ShortStory.485 100日後に死ぬ少女 | 小説のへや(※新世界航海中)

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 1話完結の短編小説を書いています。ぜひご一読ください!
  コメントいただけると嬉しいです。無断転載はご遠慮ください。

 

 とらえようとする人の、なんと多いことか。

 とらえどころのない生を、死を。まだ見ぬ未来を。誰も知らぬ真実を。

 

↓以下本文

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「あなた、知りたがっていたでしょう?結末」

 

 部屋はしんと静まり返っていた。

 レースのカーテンがそよ風で揺れている。

 昼間の空は、青く晴れていた。

 その暖かさが部屋まで届くようだった。

 

 私は、スマホを自分から少し離してみた。

 どこから見ているのかはわからない。

 上から見えるようにしてみたが、もしかしたら

 隣にいるかもしれない。そんなことを考え、苦笑した。

 

「ねえ。見えてる?」

 

 まだ結末はわからないが、一緒に見ていたら

 どんな気持ちになっていただろうか。

 今となっては、確かめようのない感情だった。

 置かれた写真の中。彼女は笑っている。

 

 ふと、桜のことを思い出した。

 そうだ。お花見に行きたいと、手帳にそう書いてあった。

 あの寒い冬の日。まだ枝の芽も眠る季節に、

 どんな気持ちで書いたのだろうか。

 

 しかし、病室で彼女の笑顔を見ていると、

 不思議な気持ちになった。心のどこかでは、

 いつも通りの明日を迎えられそうな気がした。

 終わりを知っていてもなお、その先はあるのだと、きっと――

 

 

 

 

100日後少女

 

 

 

 

 もって半年。

 そう聞いた瞬間の気持ちは、覚えていない。

 

 多分、思い出そうとしても思い出せないだろう。

 聞く前に覚悟はしていた。何となく予想していた。

 どんな答えでも戸惑うまいと、できる限りの悪い想像を

 働かせて身構えていた。それが、私のできる限りだった。

 

 母は私を抱いて泣いた。父は傍に立ち尽くしていた。

 それが私の、その時の記憶のすべてだった。

 自分のことは覚えていない。泣いていたような気もするし、

 笑っていたような気もする。正直よく覚えていない。

 

 そのあとの記憶が少し蘇ってくる。

 訊かなければよかった、そう思った。少し後悔した。

 事実を伏せたままにしようとしていた両親に、

 私はしつこく食い下がったのだ。でも、私はそれでも知りたかった。

 

 全部聞きたかった。結果、父や母を傷つけることになったとしても、

 私自身のことを、可能な限りすべて知りたかった。

 なんでそんな風に躍起になったのか、今ではよくわかる。

 物事をうやむやにしたくない性分の私を、余命の事実が押したのだ。

 

 もって半年。6か月の私の命。

 ずいぶん前から、病院で寝たきりだった私は、

 それからの生活の変化のなさに驚いてしまった。

 食事も普段通り出される。味気無さにも慣れ、不満はなかった。

 

 ふと、苺のケーキが食べたい。母にそう言うと、

 今までは禁止されていた、クリームたっぷりのケーキが

 翌日には食べられた。見たことのない大きな苺。

 溶けるような甘さ。久しぶりに感じた幸せだった。

 

 ふと、海外に行ってみたい。父にそう言うと、

 翌週にはフランスに連れて行ってくれた。旅行日数に

 制限があって、何かと忙しい旅だったが、家族三人で

 初めていった海外旅行に、久しぶりの緊張と興奮を味わった。

 

 戻ってきた病院の一室で、私は笑ってしまった。

 真っ白ないつもの個室。いつものベッドに横になると、

 まるで家に帰ってきたかのような安心感があった。

 帰るべき場所は、頭ではなく体が覚えているらしい。

 

 やりたいことだらけだと思っていた私だったが、

 気づけばふと、もういいかな、などと力が抜けてしまうこともあった。

 少ない友人がわざわざ病室を訪れたりしてくれると、

 それだけで言いようもなく満ち足りた気持ちになるのだ。

 

 窓の外をぼうっと眺めている日もあった。

 テレビを眺めてくすりと笑う時もあった。私の体は、

 よほどマイペースなのか、近づく最期にも無頓着らしい。

 それでも、痛みの頻度が落ち着いてきているのは嬉しかった。

 

 あるとき、ニュースで“ワニ”の話を知った。

 その作品のタイトルに、思わず吹き出してしまった。

 文言をもじってワニの部分を“私”に変えてみようかと思ったが、

 結局誰にも言えずにいる。命がけのギャグなのに、残念だ。

 

 100日後か。こんなタイミングで見るなんて、

 どうしようもないなと思った。単なる好奇心で見たかったが、

 初めて漫画を見るとき、無性にドキドキしてしまった。

 どうやらこの可愛らしい生き物は、自分の運命を知らないらしい。

 

 死まであと何日。そんな表現も話題の原因らしかった。

 ニュースで取り上げられているのを見て、ふと

 父母のことが心配になった。きっと、こんなものを見たら、

 胸を痛めずにはいられないだろう。他人事のようにそう思った。

 

 あと半月でワニが。そんなニュースを見ていた時に、

 母がやってきてしまった。私一人の個室だ。病室に入るなり、

 テレビ画面は見えてしまっただろう。沈黙が生まれる前に、

 私は「これ知ってる?」と、お粗末な笑顔を浮かべて先手を打った。

 

 はっきりとは訊かなかったが、きっと、その前に知っていただろう。

 でも、私たちはもうすでに気づいていた。死に関わる話題は

 避けられない。世間は、命に関する話題に溢れている。

 出来事のすべてが、生活のすべてが、人の命とつながっている。

 

 だから、避けようとしても、土台無理な話だったのだ。

 私もこの漫画の主人公のように、自分の死を悟っていなかったら、

 いつも通りの日常を生きていたのかな。ふと、そんな風に考えたことも

 あったが、もちろん口にしなかった。そもそも、私は健康ではない。

 

 知らなかったら、なんて仮定にも意味はない。

 余命の真実も、私が無理やり暴いたものなのだから。

 結局漫画の話題は、この時だけだった。それ以降、

 父にも母にも、そして友人たちにもこの話をしたことはない。

 

 あと5日の命らしいワニ。相変わらずのんきな主人公だなあ。

 そんなことを思いつつ、途中からとはいえ、結局私は毎日

 漫画をチェックしていた。作者も、余命数か月の少女が

 律儀に漫画の続きを気にしているとは思うまい。

 

 不気味な笑みを浮かべながら、私はサイドボードの手帳を取った。

 開いてペンを走らせる。やりたいことリスト。そう名付けるのは

 恥ずかしいが、やってみたいことを落書きしているページがあった。

 ワニの最期を見届ける。でも、とんでもないオチだったらなんか嫌だ。

 

 最期。そんな言葉を書いて、ふと気づいた。

 今のうちに、何か書いておこうか。両親に、友人に。

 この先、自分がどんなことになっているかわからない。

 この先、自分がどんな気持ちになっているかわからない。

 

 そうであれば、この気持ち、今のうちに書き残しておいた方が

 いいかもしれない。私は手帳のページをぱらぱらとめくりつつ、

 心静かにそう決心し、ため息をついた。そして、笑った。

 どうにも自分には似合わない。でも、そうした方がいいのだ、きっと。

 

 行く先も、正解もわからない。思ったことをするだけだ。

 今は生きている。いずれは死ぬ。なあんだ、あのワニと同じか。

 いや、違う違う。そう考えているうちに、消灯の時間になってしまった。

 今日は夜更かしする気分ではない。

 

 急いでもしょうがない。

 無理をしてもしょうがない。

 

 もう寝よう。この続きは、また明日でいいのだから――

 

―――――――――――――――――――――――――――――

<完>