ShortStory.486 自宅待機(上) | 小説のへや(※新世界航海中)

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 1話完結の短編小説を書いています。ぜひご一読ください!
  コメントいただけると嬉しいです。無断転載はご遠慮ください。

 

 この小説は、実際の何かとは全く関係ありません。

 というのはいつものことです。そして、これからも同じです。

 (今回は上下編、2話完結です。こちらは(上)です)

 

↓以下本文

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 こんな風になるなんて、思わなかった――

 

 

 

 

 

 

 

 

 平日の昼。リビングには家族全員が揃っていた。

 夫の康之。息子の良一。義母のミチ代。そして、私の4人。

 半年前まではそんなことめったになかったのに、

 今では半ば常態化してしまっている。

 

 会話はほとんどない。テレビを消せば、この部屋は

 静寂に包まれるだろう。それが怖くて、最近は常にテレビを

 つけたままにしていた。人がいるのに人の声がしない。

 そんな状況をつくりたくはなかった。

 

 放送されているのはバラエティ番組だった。

 あまりニュースは見たくない。いつも同じような内容ばかりで

 気が滅入ってしまう。とはいえ、状況がここまで長引いているのである。

 同じような報道内容でも、本来は悲観すべきなのだ。

 

 行く末を楽観視していたあの頃が懐かしい。

 まだ先のことを考えていられたのだから。明日のことを、

 翌週のことを考える余裕があった。未来があるから今頑張れる。

 昔そんな曲があったが、今思い出すと笑ってしまう。

 

 コロネうつ。最近ではそんな症状があるらしい。

 この前、ニュースで詳しく解説していたが、反射的にチャンネルを

 変えてしまった。数えきれないほどの報道、次々と使われる

 カタカナの専門用語。正直言って、もう十分だった。

 

 ふと窓際の水槽に目を移すと、金魚が一匹、

 のんきに悠々と泳いでいた。昔、地域の祭りで息子が

 すくってきた金魚だ。今は私がえさをやっているのだが、

 世界の危機を知らず、落ち着いたものだ。見ているとホッとする。

 

 夫の経営する飲食店は、ずっと店を閉めたままだ。

 開けていても、客が来ないのだからしょうがない。

 店を維持する費用を考えれば、もう潰れたも同然だった。

 もちろん、彼の前ではそう言えない。

 

 自分の店をもつことが夢だった夫は、

 数年前にやっと元の店から独立し、小さいながらも

 都心に店をもつことができた。当時は、客が来るのか

 やっていけるのか心配で、私の方が先に参ってしまいそうだった。

 

 しかし、店の客は順調に増え、ようやく経営も安定し、

 それなりの評判を受け、収益をあげるようになっていった。

 数多くの飲食店が競争状態にある飲食業界で、ささやかながら

 居場所を確立し、成果をあげられたのは喜ばしいことだった。

 

 夫も生き生きとしていた。定休日以外は朝早くから夜遅くまで

 働いていたが、それでも表情は明るく、いつも笑っていた。

 本当に楽しいのだと、見ているこっちまで嬉しく思えた。

 それが一変、今では表情もなく、ずっとぼうっとしている。

 

 ウイルスの感染が広がるにつれ、客足は見る間に減少していった。

 それでもあの頃は、「しばらくはしょうがない」と、苦笑いを

 浮かべていられる余裕はあった。この状況がいつまで続くのだろうと、

 不安に感じながらも、先のことを考えていられた。

 

 今ではもう考えることもできない。考えること、

 すなわちそれは現実を見ること。状況は何ひとつ好転しない。

 店を失ったも同然。夫にとっては、心を失ったも同然だった。

 彼はこの半年で、随分と老けてしまった。

 

 息子の良一は、一年後に高校を卒業する。

 野球部では大会に出て活躍し、勉強も成績が良かった。

 本当に一日が24時間なのかわからないほど、

 毎日部活に熱心に取り組んでいたし、勉強していた。

 

 疲れているときもあったが、それでもいつも前向きだった。

 楽しそうだった。打ち込めるものがあることは、本当に

 素敵なことなのだと、彼を見て私も思い出し、少しうらやましく

 思ったほどだ。日々成長していくわが子が、いつも誇らしかった。

 

 部活動が中止になるまでは、土日も練習があった。

 夏休みも、ほとんど休みなく活動があった。それでも、大会で

 勝つためなのだと笑顔でよく話していた。活動中止になってからも

 しばらくは部員たちで集まって走り込みなどをしていたようだ。

 

 不要不急の外出を控えるように報道される中、

 活動を続けていて大丈夫かと心配した。親として止めるべきなのか

 とても迷った。しかし、結局、誰ひとりとして感染者は出なかったらしい。

 それはひとつの幸運だったが、今はそんな練習さえできない。

 

 免疫力を維持するためにも運動は有効だと、以前は言われて

 いたのだが、今では政府が自宅待機を命じている。

 事実上の外出禁止令だった。ネット上で手続きを行い、

 必要だと判断され、許可を得た場合にしか外出は認められない。

 

 防護服のようなものを着た警官が、始終付近を巡回している。

 この状況では間違って散歩に行く人もいないだろう。

 部活動どころか外で運動することさえ制限され、最初は室内で

 トレーニングしていた息子も、今ではそれすらしなくなっていた。

 

 坊主だった髪もすっかり長くなり、ひげも剃っていないようだ。

 小学生のころから続けてきた野球を、今までこれほどやらなかった

 期間があっただろうか。休みなく続けてきた野球が、今では

 まったくできなってしまった。極めつけは大会の延期・中止だろう。

 

 その報道がなされたとき、テレビの前で立ち尽くす彼に、

 私は声をかけることができなかった。どんな言葉をかければよいか

 わからなかった。彼がどれだけ野球に力を入れてきたか

 知っている。彼は何も言わずに、ただそこに立ち尽くしていた。

 

 今では運動も勉強もせず、ただその日を過ごすだけになっていた。

 学校からは定期的に課題が送られてくるのだが、それに

 取り組んでいるところは見たことがない。しかし、今の彼に向かって

 「勉強しなさい」とは言えなかった。

 

 ソファに座り、手元のスマホで何か見ているときもある。

 なんとかチューブとかいう動画サイトのようだ。

 以前まではそれを見て笑っていた時もあったが、今では何か

 見ていたとしても無表情のままだ。単なる時間潰しでしかないのだろう。

 

 別人と言ってもいいほどの変わりようだった。

 あの活発で前向きな性格はどこへ行ってしまったのか。

 野球の機会も、その先の目標も失った。誰が悪いわけではない。

 責める相手もいない。ただ、運が悪かったとするしかない。

 

 義母のミチ代は、元気で優しい人だった。

 顔が広く、たくさんの友人がいて、毎日どこかの家に伺ったり、

 どこかへ出かけたりしていた。高齢だったが壮健で、

 家のこともよく手伝ってくれた。中でも料理が得意だった。

 

 彼女は外出が禁止になって、とても寂しそうだった。

 私も話し相手になるのだが、そういう問題ではないらしい。

 話題に限界もある。食料も少し前から支給制になり、

 最低限の食事が自宅に運ばれてくるだけになった。

 

 出来合いの食事は、あまりおいしくないだけでなく、

 義母の料理の機会も奪った。鍋も包丁もずいぶん長く

 使っていない。今は私が電子レンジを使って、配給された

 食事を温めるだけである。無論、食卓は無言だ。

 

 ある日を境に、義母は唐突に歌い始めるようになった。

 最初のころは、懐かしい歌ですねなどと言いつつ

 私も付き合っていたのだが、徐々に様子の違いに

 気づき始めた。夜中に突然歌い始めるようになったのだ。

 

 眠い目を擦り、彼女の寝室に行くと、暗い室内で

 月明りを受け歌っている彼女の姿が見えた。

 もうすぐ朝だから。そんな風に言う彼女の表情は明るかった。

 近所迷惑になるからと、私は諭すように止めるのだが全くやめない。

 

 お義父さんも起きちゃいますから。私はそう言った。

 今でも自分がなぜとっさにそう口にしたのか思い出せないが、

 一瞬にして彼女は歌うのをやめた。目をむいてこちらを見ている。

 慌てて繕おうとする私に向かって、彼女はただ一言「そうね」と微笑んだ。

 

 布団に戻る彼女の背中を見ながら、私は言葉を失っていた。

 義父はすでに三年前に他界していた。

 その日を境に、義母はたまに突然歌い出すようになった。

 場所や時間、状況問わずだ。歌うのは、いつも同じ曲である。

 

 毎回私は驚いてしまうのだが、夫や息子はほとんど反応しない。

 聞こえているのかわからないほど、無反応である。

 夫さえ、彼女の行動について言及することはなかった。

 私も「最近お義母さんの様子が」と、彼に相談したかった。

 

 しかし、その彼自身もまた抜け殻のようになっているのだ。

 どうすればいいのかわからなかった。最初は携帯経由で

 友達に相談していたのだが、状況が変わることはなく、

 解決もしなかった。電話口の彼女もまた随分暗くなっていた。

 

 頑張りましょう。いつもそんな風に電話を切るのだが、

 一体何を頑張ればいいのかわからなかった。今できることは何か。

 落ち着いた行動。周囲への協力。節約。ただ、今を耐えるだけの待機。

 ウイルスに対する危機意識は、ずいぶん薄れてしまったように思う。

 

 危険だから気を付けよう。そんな風に思うには、ある程度の

 体力と気力が必要なのだ。制限された生活が続くことで、

 その力が削られてしまったように思う。口にはしないが、

 もうどうにでもなれと思ってしまう。今はただ、以前の家族に戻りたい――

 

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※(下)へ続きます!