ShortStory.492 Zの香り | 小説のへや(※新世界航海中)

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 1話完結の短編小説を書いています。ぜひご一読ください!
  コメントいただけると嬉しいです。無断転載はご遠慮ください。

 

 楽しい物語ができました。

 ぜひお子さんの読み聴かせに ―― 使わないでください(謝)

 

↓以下本文

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「いかがでしょうか、お客様」

 

 町の真ん中にできた香水店。

 その店は、いつも客でいっぱいだった。

 

「不思議な香り。でも、悪くないわ」

 

 道を歩けば、思わず目を引かれ、足を止めてしまう。

 老若男女問わず、誰もが振り向く魅力がそこにはあった。

 それが、店の見た目なのか、はたまた店から微かに感じる

 香りなのかはわからない。香水の値段が安いという

 ことかもしれないし、店員に人気があるのかもしれなかった。

 

 そんな不思議を明らかにしたくて、店に入った

 ミラディだったが、店員に勧められた香水は確かに

 気分が良くなる一品だったのである。

 店員は、上品な笑みを浮かべて彼女を見ていた。

 

「素敵です。お客様の雰囲気ともぴったり合っていらっしゃいますよ」

「『誰もが振り返る魅惑の香り』、ね……」

 

 香水瓶の札に書かれていた紹介文を口にすると、

 隣の店員が笑顔で頷いた。

 

「誰もが、でございます。この香りが嫌いな方はこの町にはございません」

「まあ、断言するのね。確かに私は好きだけれど」

 

 その香りは、店の前を通り過ぎるときにも微かに感じたものだった。

 やはり、店内から放たれるこの香りに誘われて、

 自分は店に入ってきたのかもしれない。彼女はそう思った。

 

 彼女は Z と名付けられたその香水を購入し、

 大勢の客で賑わっているその店を後にした――

 

 

 

 

Z

 

 

 

 

 彼女が店を訪れるのは、これで百回目だった。

 香水店にはさまざまな商品があったが、毎回買うのは

 最初に購入したものと同じシリーズの香水である。

 『誰もが振り返る魅惑の香り』 という説明は事実で、

 香水をつけて道を歩けば必ず周囲の視線を浴びた。

 まさに、文字通りの効果があった。

 振り返るその表情も、皆明るい笑顔だった。

 

「これをつけるだけで、周りが自然と私の方へ寄ってくるのよ」

「それは香水だけではなく、お客様の魅力があってこそでございます」

 

 微笑みながら店員がそう言った。

 彼女たちがいるのは広い店内の奥の方に位置する部屋。

 いわゆるVIPルームというものである。ここに通されるのは

 彼女を初め特別な客だけであった。

 

「それで、頼んだものは用意してくれたのかしら」

「はい。ただいまお持ちいたします」

 

 店員が部屋を出ていくと、ミラディはウェルカムドリンクを口にした。

 立派な赤いソファに深々と座り、足を組むその様子は、

 初めてこの店にやってきた彼女とはまったく別のものだった。

 

 それというのも、この店の例の香水を使うようになってから、

 まわりが思わず振り返るばかりか、目を奪われる者も多く、

 彼女に夢中になった友人や他の社員から始終言い寄られ、

 貢がれ、身辺の様子が一変したのである。生活も性格も変わり、

 ミラディは、今や女王同然の身の振り方をしていた。

 

「失礼いたします」

 

 店員が持ってきたのは小さな香水瓶だった。

 細かな装飾が施されたガラス製の瓶は、シャンデリアの光を

 反射してきらきらと輝いている。中に透明な液体が入って

 いるのが見え、彼女は思わず息を飲んだ。

 

 『誰もが振り返る香水』 それを数百倍に濃縮したものが

 その瓶の中に入っている。香水の魅力にとりつかれたのは、

 彼女の周囲の者たちだけではない。ミラディ自身もその一人であった。

 店で購入した香水を使うたびに効果を実感し、彼女は次第に

 もっと香りの強いものが欲しいと思うようになっていったのである。

 

 ある日、店員に相談すると、特別なものがあると伝えられた。

 それは香りの濃さが倍もあるという代物。しかも、その値段は

 単純に倍ではなく、数十倍というものだった。

 無論店内には置いていない、常連にだけ購入が許された

 香水である。以前ならば躊躇ってしまうようなその値段も、

 その時すでに多くの者から貢物を手にしていた彼女にとっては、

 障害になりえなかった。彼女は紹介されたその日に、その香水を

 購入し、使用した。そして、その魅力を存分に体感したのであった。

 

 そのようなことを繰り返し、彼女は今日に至った。

 

「まるで、いけない薬でも使っているみたい」

 

 店員は彼女のはす向かいに立ち、膝に手を重ねていた。

 その手には手袋、顔にはマスクがつけられ、その香水が

 特別であることを示しているようだった。

 香りの成分を数百倍に濃縮したもの。

 その値段も数百倍であり、もはや家を一軒買えるほどであった。

 

「ご安心ください。私どもが香水に使用しているものは、

 すべて天然由来のもので、法律的にも問題はございません」

「とてもそうは思えないわ。値段も、品質もね」

 

 瓶の蓋を開けたらどんな香りがするのか、

 そんな想像するだけで彼女の体は熱くなってきた。

 落ち着いた表情は繕ったもの、内心では興奮していて、

 今にも目の前の香水瓶に手を伸ばし、その蓋を開けてしまいそうである。

 

 ミラディは大きく息を吐くと、澄ました表情で鞄の中から

 封筒を取り出した。分厚く膨らんだその中身は、

 無論、特別に注文して作らせた香水への対価である。

 

 店員はそれを銀のトレイに受け取ると、

 部屋に入ってきた別の店員へと渡した。奥で確認するのだろうが、

 ここまできて代金をごまかすような者は、そもそもこのVIPルームには

 通されない。立ち上がるミラディに、店員は手袋をつけた手で

 香水瓶を恭しく渡した。どうせすぐに使うのだから、

 箱も袋も要らないと、彼女からそう伝えられていた。

 

「事前にご説明させていただきましたが……」

「表から出ない方がいいのでしょう? 結構よ、裏口からでも」

 

 気持ちが急いているのか、ミラディは店員の言葉を遮って言った。

 町の人気店であるこの香水店。VIPルームから出てくる客は、

 さぞかし至高の香水(いっぴん)を手に入れたのだろうと、

 盗難や強盗の恐れがあるというのだ。この店の盛況ぶりを見れば

 不思議ではない。そのため、VIPはそのまま裏口から出るのが、

 慣例になっているのだと店員は話した。

 

「あと、夜、外で使うのは危……」

「大丈夫。大丈夫よ。そんなに心配しなくても。

 これ以上の説明も案内も結構。裏口もこの部屋の隣だったわよね」

 

 ミラディはそう言って片手をあげた。

 そのしぐさに、店員は話すことをやめ黙って頭を下げた。

 店員が部屋から出ていくと、彼女は我慢できずに香水瓶の蓋を取り、

 いつもやっているのと同じようにして体にふりかけた。

 普段のものより何倍も強く匂いを感じ、

 彼女は目を見開いた。自然と笑顔になれば、

 興奮さえ覚え、口の中に唾液が湧くような気がした。

 

 この香りを纏って町を歩いたら一体どうなるのか。

 ミラディは、バッグに香水瓶をしまうと部屋を出て店内裏口へと向かった。

 従業員用の裏口というわけではないらしく、きれいに清掃されていた。

 ドアノブに手をかけて思わずニヤついた。

 きっと多くの者がこの香りに誘われ、自分に夢中になるだろう。

 彼女は口の端の涎を拭いながら想像し、扉を開け、外へと出ていった。

 もう日は沈んで、街灯の明かりが道を照らしていた。

 

「でも、この匂い、どこかで――」

 

 裏道に出てしばらくして、ミラディの背中に誰かがぶつかってきた。

 うつ伏せに倒れた彼女に、誰かがのしかかっている。

 

 突然のことに驚き、声が出ない。ただ、じたばた藻掻くだけだ。

 強盗か何かか。裏口から出たというのに待ち伏せられたのか。

 そんなことを考えているうちに、体を強引に仰向けにされた。

 そして、街灯の逆光で相手の顔が近づいてきたかと思えば、

 鋭い痛みとともに息苦しさが襲ってきた。激痛にもかかわらず、

 叫ぶことも呼吸することもできない。相手は彼女の喉に噛みついていた。

 

 霞む彼女の視界に、自分に群がる男や女が見えた。

 気づけば、喉元に噛みつかれた彼女の腕や足にも、別の者たちが

 噛みついていた。血に顔を赤く染めながら、皆、夢中である。

 この暗がりで、相手がはっきりと見えていないということもあるが、

 たとえ見えていたとしても自制は難しいだろう。

 

 彼女の体から放たれるその香りは、まさに 『シマウマ』 そのもの。

 

 “ライオン” である彼女たちの本能を呼び覚ますには、十分だったのだ――

 

―――――――――――――――――――――――――――――

<完>