭の上から灰や火の粉を浴びてもなお

 気にする様子は微塵もなかった。おそらく気づいていないのだろう。

 

 気づけば彼の後ろには列ができていた。皆同じようにその手に

 スマホをもっている。前に進んでいるのだが、皆前を向いていない。

 理由は簡単。手元にスマホがあるからだ。列を歩く誰もが無言で

 無表情だった。元気に動いているのは画面上の指先だけである。

 ふと、地面がみしりと軋んで、再び大きな揺れが起こった。

 ずんと突き上げられるような衝撃に、街中から悲鳴が巻き起こった。

 がれきの崩れる音の後、どこかで複数の建物が新たに倒壊する

 様子が見えた。もはや、街は街の姿を残していなかった。

 炎や煙を吐くだけの廃墟となったその街を、風間たちは進んでいく。

 

 頭上の建物がぐらりと傾き、大きな看板が落ちてきた。

 自動販売機の倍ほどの大きさもあるその看板に、風間の後ろを

 歩く別の男性が押しつぶされた。けたたましい音とともに

 破片が飛び散った。煙が揺らめいた後に見えたのは、

 看板の塊の下から伸びた男性の手だった。その手にはしっかりと

 スマホが握られていた。風間はもちろん、その男性の後ろを

 歩いていた女性も、その出来事に気付いているのかいないのか

 声ひとつ上げなかった。ただ、自分の進む先に障害物が

 生じたことには気づいているらしく、自然な動きで落ちてきた

 看板などを避けて、道を進んでいくのだった。

 

 その後も風間たちの行列は、途中で何人かを失い、

 また途中で何人もが合流しながら進んでいた。

 会社という目的地も忘れ、風間は無心でスマホを操作している。

 彼の後ろを歩く女性もまたそうだった。その後ろの子どもも

 そうである。子どもはズボンの裾が飛んできた火の粉で

 燃え始めても全く気付く様子はなかった。彼の後ろを歩く

 学生も全く気付いていない。見る間にその火はズボンを燃やし、

 子どもの下半身は炎に包まれた。しかし、彼はまだ

 スマホの画面を見たまま歩いていて、ついには火だるまに

 なってしまった。熱さを感じているのかいないのか、

 火だるまから伸びた手はスマホの操作を続けている。

 やがて彼は道の端に倒れそのまま焦げていった。

 焦げた手の先にスマホが握られていた。

 

 風向きが変わった。しかし、そのことに気づく者は

 列の中には一人としていなかった。皆、スマホ画面から

 目を離さぬまま、道なき道を進んでいく。行く先には

 街が途切れ海岸が見えてきた。しばらく前から鳴っている

 警報もまた聞こえてはいなかった。周囲の人間は皆

 避難しているというのに、彼らは全く気が付かない。

 いつものようにスマホの画面を見つめ、指で操作し続ける。

 中には動画を見ている者も何人かいたが、表情はなかった。

 もはや楽しい楽しくないではなく、そこにスマホがあるから

 見ているのだ。内容が目に入れど、頭には入っていなかった。

 

 地面が、海岸の砂地に変わったことに気づく者はいなかった。

 先頭を歩く風間はじゃりじゃりと靴底に砂を踏みながら

 前へと進んでいく。その服装は、焼け崩れた街を歩いてきた

 からか、ところどころ焦げ、ちぎれ、ぼろぼろになっていた。

 後ろに続く者たちも同じである。さながら亡霊のように

 ただただスマホを操作しながら歩いている。列の中には、

 ここまでやったら終わりにしよう、ここまでやったら避難しよう、

 そのように考えていた者もいた。しかし、今となっては

 身も心も手元にあるその媒体に支配され、正常な思考も感覚も

 働かなくなっていた。そのことに危機感など覚えてはいない。

 危機感を覚えるためには、正常な思考と感覚が必要だからである。

 

 鈍色の空の下、海岸を風間たちの列が進む。

 彼らの前に、やがて大きな影が押し迫ってきた。

 音もなく進んできたわけではない。

 いきなり見えるようになったわけではない。

 予兆が無かったわけではない。それにもかかわらず、

 風間たちは何にも気が付かなかったのである。

 

 次の瞬間、彼らは地震によって生じた大きな波に飲み込まれていった。

 

 最後まで、スマホの画面を覗き込んだまま――

 

―――――――――――――――――――――――――――――
<完>