ShortStory.478 王様の耳は誰の耳 | 小説のへや(※新世界航海中)

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 1話完結の短編小説を書いています。ぜひご一読ください!
  コメントいただけると嬉しいです。無断転載はご遠慮ください。

 

 昔話で「井戸」が出てきたとして、将来「“いど”って何?」という

 世代が出てくる可能性がありますね。「地面に空いた穴」なら

 誰にでもわかるから、そう書き換えればいいか…何か切ないw

 

↓以下本文

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「お呼びでしょうか、王様」

 

 宮殿に呼ばれたのは高名な医者の男。

 大きな部屋に王の声が響いた。

 

「そんなに大きな声を出さずとも、ちゃんと聞こえている」

 

 その言葉に、膝をつき頭を下げていた男は顔を上げた。

 階段の上にある玉座で、彼は嬉しそうに笑っている。

 

「よくなったのだ、耳が」

 

 よく聞き取れなかったようだが、口の動きで言葉を察し、

 医者の男も微笑んだ。自分の仕事がうまくいった。

 その喜びと興奮に、今にも踊りだしそうだった。

 王はそんな彼の姿を見ながら、ゆっくりと頷いてみせた。

 

「お前には感謝する。噂に違わぬ名医よ」

「もったいないお言葉です」

 

 彼の謙虚な様子に、王もすっかり気をよくしているようだった。

 何しろ、加齢による難聴に苦しんでいた王にとって、

 耳の状態が良くなったことは非常に嬉しいことだったのである。

 彼は手を上げ家臣を呼びながら、医者の男に言った。

 

「お前に褒美をとらせよう――」

 

 

 

 

 

 

 

 

「最近は足も悪くなってな。城下の様子も自分で見に行けないのだ」

 

 老齢の王は、顎にたくわえた立派な髭を撫でながら言った。

 全身には己の権威を象徴するような金の装飾が光っている。

 顔も体もその貴金属や布でほとんど見えないのだが、

 治療のため耳を見た医者の男には、年相応に皴を重ねた

 王の顔も思い出された。布に隠されていない顔の下半分、

 口の動きで、彼が何を言っているのかを器用に読み取る。

 

「それでは王。その御脚を私に治療させてはいただけませんか」

「おお、お前はこの脚も良くすることができるのか。

 素晴らしい男よ。今すぐにでも診てもらいたい。私からも頼もう」

 

 耳が良くなったこともあって、王は医者の男を信頼しているようだった。

 玉座の王の隣で、家臣が彼に階段を上がるように伝える。

 大理石の階段を上がると、医者の男は差し出された王の両脚の

 診察を始めた。筋肉が減り、痩せた脚は、骨も弱っているようだった。

 何不自由なく暮らしている王族の人間だ。病気ではない。

 医者の手で治すことのできる状態ではなかった。

 彼はしばらくして片膝をついたまま、王の顔を見上げた。

 

「大丈夫です。私なら治すことができます」

「なんと心強い。では、治療はお前に任せたぞ」

 

 治療のために必要な道具や薬、その調達に必要な資金のすべてを

 王家が負担するという申し出を受け、医者の彼は頷いた。

 しかし、実際にはそうした資金を受け取ることはなく、

 彼の力だけで王は歩けるようになってしまったのである。

 

 数日後、王は玉座の周囲を上機嫌に歩いていた。

 階段の下にかしづく医者の男は、傍らに松葉杖を置きながら

 その様子をうかがった。王は明日には城下町の視察に

 自ら赴くという。脚だけでなく、目や腕などほかの箇所もまた

 医者の男によって状態が改善していた。

 

「お前には感謝してもしきれぬ。この一年で、調子の悪くなっていた

 体のいたるところが良くなったのだ。今まで腕の立つと言われた

 医師でも治せなかったものを、お前はいとも簡単に治療してきた。

 まるで生まれ変わったかのようだ。お前は真の名医である。

 欲しいものを申してみよ。何でも与えよう」

 

 医者の男は微笑むと、思案したのち、物ではなく、

 自身の土地の内、古びた家屋や井戸などが残り、

 荒れた場所になっている場所を平地にならし、畑に使えるような

 更地にしてほしいと頼んだ。欲深さの全く見えないその答えに、

 王はさらに満足そうな顔をし、その願いを聞き入れることにした。

 

 その夜、医者の男は自分の土地のはずれにある

 古びた井戸のところに来ていた。周囲に家屋はなく、

 短い枯草だけが風に音を立てている。男は松葉杖をつき

 足を引きずるようにして井戸に近づくと、かすむ目で

 その縁を確認した。手をかけて、膝をつけば、

 井戸の中を覗き込むような体勢になった。

 軋む肩の骨が痛く、思わず目を細めたが、この後に起こることを

 想像し、口の端には笑みを浮かべている。

 

 ほとんど聞こえなくなってしまった自分の耳に、

 夜の鳥の声をかすかに聞きながら、医者の男は

 井戸の底へと声をかけた。何もない空洞に、

 くぐもった低い声が反響し、うねるように沈んでいく。

 

「王様の頭は、私の頭。王様の頭は、私の頭」

 

 仕事のうまくいっていなかった彼は、

 町酒場の妙な噂を聞きつけて、この井戸を見つけた。

 最初は単なる噂だと思っていた。

 噂を確かめるため、彼は酔いの回った頭で考え井戸の底へと声をかけた。

 

「オークスの前歯は、私の前歯――」

 

 次の日、平静を装って酒場を訪れた男は驚愕した。

 寝ている間に引っ込んだ自分の前歯の代わりに、

 酒場の店主の前歯が見事に突き出していたのだ。

 思わず彼の前歯を凝視していると、店主は困り顔で

 昨日寝ている間にこうなってしまったのだという。

 医者の男は踊りだしたいほど興奮している気持ちや

 自らの口元を隠し、酒場を跳びだした。

 

 井戸の噂は本当だったのである。

 井戸の底に語り掛けるだけで、自分の体の一部を、

 他の人間と交換できるのだ。

 

 魔法の井戸か、悪魔のいたずらかはわからない。

 しかし、噂は実際に確かめられた。

 次の瞬間、医者の男は、翌日に頼まれていた

 王の耳の治療を思い出した。高貴な身分の人間だ。

 加齢による聴力の低下だろう。そうなれば、自分の腕で

 治すことはできない。そう思って憂鬱だった仕事である。

 それが、井戸の力を使えば治すことができる。

 

 それだけではない。

 王の体を徐々に自分の体を置き換え、

 最後は頭を挿げ替えてしまう。そうすれば、自分が王に

 成り代わることができると考えたのだ。

 体そのものを入れ替える試みはうまくいかなかったが、

 体の一部を順番に替えていけばよいだけの話である。

 男の計画は見事に成功した。

 耳、目、肩、心臓、鼻、脚……

 王の弱った体が、それぞれ健康な自分の体に

 置き換わっていく。そして、明日には――

 

 

 

 

 彼が目を覚ますと、そこは寂れた小屋だった。

 

「なんだ……」

 

 迫るような天井の位置、その低さに驚くと同時に、

 体のだるさや痛みに思わず顔をしかめた。

 ここ最近は、体のどこの調子も良かったというのに、

 その夢が覚めたかのように、今は元通りなのである。

 かすんだ目を凝らしてよく見ると、

 自分がいつもの場所にいないことがわかった。

 これは夢なのか。状況の把握ができない中、

 横の窓から、日の光と、弱った耳でもわかるほどの轟音が聞こえてきた。

 

「これは……」

 

 窓の外を見れば、王室の家来たちが地面を耕していた。

 近くにあるぼろぼろの小屋を取り壊し、その横にある古びた井戸も

 力任せに崩していた。畑にできるように平地にならす。

 医者の男の言葉が頭によみがえってきた。

 

「どういうことだ……」

 

 しかし、もう彼になす術はなかった。

 

 今や、王であった彼が医者の男なのであり、

 昨日まで医者の男であった彼が、今は王になっているのだから――

 

―――――――――――――――――――――――――――――

<完>