ShortStory.476 本物の皿 | 小説のへや(※新世界航海中)

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 1話完結の短編小説を書いています。ぜひご一読ください!
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 皆様 今年もありがとうございました!

  ブログを読んでくださった方、コメントしてくださった方に感謝いたします。

  どこまで続くかはわかりませんが、来年もじわじわと更新していく予定ですw

  もしよかったら、よろしくお願いします。それでは、よいお年を! ハルト

 

↓以下本文

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 こんなものは偽物だ。

 

 焼き釜の横の小屋に皿を投げ入れると、思った通りの音がした。

 何の感情も湧いてこない。いや、割る前には負の感情があったのだろうが

 それにさえも苦しさを覚えないほど、私の耳や心は麻痺していた。

 気づけば後ろに幼い息子がいて、顔を強張らせていた。

 その様子を見て、陶器の皿が割れる時の音が耳に蘇った。

 それは大きく、決して心地のよい音ではなかった――

 

 

 

本物

 

 

 

 思い通りの作品がつくれなくなってから、もうひと月になる。

 こうやって考えると、どうしても前回の個展の話を

 思い出さなければならない。だから、考えないようにしていた。

 満足のいく皿が焼けず、個展は中止になった。中止にした。

 ビルのオーナーに頭を下げに行った。そこそこ名前の売れ始めた

 私の作品の展示会には、市長まで来る予定だったらしい。

 二度と声は掛けない。そうオーナーに言われた。

 

 好機を逃した。そのことよりも、うまく皿が焼けなくなったことの

 方が私を苦しめた。今までにも似たようなことは何度もあったが、

 だいたい数十枚焼けば、気に入る作品の一枚くらいはできる

 ものである。それが、焼けども焼けども一向に満足のいく

 作品に仕上がらなくなったのだ。きっかけはわからない。

 わからないと思い続けてきた。山あり谷ありの、今は谷にいるのだ。

 偶然の連続による不調だ。そう自分に言い聞かせた。

 

 好きで始めた陶芸。皿作りに没頭したのは三十歳を過ぎてからだった。

 最初は会社に努めながら、休日に焼き釜を借りて作っていた。

 その持ち主に皿の出来を褒められたのがきっかけだった。

 何か仕事をして褒められることなど無かった私は、年甲斐もなく

 喜んでしまった。人生の波は気まぐれで、好機は続けて訪れた。

 出展した作品が金賞を取ったのである。まるで無名の会社員が

 一等賞をとった。久方ぶりの興奮に胸が高鳴った。

 

 会社員を辞めて、ラーメン屋を始めるという話を聞いたことがある。

 そんな事はうまくいかないだろうと、一笑に付していた私が、

 会社員を辞めて、陶芸家になろうとしていた。

 馬鹿げた話だ。妻子持ちの男が考えてはいけないことだ。

 自分がせっせとかたちをつくり、焼いた作品が評価される。

 この魅力と天秤にかけても、家族の方が重い。勝っている。

 私もそこまで浅はかな人間ではない。皿作りは趣味で十分。

 自分にそう言い聞かせている。そんな時に限って、好機は途切れない。

 

 仕事の合間に取り組んでいた陶芸。もちろん、出来た作品を

 紹介して販売する時間も私には無かった。本業の会社勤めには、

 もちろん休日出勤や残業もある。そう考えたときに、私は

 インターネットを使って自分の焼いた皿の紹介や販売をすることを

 思いつき、始めた。その頃は同じようなサイトも多くはなく、

 閲覧者は瞬く間に増加し、作品も売れていった。

 焼き物市に出て来られない年配の方、日本文化に傾倒する

 海外の人間にはとりわけ評判だった。

 

 息子を隣に座らせた妻に向かって、私は頭を下げた。

 その頃には、申請もしていない副業で得た収入が家計を十分に

 支え得るものになっていた。会社を辞め、陶芸を本職にしたいと

 口にした私に、妻は首を振った。当たり前である。

 夫が陶芸家になりたいというのだ。仕事を続け、陶芸は趣味でやれ

 と考えるのが普通だろう。私の妻は常識のある人間である。

 私が逆の立場だったらそう言っていたに違いない。

 しかし、今は、立場は逆ではない。常識の枠を外れようとしている

 父親を見て、幼い息子が泣き始めた。

 

 結局、私は無理を通して陶芸を本職とすることにした。

 十分な収入を得られていたこともあって、生活に苦しむことは

 なかったが、妻には随分呆れられた。諦められたと言った方が

 いいのかもしれない。何も知らない息子だけは、一緒に過ごす時間の

 増えた私や、その仕事に興味津々といった様子だった。

 当時は、皿を割るのはもっぱら息子の仕事だった。

 それでも怪我ひとつしなかったのは、やはり皿を割る才能が

 あったからなのだろう。私がそう言って笑うと、

 万が一があったらどうするの、と妻に怒られてしまった。

 

 思えばあの頃、作品づくりは順調だった。

 何より楽しく、集中し、それが作品に伝わっているように感じた。

 出品すれば売れたし、会社を辞めたことを後悔することもなかった。

 いつまでもこの状態のまま、うまくいくことはない。そうわかっていた。

 今ではそう思うが、あの時はどうだろうか。調子に乗って、

 油断し、楽観的になっていたのではないだろうか。

 スランプなどあるわけがない、と軽く考えていたのかもしれない。

 しかし、今ではどうだ。作る物作る物に不満しか覚えない。

 自己中心的な気持ちだと自分を責めることも出来る。

 しかし、それをすれば次に容赦なく襲ってくるのは“焦り”だろう。

 このままでは終わりだ。一刻も早く、本物の皿を作らなくてはならない。

 

 前よりも考えることが多くなった。

 無心で焼いているときの気持ちを忘れてしまった。

 焼いた皿を割るようになったのは、いつからだろうか。

 以前なら気に入らない皿があっても、隅に重ねておくだけの

 心の余裕があったが、今は違う。思い通りにならないものを、

 自分が生み出した不満を、ずっと目に見える場所に

 置いておきたくはない。その皿がうずたかく積まれていく様子を

 想像したくない。情けない有り様だ。小屋の中には、私の心境を

 うつしたように、皿の残骸が積み重なっているのだから。

 

 妻にも子にも、こんな姿を見られるわけにはいかない。

 そう思ってはいたが、聡い彼女のことだ。もうとっくに気づかれて

 いるに違いない。せめて息子には現状を悟られまい。

 

 ――そう思っていた矢先にこれだ。彼の表情からして、

 私が皿を割ったところも、小屋の奥にその破片が

 積み重なっているところも見てしまったに違いない。

 ものを大切にしなさい、とはよく言い聞かせたものだ。

 その親が皿を躊躇いなく割り捨てていたのだから、

 彼の心を傷つけてしまったかもしれない。息子は何も言わず、

 そのまま家の方へと走り去っていった。小さな腕に何かを抱えたまま。

 

「コウイチにとっては全部本物なのよ」

 

 その日の夜、彼との出来事を妻に話すと、彼女はそう言った。

 

「小屋の隅に置いてある皿をくすねてきて、幼稚園の友達と

 遊ぶときに使ってるの。ままごとやるときとか、かけっこで一番になった

 ときの優勝カップだとか。優勝カップが和物の陶器だなんて笑えるけどね。

 まわりの子も喜ぶんだって。勝手に持ってきてるのは知っていたんだけど、

 小屋の横に置いてあるのはそういうものだって、私も知っていたから

 何も言わなかったの。どうせ放っておいても、割られるだけなんだもの。

 正直、他の子にあげちゃってるものもあるかもしれないわね」

 

 あんな出来の悪いまがい物を、と私は苦々しい表情をした。

 どうせなら、よくできたものを使ってほしいと思ってしまう。

 

「偽物だ本物だっていうけど、その人にとって本物ならそれでいいじゃない。

 そもそも、あの子たちにとって、偽物も本物も関係ないわよ。

 実際に手元にあるもの。それが本物」

 

 その理屈で言うと、偽ブランド物のバッグでさえ、

 いいということになってしまう。そんな風に言うと、彼女は「確かに」と

 吹き出した。「それは本物の偽物でしょう」 そう言われては、

 頷くしかない。コーヒーを一口飲んで、ゆっくりと息を吐いた。

 

「少なくとも、同じ人が作っている物なら本物と言ってもいいでしょう?

 まあ、そもそも、あなたが本物の陶芸家なのかはわからないけどね」

 

 根も葉もないことを言われてしまった。

 自称陶芸家のつくるものに偽物なんてないのかもしれない。

 結局、自分が気に入ったものを本物と自称しているだけなのだから。

 

「考えすぎてもいい事ないから、夕飯にしましょう。

 ――コウイチ、ごはんにするよ」

 

 恐る恐る出た来た息子に、昼間は驚かせてごめんなと

 伝えると、あれは「皿が悪かったのか」などと真面目な顔で聞いてくる。

 無論、あれは「私が悪かった」のだと伝えた。ものを大切に、日頃から

 そう教えているのだから。物に当たるのはよくないよな。そんな風に

 言うと、彼はふーんと言いながら椅子へと座った。彼なりに

 納得したのだろうか。その顔がわずかに明るくなって、私は安堵した。

 大事な子どもの心を傷つけるわけにはいかない。

 

 食欲をそそるようなこの匂いもまた、気分を明るくしてくれるようだった。

 しかし、彼女の持ってきた皿を見て、私はぎょっとした。

 

 その大皿は、私がつくった物だったからだ。最近作ったものならば、

 小屋の横に重ねて置いたものかもしれない。割られる前に、

 息子に持ち出されたのだろう。

 ただ、料理の盛られたその皿を見て、不思議と嫌悪感は

 覚えなかった。自分がつくった物が、実際に使われている。

 それだけで悪い気はしないものだ。久しぶりの感覚だった。

 

 そうだ。あの頃は考えもしなかった。

 自分の作ったものが、本物かどうかなんて。

 飾られても、料理を盛られてもよかった。

 作るのが好きだったし、喜んでもらえるのが嬉しかった。

 商売だけが目当てになって、偽物になったのは

 皿でもなんでもなく、私の心の方だったのだ。

 

「わあ、カレーだ。いただきます!」

 

 無邪気に喜ぶ息子を見て、私もつられて笑ってしまった。

 彼がスプーンでカレーをすくう時、その先が皿の底に当たって

 かちゃんと乱暴な音が響いた。心地の良い音だった。

 妻がこちらを見て苦笑する。

 

 そのどれもが大切な本物だった――

 

―――――――――――――――――――――――――――――
<完>