静岡県静岡市葵区慈悲尾(しいのお)の曹洞宗 慈悲尾山 増善寺(ぞうぜんじ)は、駿河今川氏7代目当主 今川氏親(いまがわ うじちか)の菩提寺です。

増善寺は、徳川家康ゆかりの地としても知られています。

曹洞宗 慈悲尾山 増善寺
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 天武天皇10年(681年)、増善寺は道昭法師によって真言宗の慈悲寺として開かれました。

明応9年(1500年)、守護大名・戦国大名であった今川氏親が辰応性寅禅師(しんおうしょうえんぜんじ)を開山に曹洞宗の増善寺として再興。

大永6年(1526年)6月に氏親が56歳で死去すると、増善寺で盛大な葬儀が営まれました。

増善寺は、氏親の息子で駿河今川氏9代目当主 今川義元の人質として駿府で過ごしていた、徳川家康(幼名 竹千代)のゆかりの地でもあります。

ある時、参道で鳥を捕っていた竹千代が、「境内は殺生禁止の場所だ」と村人にののしられました。

その話を等膳和尚に聞かれた竹千代は、「岡崎にある父 松平広忠の墓参りをしたい」と相談。

等膳和尚は人質である竹千代を篭に入れて背負い、持舟の港(静岡市駿河区用宗)から密かに篠島におくりました。

竹千代は墓参りをして、無事に駿府に帰還。

出世して浜松城に入った徳川家康は、天正11年に等膳和尚を可睡斎(静岡県袋井市)の住職とし、駿河・遠江・三河・伊豆の4ヶ国の大僧録司に任命。

徳川家康から拝領された寺宝の天目茶碗・手水桶・天目茶碗・火縄銃は、静岡浅間神社境内の静岡市文化財資料館で公開。

増善寺は安倍七観音のひとつに数えられ、駿河三十三観音霊場 第16番札所でもあります。

探訪は自己責任で!!

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曹洞宗 慈悲尾山 増善寺の地図
静岡県静岡市葵区慈悲尾302
TEL 054‐278-6333
無料駐車場あり

アクセス
・東名高速道路 静岡ICの北西

山門
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本堂
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今川氏家紋 丸に二つ引両
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増善寺所蔵 今川氏親等身大木像
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観音堂
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松平家墓所
 左から松平豊前守勝政、松平豊前守勝易と夫人の墓
松平豊前守勝政(まつだいらぶぜんのかみかつまさ)は、江戸時代の寛永10年(1633年)2月9日に駿府城代となり、寛永12年(1635年)6月10日に63歳で死去。
松平豊前守勝易(まつだいらぶぜんのかみかつやす)は、延宝4年(1676年)6月3日に駿府城代となり、延宝8年(1680年)5月に城中で死去。
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左から松平豊前守勝政、松平勝易の墓(宝篋印塔)
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旗本 柘植家墓所
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旗本 柘植平右衛門正俊(つげへいえもんまさとし)の墓(五輪塔)
 天文17年(1548年)に織田信長の弟 信治の子として誕生、母方の姓を名乗っていました。
信長、豊臣秀吉に仕えた後、慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いで徳川軍に加わっています。
慶長16年(1611年)に駿府で病死。
子孫は幕末まで代々旗本。
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歴代住職の墓(無縫塔)
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今川家霊廟
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霊廟内には、3基の五輪塔があります。
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中央の五輪塔が今川氏親の墓?
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